011 8月
夏休みに入ってすぐ、彩愛は北欧に渡欧していた。
親しくしている北欧の財閥の総帥から声がかかっていたためだ。
本当であれば両親の仕事に付き合ったり、日本で社交を広めたりと時間を使うのだが、世界有数の財閥の総帥からの声掛けであれば断るわけにはいかない。
夏休みいっぱいこちらで過ごすことがすでに決まっており、数か月前からスケジュールが組まれているが、日本で学園に通っている日常のものと比べれば随分と緩やかなものになっている。
その代わりのように、総帥をはじめとした一族の方々に人形のように取り合いをされたり、着せ替えをされたりと忙しいことに変わりはない。
何より、総帥の住まう場所は神が降り立つとも、精霊が住まうともいわれている場所なため、神や精霊が彩愛に会おうと昼夜問わずやってくる。
『何をするかと思えば、日本で言うところの行水か?』
呆れたような声に閉じていた目を開けば、まさに神がかった美貌の主が笑みを浮かべて彩愛を覗き込んでいる。
今、彩愛は総帥の屋敷のある森の泉に全身を浸し、わかりやすく言えばプカプカと浮いている状態だ。
水着を着ているわけではない。着替えは持ってきているが、着衣したまま泉に浸かっており、白いロングのワンピースは水にふわふわと揺蕩っている。
『それともオフィーリアの真似か?』
クスクスと腕を引かれ起き上がらせられる。
どうやっているのかわからないが、泉の中で膝の上に座らせられ濡れた髪を梳かれる。
「どちらでもありませんわ。水を感じてみたかったんですの」
『屋敷にはプールもあるだろうに。それに着衣のままでは人間が見たら驚くのではないか?』
「そうですわね。でもいいのですわ」
彩愛は警戒することもなく身を任せて力を抜く。
「自然の水のほうがいいのですわ」
そう言って「ほう」と息を吐く彩愛を愛しそうに撫でてからその手を取って口元に持って行き、壊れ物に触れるように口づけをする。
『我を感じたいと、そういうことか』
「自意識過剰ですわ、水の神」
クスクスと笑う水の神を仰ぎ見る。
薄銀の長い髪は濡れたように艶めいているのに実際は濡れておらずさらさらとしている。
優し気な美貌を彩る吸い込まれそうな蒼い目をじっと覗き込む。
『だが我は誰よりもそなたを近くで守っているという自覚があるぞ、それこそ母の体の中にいるときから』
「そうですわね」
だからだろうか、生まれた瞬間この水の神は彩愛に自分の加護を与えた。
水産業を生業にする皆森家にとってこれほど幸いなことはないが、同時に赤子がその力に負けて早く亡くなってしまうのではないかと不安が襲った。
けれど、赤子のうちに加護を与えられた者の多くが7歳を迎える前に亡くなるのをよそに、彩愛は複数の神から加護を受けこうして生きている。
今自分を抱きしめている水の神は、世界中に複数いる水の神の中でも最高神だという。
そんな神がただの加護ではなく、真名で加護を与えた。
そのことがほかの神の興味を引いた。結果、彩愛は複数の神に加護を与えられ、今もこうして神や精霊が会いに来る。
「本当に、なぜ私なのでしょうね」
『何度も言うが、彩愛だからだ』
何度も尋ねた。どうして自分なのかと。
この自分の何が神の興味を引くのかと何度も考えた。
どの神に尋ねても『彩愛だから』と返されるだけ。
『そろそろ日が暮れる。戻ったほうがいい』
「そうですわね」
岸まで運んでもらい、濡れた服を脱ぎ用意したタオルで体の水気を取る。
先ほどと似たような白いロングのワンピースに身を包んで泉を振り返れば、もう水の神は姿を消している。
泉から視線をはずしてほのかに光る森の道を歩き始める。




