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「彩愛様、お聞きになりました?」
「なんでしょう?」
冬休みが終わり、全体集会が終わった後に彩愛はいつもの『王花の間』でホットミルクを飲んでいると、乃衣様が何とも言えない表情で声をかけてきた。
「磯部様が風紀委員会をお辞めになったんですって」
「まあ」
「委員長になれましたのに、お辞めになったんですの?」
「それだけではありませんわ。吉賀様と共に姉妹校への留学の手続きをされているそうですわ」
「出来るだけ早くの留学を希望しているとか」
「この時期に?」
この時期に留学というのは、随分異色なことだ。通常であれば4月を待つのだが、なぜ今この時期なのだろうか。
「どうして今なのでしょう?」
「それにつきましては教師も沈黙しているようですが…」
「吉賀様と共にとなると、年始から噂されている磯部の跡取りを自ら放棄したというものに信憑性がでますわね」
「噂ですの?」
「ああ、家との縁を切る代わりに、吉賀様との婚約を続行させてほしいと頭を下げたとかいう話だっけ」
「ご両親も面子がありますので、大学部卒業までの資金支援だけはするとおっしゃったそうですわ」
「まあ、では本当に磯部家と縁を切ったのでしょうか」
「吉賀様も磯部様と同じような条件で家を出る予定だとか」
「高等部では吉賀様を慕っていらっしゃる生徒から引き留められているそうですが、吉賀様はそれを宥めているそうですわ」
何があったのかはわからないが、状況から見れば噂は本当のようだ。
どんな心境の変化があったのかはわからないが、あれほど自尊心が高い吉賀様や磯部様の行動とは思えない。
「冬休み中になにかあったのでしょうか?」
「彩愛様は北欧に行ってらしたからご存じないんででしたわね」
「なにかありましたの?」
「元日に佐藤様一派がうちの神社に揃って詣でに来て、そこで磯部様と吉賀様に遭遇してしまって」
「佐藤様が磯部様のご両親に何かを言ったそうですわ」
「そこで吉賀様がヒステリックに大声を出して、その場が騒然として警備の者が出動する状態になったんですよ」
「それが原因かはわかりませんが、磯部系列の一部の企業から、吉賀様との婚約を破棄できないのかと声が出たという話もございますわ」
「まあ…。それは一大事ですわね」
彩愛としては磯部様と吉賀様の婚約は気にしていないのだが、皆森家に迷惑をかけてまで結んだ婚約なので簡単に破棄してほしくはない。
「そういえば篠上系列の一部の企業が、吉賀麗奈様個人を支持していらっしゃるのはご存知でしょうか?」
「いいえ」
「吉賀様は仲が良好とはいえなくとも、幼い時から篠上様の婚約者でいらしたでしょう。それはもちろん系列の企業も知っていることですわ」
「企業機密もご存じだったのではないかとの噂もございますの」
「磯部系列にも、磯部和臣様個人を支持する派閥があるとか聞くね」
「ええ、磯部様は磯部家と縁を切ると噂がございますが、個人を支持してくれる派閥はそのままついていくのではないかとの見解もございますの」
「吉賀様を支持している篠上系列の企業は篠上の四分の一以上との話もございますのよ」
「まあ。それが本当でしたら篠上家には大打撃ですわね」
これだから、幼いころから続く婚約者の関係を簡単に解消できないのだと彩愛達は苦笑する。
吉賀様は性格こそきつめではあるが、その分自分にも厳しく勤勉で有名でもある。
それに一度懐に入れたものには優しく、そこに家格の差はないという。
彩愛達はきつい吉賀様の姿しか見たことはないが、乃衣様の姉である美衣様は今年度に入ってからの吉賀様の様子には心を痛めているらしい。
「高等部では冬休みの間にこの話が広まって、随分有名な話になっているようですの」
「とはいえ、佐藤様一派の耳には入らないようにお姉様たちや一般生徒が動いているんですって」
「どうしてですの?」
「吉賀様を慕っている生徒には申し訳ないけれど、この学園というか、佐藤様一派から距離を置いたほうがいいというのがお姉様の考えですわ」
「確かに、海外の姉妹校に留学してしまえば物理的に距離が開くか」
この噂には彩愛の友人たちも戸惑っているらしい。
けれども、美衣お姉様の言う通り佐藤様達から距離を取るのはいいことなのかもしれない。
「ここのところ佐藤様が磯部様に手を伸ばしていたという話も聞くし…」
「そのせいで吉賀様のご機嫌が悪くなっているという話しもございましたし…」
「きっと、美衣お姉様のお考えは正しいと思いますわ」
それでも、『王花』から実質的に抜けるということで、それはそれでどこか物悲しいものがあると、彩愛達は何とも言えない表情を浮かべた。




