皇帝の帰還 ―4
一年生不良の悲鳴が響き、その異変にようやく気づいた全員が「これは止めなきゃヤバい」と立ち上がったのは同時だった。
そして、そんな四人の中で誰よりもまず先にカトレアさまが飛び出した。
自分が真っ先に割って入って止めるおつもりらしい。サレナを火龍から助けようとした時とまったく変わらぬ勇ましさである。
だが、相手の正体や力量もまったくわからないのに突っ込むのは流石に勇ましすぎる。
いや、それも自分の実力に対する自信とプライドの高さ故だろうか。
とにかくまあ、大抵の相手ならカトレアさま一人で渡り合えるだろうが、だからといってまさか一人だけで突っ込ませるわけにはいかない。
サレナと同じく一瞬でそう思ったのだろう、カトレアさまの勇猛ぶりに軽く動揺しつつも、それを追って次に飛び出していったのはヒースであった。
さて、それでは残る二人はどうするべきか。
完全に出遅れたというか、カトレアさまの決断の早さに度肝を抜かれたらしいアネモネは狼狽えてしまい、即座には動き出せそうにないようだった。
対して、サレナは逆に奇妙なほど冷静だった。
カトレアさまの性格と行動力をよくわかっていたからというのもあるし、生来の図太く泰然とした神経のせいでもあった。
その図太い冷静さで、サレナは瞬間的に思考を巡らせる。
突っ込んでいった二人を追うのもいいだろう。
だけど、それであの不気味な男からどうやって手首を握り潰されようとしている不良生徒を引き剥がすべきか。
今までの常軌を逸しているような言動を見たところ、どう考えても言葉で注意や警告をしたところであの男は止まりそうにはない。
そうなると実力行使しかないわけだが、全員で掴みかかってもあのとんでもない膂力を振りほどかせられる確証もない。
「――――」
そこまで考えたところで、サレナは即座にその決断をした。
有効な手立てを思いつけない以上、突撃の選択はない。
かといって、ヒースならともかく先に突撃してしまったカトレアさまにあの男への実力行使による対処という危険を冒させるにはいかない。
そうなると、求められる結果は、"カトレアさまが到着するより先に、あの男を不良生徒から引き剥がしておく"というものになる。
であれば、この状況下と残り時間で自分が打てる最善手はこれしかないだろう。
サレナは片腕を突き出して構えると、その周囲に緑色の発光回路を展開する。
魔術であの男をここから狙撃して無力化する。
サレナが選択した行動はそれだった。
大丈夫だ、自分にはそれが出来る。
サレナには溢れ出さんばかりの自信があった。何せ自分はこの世界最強の魔術士なのだから。
その確信と共に、サレナは躊躇なく魔術を放った。
サレナがその時選んだ魔術は"風弾"。
石を飛ばす"石弾"では、どれほど威力を調整したところで人間にモロに当てるのは流石にマズい。意識外からの狙撃となれば尚更だ。
なので、石の代わりに風を圧縮して固めた弾を飛ばす。
弾丸の衝突による物理的ダメージを与えるというよりも、衝撃だけを与えて頭を揺らし、無力化するイメージだ。
風であればそれには最適だと思われた。何より当たった後に散ってしまえば証拠も残らないし。まさに完璧。
ということで、サレナ自身も弾道を追えるように薄く緑色に発光させた風の弾丸が、こちらから見える男の側頭部めがけて猛スピードで一直線に飛んでいく。
それは今なお走り寄っていく最中だったカトレアさまとヒースを軽々追い越し、その場の何よりも早く男へと迫った。
誰もがそれに気づかないまま、着弾する。
「――――っ!?」
だが、そう思われたその瞬間、サレナは目を疑う光景を目にした。
「――――何だ?」
側頭部目前まで風弾が迫ったところで、男が超人的な直感で何かを感じ取ったのだろうか。
そうとしか思えない反応で即座に不良生徒の手首を握り締めていた両手を放すと、その片方を正確に風弾の方へ向けて、捕球するようにそれを掴み、握り潰した。
握り潰された風弾は単なる無害な風となって散ってしまったようだった。
「――っそでしょ……」
