第二節:牧師カッゾと百人のサッキュバス
「………こうして、人々はギガ瀬戸内の方から主神ワンネスの名を恐れ、チボリの摩天楼の方からその栄光を恐れる。主神は、せき止めた川に燻したカレー粉を、その麻綱に塗し羊飼いを三度叩く………。」
牧師カッゾは聖書をパタリと閉じて、深くため息をついた。
その夜は数年に一度の酷い嵐だった。
イラバキ伯領ニュー岡山の郊外にポツリと立つ「ットショォ=イナイトヒ教会」は、雨風をしのぐ術を持たない、貧しい者達への避難所となり、慈悲深い牧師カッゾは喜んで彼らを迎え入れた。
「トントン………。トントン………。」
身寄りのいなさそうな婆が、一人一人とノックの度に増えてゆく。牧師カッゾは顔には表さなかったが強い疑問を抱いていた。
老婆が多い。あまりにも多い。と―――。
「………トントン。」
ちょうど100回目のノックが鳴った。
また老婆だ!
カッゾは目視で老婆を数える。
「左から1婆、2婆、…100婆。何度数えても婆ばっかじゃが!」
冷や汗が止まらない。水に晒したわかめの如く増え続ける老婆達。牧師カッゾ、眼前の現実に何かを為せるはずもなく、ただズシリと重くなった頭を垂れる。
「………。」
―――100婆から一向に婆が増えなくなった。乾いたノックの音で溢れていた教会の中は婆で溢れ、ミストサウナさながらの汗臭い湿気で満たされた。
―――妙である。集まった婆は皆、入り口に屯している。
どうやら皆、カッゾを横目に何やらコソコソと話をしているようだ。しかし、教会内にどろりと溜まった不快感がカッゾを内から蝕んでいたからであろう。残った理性を働かせねば、それは自身へ向けた呪詛だと体が解釈してしまうのだ。
カッゾは怯えていた。唯一の退路を塞がれ、曖昧な意識を頼りに嵐が止むまでこの空間にいなければならないからだ。防衛本能はひとえに淀んだ瘴気から己が身を守るため、卓上の聖書の文字を追うよう脳に働きかけた。カッゾは阿呆の如く、紙面上の記号を一つ一つ目でなぞり、ただただ夜が明けるのを今か今かと待つことにした。
突如、婆から目線を逃す男の頸を生ぬるい吐息が擽った。なんてことだ、カッゾは聖書に没頭するあまり、入り口に群がる脅威の群れへの警戒を怠っていたのだ!
「…カー…ッゾき…ゅん…❤️…カーッ…ゾ…きゅ…ん❤️」
ボソボソと老婆たちの声が聞こえてくる。
「…カーッゾ…きゅん…❤️…カーッゾ…きゅん…❤️」
段々と聞き取りやすく、そして声が大きなってゆく。
「子種ちょをだイ❤️」
後ろを振り向くと、婆達に囲まれていた。腕にしがみつき、舐め回され、こすりつけられ、齧られ、下劣で卑猥な言葉を投げかけてくる。
「こないだ閉経したの❤️」「カゾきゅんに私の初めて捧げるね❤️」「おばちゃんもう濡れ濡れよ❤️」「ソラはいいや。読んでる一説難しくてわかんねーし。」………。
「何なんw!ワンネスほんま助けてくれーや!」
腕に乗った婆を投げ、十字を切り、ただ祈った。
ッババババババババットショォ!!!
突如、暴風が教会の屋根を吹き飛ばし、一人のカッゾを巡り蠢きひしめき合う老淫魔達を聖水の雨が焼き尽くした。
―――遥か天空より黄色のオーブが空から降り注いだ。
どこからともなく声が聞こえる。その声は、初めて聞いたのにも関わらず何処か温かみがあって、なにより懐かしい声だった。
「よくぞ淫魔に屈することなく神の使いとして、清い身を守ることが出来ましたね。カッゾ。」
嗚呼、神は、神は私を見守ってくださっていたのですね―――。
「汝よ汝、もしかしてビリー・ジョエルが好きなのか?」
「いや、わしゃマイコー。マイコー・ジャクスン。」
「神にタメ口聞くな!」
ちゅどーん。カッゾに雷が落ちた。カッゾはふ菓子になり、空は晴れた。
おわり。