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神へ捧げるカントゥス★  作者: 茄子
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後日談 003 野宮俊介(中編)

 あの女が俺に触れてくるたび、頭がぐらぐらとゆれ気分が悪くなり、体が歓喜する。

 その原因が何なのかわからず、調べていくうちに少しずつ毒を飲まされるように、真綿で首を絞められるように得体のしれない何かに呑まれていった。


「ねえ俊也君、触って?」


 そう言われたのはいつだったか。

 気分を悪くさせ、歓喜を起こす原因が爪だと気が付き、ネイルアートをさせてほしいといった時だったか。

 美の神の気配がするハマグリに入った爪紅。

 それに触れ、あの女の爪に塗ったときに理性のどこかが「早く離れろ、戻れ」と叫んだが、遅かった。


「君が望むがままに、妃花」


 手を取り、塗ったばかりの爪紅に口づけを落とす。

 香る甘ったるい花の香りが鼻孔をくすぐる。


「もっと触って」


 手が離れ、今度は足が持ち上げられる。まだ爪紅の塗られていない足からガーターベルトを抜き取り、爪紅を塗って口づける。

 遠くで「今なら間に合う」と叫ぶ誰かに申し訳なく思う。

 もう、手遅れだ。

 気持ちが悪いのに体をめぐる血は歓喜する。


「俊也君、もっと…」


 強請られ肌を合わせて気が付く。

 この女は、俺以外にも男がいる。ほかの取り巻きとも肌を合わせている。

 別におかしいことじゃない。この淫売ならむしろ当然のことだろう。


 肌を合わせた後、なんとなく口ずさんだ曲は皆森様に作った曲。


「聞いたことない曲。俊也君が作ったの?」

「ああ」

「もしかして私のため?嬉しい」


 そんなわけないだろうと怒鳴りたかった。


「ねえ、この曲を次の文芸会で歌ってもいいでしょ」


 ふざけるなと怒鳴りたかった。それなのに俺の体は笑みを浮かべて頷く。


「大好きよ俊也君」


 そう言って頬に口づけた女が帰ったのを確認して洗面台に向かう。

 たいしてない胃の内容物を吐き出し、それだけじゃ足りずに胃酸も吐く。

 穢れを落とさなければ。

 服のまま風呂に入ってシャワーを流す。

 冷水に体が震えるが、それ以上に自分への気持ち悪さに震えが止まらなかった。



「野宮様」

「水上様、どうかしましたか?」

「初等部の『王花の間』付き給仕から、野宮様の好みの飲み物を知りたいと内線がかかってきたのを耳に挟んだんだが、今まで初等部に?」

「ええ、皆森様をスケッチさせていただいてました」


 そう言ってスケッチブックを見せる。

 目つきが鋭くなる水上様に苦笑しつつ、次の文芸会で皆森様をモデルにした絵画を描くと伝えれば苦々しい顔をする。


「やましいことはありませんよ。なんなら明日もお邪魔する予定なので水上様もご同席なさっては?」

「そうさせてもらおう」


 そう言って生徒会室に向かう水上様の背中に、そういえばあの女はいつだって水上様を見ていたと思い出す。



「ねえ、どうして水上様がいないの?」

「居心地が悪いから来ないと言ってたけど」

「えー。私水上様とお話ししたいのに。居心地が悪いって、この部屋の中を取り仕切る給仕のせいよね。交換できないの?」

「妃花、流石にそれは無理だよ」

「だってぇ、初等部の給仕なんて私がせっかく水上様にチョコレートを持って行ったのに警備員を呼んだのよ。信じられない」


 当たり前だろう、と心で思っても口は慰めの言葉を吐き出す。


「かわいそうに、妃花」

「でしょう。あ、ちょっとカップが空じゃない。気が利ないわね」


 妃花の言葉に給仕が無言で紅茶を注ぎ、横にミルクの入った小瓶と花の形をした砂糖の入った瓶を置く。


「まったく。こまっちゃうわよねー京一郎君」

「そうだな」

「でしょー。…にっが!なにこれ苦すぎ」


 一口飲んでガチャンと音を立ててソーサーに行く姿に嫌気がする。

 何のためのミルクと砂糖だと思ってるんだ?

