後日談 005 カウンセリング問診票
私は心が弱いという自覚が昔からありました。
周囲には完璧な人が多くって、何とかしないとってずっと思って一人で不安にかられて眠れない夜もありましたわ。
だから少しのことで不安ことを、ずっと押し隠して私も完璧なこのようにふるまっていました。
壮一様と沙良お姉様のことだって、本当は最初疑ってたのです。
婚約者の私から見てもあの二人はお似合いで、どうして婚約しなかったのかと陰で言われてるのも知ってましたもの。
だってそのぐらい沙良お姉様は完璧な淑女だった。皆の憧れで、見本でしたわ。
その人が、棺桶に縋り付いた声をあげて泣いてる姿を見て、幻でも見ているのだろうかと思ったのです。
けれどもそれは愛する人を亡くしてしまったから。
誰も表立っては言わないけれど、みんな知っておりますのよ。史君は皆森芙灯様の子供だと。
愛する人を失うつらさは、あの完璧な沙良お姉様にすら淑女としての行動を忘れさせるものなのでしょうか?
でしたら私は?
もし、壮一様を失ってしまったら?そう考えただけで倒れそうになってしまいました。
ふらつく体をお兄様が支えてくださった。きっと芙灯様の死にショックを受けていると思ったのでしょうね。
ある意味間違ってはおりませんけれども。
芙灯様がなくなって少しして、私は皆森家に通い、もしくは泊まり込み始めましたわ。
建前は壮一様の御手伝いをするため。
本音は一日でも早く壮一様に娶っていただき、壮一様の証をこの体に刻み付けてもらうためです。
だって思ったのですわ。
沙良お姉様は愚かだったのだと。
望まれていたのに愛する人と婚姻を結ばないからあのように嘆いたのではないかと思ったのですわ。
だから私は、一日でも早く壮一様と結ばれ、証を刻んでほしかったのです。
数か月後望みはかないましたわ。
頂いた証に頬を染めた朝を今でも忘れませんわ。
そして結婚して、祝福されて私は幸せを噛みしめておりました。
芙灯様がお亡くなりになって、皆森家はバタバタとしておりましたから、学園を通信制に変え皆森家の事業を手伝い始めましたの。
もともとその予定で教育は受けておりましたから、それほど苦労がございませんでしたわ。
離れてしまうことに寂し差を感じることも多かったですが、壮一様に望まれ、頼まれ、褒められ、望まれる幸福感のほうが強かったのです。
でも、北欧に出張に行ったとき長い間飛行機に乗っていたせいか、気圧変化のせいかはわかりませんが私は著しく体調を崩してしまいました。
病院で一人寂しく苦しみ、涙を流し、壮一様に会えない孤独にそれこそ死んでしまいそうでした。
だから初めて聞いた時は耳を疑ったのです。
妊娠しているだなんて、自覚症状が全くなかったんですわ。月経の遅れも仕事が忙しいせいだと思っておりましたの。
私はユングリングの屋敷に引き取られ療養することになったのです。
知らない土地、知らない人々、壮一様に会えない日々、ただ人に迷惑をかける存在になってしまった自分。
すべてが私の心を苛みましたわ。
勘違いなさらないでね?私は嘘偽りなく彩愛を愛しておりますわ。
けれども、こんなに早く子を授かるとは思っておりませんでした。
それでも、私は彩愛を愛しておりました。けれどもあのようにただ迷惑をかけ、孤独な生活を送る日々が、その原因となった彩愛に八つ当たりしたのも事実ですわね。
そして、幾度目かの定期健診で胎の児の成長が遅いと言われ、私の中で何かが壊れてしまったのですわ。
膨らみ始めていいはずの時期にまだ膨らまないお腹。
人の形はしていてもまだ小さな我が子。
あの時の恐怖がわかりますか?
死んでしまうのではないか?そう思いましたの。
壮一様との愛の証を失ってしまったら私はどうすればいいのかと、不安で不安で不安で不安で…。
待っても待ってもなかなか膨らまない腹を撫でながら必死に声をかけましたわ。
私のかわいい赤ちゃん。愛する赤ちゃん。死なないで。死なないでって…。
どうしてこんなことになってるの?どうしてちゃんとしてくれないの?ともいった気がしますわ。
馬鹿らしいでしょう?産まれてもいない子供に八つ当たりしてましたのよ。
彩愛は一年以上私のお腹にいてやっと生まれましたわ。
でも、生まれてすぐに水の神が顕現しあの子に加護を与えてくださった。
その意味を考えて、私は頭がおかしくなるかと思いました。
いいえ、きっともうおかしくなってましたわね。
7つまでは神の子。神の加護を受けたのが幼ければ幼いほどその命は7つで神の御許に逝ってしまう。
そう考えて、そしてちょうど連れていかれる彩愛を見てまた何かが壊れる音がしましたわ。
どこに連れて行くの?私の子供をどこに連れて行くの?やめて、返してって…。
それからはただ不安に押しつぶされる日々だったと思います。
それでも彩愛が傍にいれば心は落ち着き、笑みを浮かべることだってできていました。
そうして緩やかに私は回復していきましたわ。
壮一様も最後のほうはずっと一緒にいてくださいましたわ。
日本に帰ってきてなかなか体の成長しない彩愛を見ているのが今度は怖くなってきましたわ。
いつ神の御許に逝ってしまうのか。成長の遅さが不安を?き立てて、私は仕事に逃げましたの。
ほとんど家にいることもなく、沙良お姉様に子守りまでお願いして。
沙良お姉様は怒りませんでしたわ。呆れてはいらっしゃったでしょうけど…。
7歳を超えて誰よりも安堵したのはきっと私ですわ。
これからはちゃんと向き合おうと壮一様と話し合いをしましたわ。
だから一学年時の『王花神嘗祭』で彩愛が倒れたと聞いた時、驚きはしましたがすぐに平静を取り戻して壮一様と家にもどりましたのよ。
でも、またこうして子を授かってあの時の日々が蘇ってきて……。
彩愛と違ってこの子の成長が普通と聞いても、あの時と違って皆森に家にいるとわかっていても、あの頃と違って壮一様が傍にいてくれると聞いていても。
不安なのですわ。何事にも100%はありませんでしょう?
私の体調もまた悪くなってしまいました。今は順調に育っているこの子を流産しない保証はないでしょう?
怖いのです。不安なのです。恐ろしいのです。
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昔のカウンセリング問診票をみて皆森家の主治医は溜息を吐く。
愛実様は二人目の時は比較的早く心身ともに健康を取り戻し、三人目の時は精神的不安を抱くことなく出産し育児を行っていた。
あの頃の彩愛様への負担はどれほどだっただろうか。
愛実様や使用人を思い、親に甘えたい年頃だろうにそれを口にすることもなく、わがままなどほとんど言うこともなく。微笑みを浮かべてお過ごしだった。
何という精神力だと、流石神の寵児だと溜息しか出ない。
けれどもきっとそういう問題ではない。
誰もが彩愛様を気遣っているようで、その実甘えていたのだ。
たった2歳から8歳の年の少女に。
だからこれはきっと神の罰。
甘え切った我々から彩愛様は飛び立っていった。
かの地は神も多く住まう。
何よりも、彩愛様に甘え切った私たちと違ってその意思を尊重し、甘やかすことが出来るだろう。
だからもう私にはただこの地から、彩愛様の幸せをただ祈るしか出来ない。




