050
「彩愛様、聞きまして?」
「なにかありまして?」
「佐藤様が入院なさったんですって」
「まあ!」
「なんでも自宅のベッドから落ちて、肋骨を打撲したんですって」
「賀口様の病院に入院されたそうですが、篠上様が春休み中はご自分の家で看病するとおっしゃってるそうですわ」
終了式が終わり、明日から春休みだというのに、佐藤妃花の話題は尽きることがないらしい。
この一年でどれほどのうわさを聞いただろうか。
「けれどご両親が賛成しているのかは謎だな」
「でも賀口様の病院にはすでに退院届を出しているのでしょう?」
「明日にも退院なさるとか」
「どうなさるのでしょう」
彩愛達は首をかしげるが、流石にそれ以上の情報はわからない。
「病院にいる間の話なのですが、ご子息のご友人だと言って、わがまま放題だったとか」
「まあ、ひどい話ですこと」
「だから賀口様の病院では喜んで退院手続きをしたんですって」
「でも佐藤様のお母様は看護師だそうで、自分で看病したいとおっしゃってるという話もありましてよ」
「佐藤様は春休みお忙しくいらっしゃるようですわね」
「そういう彩愛様の春休みのご予定は?」
「お母様が妊娠していらっしゃいますので、家にいて煩わせるわけにも参りませんので、今回もユングリング家にホームステイさせていただきますの」
妊娠が発覚した母は、彩愛の時のことを反省してすでに仕事を休んで家で過ごしている。
先日やっと悪阻が収まったのだが、未だ体調がすぐれない日が多く、塞ぎこんだり神経をとがらせたりと安定しない日々が続いている。
なによりも、彩愛と同じ家にいるというのに彩愛は帰ってすぐに着替えてのレッスン、レッスンの合間の夕食は一緒にとれるが母のほうが食欲不振でなかなか話が広がらず、食事も進まない。
やっと食事ができると思う頃には彩愛は次のレッスンのため席を立ってしまう。
そういったこともストレスになってしまっているのだろうと、主治医から家族と共に聞き彩愛は春休みの渡欧を決めたのだ。
そのことで自分のせいだとお母様が自分を責めたが、もともとユングリングの総帥から長期休みは来るようにとお誘いを受けていたのだと慰めた。
彩愛がそう言うと、友人たちは顔を見合わせる。
「どうかなさいまして?」
「いえ、このままだと彩愛様が留学なさってしまうのではないかと心配で」
「私たちまだあちらの言葉は覚えておりませんので」
「後一年お待ちいただけましたら、しっかりマスターしてみせますわ」
「あら、まあ…」
その言葉に彩愛はどういう顔をしていいのかわからず、それでも心の内側から嬉しさがこみあげてきてとっさに口元を扇子で隠す。
「彩愛様?」
「もしかしてついていくのは、ご迷惑でしょうか」
「いえ、その…………嬉しいですわ」
気が付けば頬に熱が集まり、目が潤んでいる。
最後の言葉は本当に小さなものだったが、ちゃんと聞こえたらしい。
「そっそうですわ!皆様の春休みのご予定はいかがですの?」
「家で各レッスンと、神学の勉強ですね」
「私も似たようなものですわ」
「私も」
「で、ではもしご都合がつくのでしたら、開いてるときにユングリングの屋敷に参りませんか?私すぐにジュール御爺様にお願いいたしますわ」
いつもの彩愛であれば、まずユングリングの家に確認を取ってから声をかけるのだが、この時ばかりは自分の欲求が先に来てしまっいた。
「「「すぐに予定をキャンセルいたします」」」
三人はすぐに席を立ち、それぞれ部屋の隅に行くと家へ電話をかけ始める。
彩愛もいそいそとスマートフォンを取り出し窓辺へ行く。
ジュール御爺様へ電話をかけて数コール後、嬉しそうな声が聞こえる。
『アヤメ、どうかしたかな?』
「あのね、ジュール御爺様」
彩愛はつい緩んでしまう頬を押さえながら、今あったことを伝える。
電話の向こうから嬉しそうなジュール御爺様の声と、いつでも何人でも連れてく来ていいとの了承の返事が聞こえてきた。