一部始終を見ていたサレナは、あまりの人間離れしたその芸当に我知らず呆然とそう呟いてしまう。
そんな中で、それどころかその男は正確に風弾が飛んできた方向を見極め、その先にいるサレナの方へ視線を向けてきた。まるでサレナがそれを飛ばした犯人だと確信したように。
「…………っ!?」
そして、男は口元を歪めて薄く笑った。嬉しそうに、面白そうに。
それを見てしまったサレナの背筋をゾクゾクとした悪寒のようなものが走り抜ける。
何だ。一体何者なんだ、あの男――。
「――あれ……?」
そう思った瞬間、サレナの頭の中に突如、奇妙な違和感のようなものが発生した。
違和感。
そう、実は何者なのかを考えるまでもなく、自分はそいつのことを知っているような、そんな――。
「おやめなさい!!」
だが、それが何なのかを深く追求する前にカトレアさまのそんな声が聞こえてきて、サレナはハッとする。
その声の先に視線を向けると、ようやく事態が起こっている現場まで駆けつけたカトレアさまが大きく両手を広げ、その後ろに不良生徒達を庇うようにして男との間に割って入っていた。
そんなカトレアさまの背後では、まだ手首の痛みに泣きながら呻いて座り込む一年生不良をその仲間とヒースが何とか助け起こして、男から距離を取ろうとしている。
こうしてはおれない。
サレナは自分と同じく呆然としていたがどうにか気を持ち直したらしいアネモネと目配せをすると、自分達もそこへと駆け出していく。
「……お前、カトレアか?」
だが、立ちはだかるカトレアさまの顔を確認したその男が、まるで昔からの知己であるかのようにそう彼女の名前を呼んだ。
その声を聞いたことで、駆け寄る途中のサレナの頭がまたも違和感でぐにゃりと揺れる。
何でだ。どうして、あの男はカトレアさまのことを知っている。
それだけじゃない。どうして、私は、あの男がカトレアさまのことを知っていることを、まったく当然のように受け止めてしまっている。
私は、私は何かを忘れている? 何を忘れている?
……違う、そうじゃない、私は――。
私は、一体あの男についての、何を記憶している。
サレナの思考がそこへ至った瞬間、どうしてか今までどこかモヤがかかっていたようにぼんやりとしていたその男の顔が、はっきりと認識出来るようになった。
無造作な黒髪。
その下にある、これまで関わり合いになってしまった美男子達と遜色なく並ぶレベルの、美しく整った相貌。
だが、その顔は美しさと同時に、どこか狂気の滲み出す凶暴さに彩られているようであった。
そんな新たなタイプの美形の顔にどこか残忍で冷たい印象のする薄笑いを浮かべながら、その男はサレナにとって決定的な一言を口にする。
「おいおい、何とか言えよ。まさか数ヶ月会わなかったくらいで、"婚約者"の顔を忘れたわけじゃないだろう?」
その言葉を聞いた瞬間、ずがんと、サレナの脳天に雷が落ちてきた。
もちろん、そんな気がしただけのことである。
だが、それくらいの精神的な衝撃と共に、サレナの――いや、"私"の中の、その男に関する記憶が急速に甦った。
ああ、そうだ。どうして、今の今まで忘れてしまっていたんだ。
あの男は、あいつこそは――。
「グラディオ……!!」
問われたカトレアさまが驚いたようにその男の名前を口にする。
同時に、それを聞いたサレナの頭の中に、まるで答え合わせをするかのようにその名前が浮かび上がった。
グラディオ。
グラディオール・フォン・レーヴェンツァーン。
それは、この世界の元である乙女ゲーム『Knight of Witches』の攻略対象キャラクターの一人に与えられていた名前。
そして、目の前に現れたこの男こそがまさしくその張本人であると、甦った記憶が指し示していた。
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第二対決 VS 婚約者(グラディオール・フォン・レーヴェンツァーン)
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