 いやそもそも、通常であればミルクティーになったものが運ばれてくるはずなのに、紅茶を煎れただけというのは給仕なりの抗議か、妃花の好みを量るためか。


「そこにあるミルクと砂糖で調整してみるといいよ」

「ああ、そういうことなの?説明しないとかあの人本当に気が利かないわ」


 俺たちの階級なら常識として知っていることだから言わないのだ。

 お前はこの部屋に居座っていい人間じゃないんだよ。


「そういえば妃花」

「なあに京一郎君」

「この跡は虫に刺されたの?」

「え?」


 制服で隠れるか隠れないかぎりぎりのところに残したキスマークを篠上様が指摘する。


「虫刺されなんじゃないかな。うん、虫刺されよ」

「そう?」


 篠上様は妃花のリボンをほどき、ボタンをはずす。

 そこには複数のキスマークが残る肌があり、賀口様がクスリと笑う。

 跡は残すなという妃花に、キスマークを残したのは賀口様なんだろうか。


「こんなに虫に刺されて、消毒しないと」

「え!ちょっこんなところで!?」

「かまわないだろう、悟志」

「………ああ」


 俺たちは賀口様に促されて部屋を出る。


「賀口様!いくら篠上様とはいえあれは」

「だまろうか、金田様。みんな知ってるんだろう?あの女と肌を重ねたのは自分だけじゃないんだと」


 その言葉に沈黙が下りる。


「教えてやるよ。妃花は京一郎に襲われたから上書きしてと言って俺に迫ってきた。そしてその翌日、俺に襲われたと言って京一郎にもう一度抱くように強請ったんだ」


 絶句する。あの女は何を考えてるんだ?


「目を覚まして離れるなら早いうちがいい。遅ければ遅いほど、手遅れになって巻き添えを食らうぞ」


今思えば、あれは賀口様なりの俺たちへの慈悲だったのかもしれない。



「妃花が怪我?」

『ああ、このまま春休みまで学園には行けないだろう』

「そうか」

『なんだ、嬉しそうな声だな』

「…………そう、だな」

『離れるなら今のうちだ、じゃあな』


 切れた電話を置いて、描きかけの、強請られて描いてはいるもののまったく進んでいない絵を見る。


「は、はは」


 妃花をモデルにした天使の絵?我ながらあり得ない。ほとんどが線しか描かれていない絵。

 それなのに手足の爪は水彩絵の具で濃い桃色が美しく塗られている。

 賀口様の言う通りだ、離れるなら今だ。

 震える手を無理やり動かしてキャンパスを持ち上げて風呂場に向かう。

 湯船にキャンパスを表向きに置き、その上から思いっきりシャワーをかけて絵の具も鉛筆の線も流す。

 ぐちゃぐちゃになった紙をはずして丸めてからゴミ袋に押し込んで息を吐いた。


「今しかない。離れるのは、抜け出すのは今しかないんだ」


 そう考えて、気が付けば皆森様のために作った歌を口ずさんでいる。

 この歌をあの女が歌うなんてありえない。適当なことを言って、楽譜でもなくしてしまったとでも言おうか。

 いまだに震えの止まらない体に深呼吸を繰り返す。

 理性は離れたがっているのに、体が妃花を求めてやまない。


(一族に昔いたという堕落した男もこんな気分だったんだろうか?)


 花街の女に恋い焦がれ、あった才能をくすませ堕落していった遠い先祖。

 夫のいる女に横恋慕し、その目を夫君に切り付けられ、両腕を落とされた遠い祖先。

 町娘に恋い焦がれ、家の反対を押し切って駆け落ちした先で間男と褥にいるのを見て激高し、町娘と間男を殺して自害した祖先。

 金持ちの未亡人に恋い焦がれ、望まれるままに才能を差し出し、最後は忘れられ飢え死にした祖先。


 戒めとして残るそれらの話は全て事実。

 だからこそ野宮家は集団ではなく個人で活動するのだ。

 巻き込まれないように、自分を守るために。


 歌い終わったとき、体の震えが止まっていることに気が付く。

 離れよう。はじめはつらいかもしれないけど、堕落した祖先のようにならないためにも。

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