001 5月
「ごきげんよう磯部和臣様、吉賀麗奈様」
大きな窓から穏やかな日差しの差し込み、ステンドグラスが神秘的な雰囲気を作っている音楽堂。
椅子が整然と並ぶ中、その端で甘やかな睦言を交わしていた男女は、声をかけられて驚きに目を見開いて声をかけてきた少女を見つめている。
「このようなところで男女が二人っきりなんて、外聞の悪いことをなさるなんて嘆かわしい」
あからさまに不快感を示すように手に持っている扇子を開き口元を隠す。
少女の背後にいる友人たちも同じように扇子で口元を隠したり眉を寄せたりしている。
「仮にも彩愛様の婚約者であるお方の行動とは思えませんわ」
「それもお相手が吉賀様だなんて、あきれたものですわね」
「磯部様ともあろう人が婚約者である彩愛様をないがしろにするなんてね」
口々に言われる非難に磯部と呼ばれた男子が顔を真っ赤にして口を開く。
「婚約者なんて親が決めたものだ!俺の意思なんかじゃない!お前こそなんでこんなところにいるんだ」
「文芸会の練習に参りましたのよ。ちゃんと先生方の許可を得てまいりましたわ」
暗に無許可でここに入ったのはそちらだといえば、磯部と呼ばれた男子は一緒にいた女子を連れて音楽堂を出ていった。
残された少女たちはあきれたようにその後姿を見つめる。
「高等部にいるお姉様から聞きましたわ、庶民の女生徒が高等部の高位な殿方を次々と篭絡しているそうですわ」
「篭絡された男子生徒は今までの功績が嘘のように暗愚になってしまっているらしい」
「困ったことですわね」
「それぞれご婚約者のいらっしゃる身ですので、各家ももめていらっしゃるとか」
「婚約破棄をするにしても、それを前提とした事業や繋がりの処理があるしね」
「すべてが男子生徒の家主体での婚約というわけではないようですし、さぞかし大変なことになっているのでしょうね」
「皆森家と磯部家のように、女性側の家が強い場合も多いものな」
「そうでなくても幼少期に決まった婚約者、許嫁ですのよ。嫁入りや婿入り教育に要した期間の賠償金など、どうするのでしょう」
「各家の秘匿情報なども教育に組み込まれていたら余計にややこしいだろうな」
そんな話をしながら少女たちはそれぞれ扱う楽器の準備を始める。
「高等部のお姉様やお兄様は大変ですこと」
「僕たち子供にはわからないこともあるんだろう」
それでも水産業の世界トップクラスと言われる実績を持つ皆森家の令嬢の婚約者でありながら、このようにわかりやすい場所で不貞を働くのは賢くない。
「さぁ我らがセイレーン、始めようか」
それを合図にピアノの旋律が流れ、少女は息を吸い歌う。
海、大地、そして天の恵みを讃える詩。
高く伸びやかに、まだ大人になることのない無垢な少女の歌声は音楽堂すべてを包み込むかのよう。
まだ幼いながらも複数神の加護をその身に宿す幼き歌姫。
その彼女を裏切っているかの許嫁とその相手の未来はきっと幸せなものではないだろう。