後日談から始まって ―7
一方、食堂ではヒースの予想通りに大変な光景が繰り広げられていた。
『学院の白き王子』――その異名の通り、美しい金色の髪を綺麗に切り揃えた、まったく王子様然とした雰囲気のアドニス。
彼が食事をしている席の周りを恐ろしい数の女子生徒が遠巻きに取り囲んでおり、その王子様の優雅な食事姿にうっとりと見惚れつつも――。
「あっ、あの! アドニス様! よっ、よろしければ、私も席をご一緒させていただいても、よろしいでしょうかっ!?」
極度の緊張に声を上擦らせ、頬を真っ赤に染めつつも、どうにか勇気を振り絞った様子の一人の女子生徒がアドニスの元に近寄り、そう伺いを立てる。
そう。アドニスを取り囲む女子生徒達はその食事姿を眺めるだけではなく、こうしてあわよくば彼と食卓を共に出来ないものかと、それを申し立てにいく機会を窺っているのだった。
だが、そんな女子生徒達が全て一枚岩というわけではない。
互いにいつ仕掛けるのかを探り合い、誰かの抜け駆けを無言で牽制し合っているせいで、一種の膠着状態に陥ってもいた。
そんな状況の中を見事に抜け出して突撃を敢行したその女子生徒は、なけなしの勇気を振り絞った様相とはいえ、相当に度胸がある方だったとも言えるだろう。
さて、そんな彼女のストレートなお伺いに対して、王子様は如何なる返答をするのか。
全員が固唾を飲んでそれを待つ中で、アドニスは食事を中断してその女子生徒の方に振り向くと、まず優雅に微笑みを返す。
「――ありがとう。とても嬉しい申し出だけれども……すまないが、今は遠慮させてもらえるかい? 今日は――」
そして、そう言いながらアドニスは対面へと視線を流し、
「久しぶりに、ロッサと二人だけで食事をしたい気分なんだ。だから、ごめんね」
その微笑みに若干の申し訳なさを滲ませながら彼が視線で示す先には、真っ赤な髪を無造作に後ろで束ねた伊達男ことロッサが座っていた。
そして、これまた優雅に、ともすればどことなく色っぽさすら感じる所作で食事を取っている。
彼はアドニスと女子生徒の視線が自分に注がれていることに気がつくと、にっこりと笑って片目をつぶってみせた。
「わっ、わっ、わかりましたっ! そ、そういうことであれば、ごゆっくり! お二人だけで、どうぞどうぞ!! こちらこそお邪魔して本当に申し訳ありませんでしたぁ~!!」
そんなロッサのウインクを受けたその女子生徒は何故だか一気に顔を真っ赤に染め、大声でそう叫びながら頭を下げると、すぐさま踵を返して取り囲む女子生徒達の中へと走り去っていった。
一体彼女の頭の中ではどんな解釈が成されてしまったのだろうか。
さらに、それはその女子生徒ばかりではなく、耳をそばだてて先ほどのやり取りを聞いていたその他大勢の女の子達まで同様の受け取り方をしたらしい。
彼女達は小さくざわめくも、それは決して食事を共にするチャンスがなくなったことへの落胆ではなかった。
むしろ、それは何か予期せぬときめきを得られたが故の歓声に近く、そこからは「それはそれで」という納得と共に女子生徒達は二人の食事を邪魔せずに見守る方針へとシフトしたようだった。
「……俺としちゃ、こうして男二人だけで顔突き合わせてるよりかは、今のあの子みたいなかわいい女の子と楽しく食卓を囲みたいんだがね」
「仕方ないだろう……それとも、君は僕達を囲んでいる全員と一斉に食事が出来るのか?」
肩を竦めながらそうこぼすロッサへ、アドニスは冷ややかにそう切り返す。
言われたロッサはちらりと視線だけで女子生徒達を見回すと、諦めたような溜息を吐いた。
流石の好色家でもそれは無理だと判断したらしい。
「まったく……お前さんのおかげでいい迷惑を被ってるよ、こっちは。モテるにしたって限度ってものがあるだろうに、ご相伴にあずかるのも腰が引けるレベルとはな。まさに天晴れ、大したもんだ。この俺ですら素直に白旗を上げてやるよ、誇るがいいさ」
「そう捻くれるなよ、当てつけがましい物言いもやめてくれ。親友の窮地だぞ、少しは素直に協力してくれてもいいんじゃないか?」
まあ情けないにも程がある窮地であることは認めるが。
そう付け加えると、アドニスは若干疲れたように嘆息する。
「それだよ」
そんなアドニスに対して、ロッサは食事に使っていたフォークの先を突きつけるとこう言い放つ。
「そもそもお前さんが素直にカトレアからの告白を受け入れてさえいれば、こんな面倒くさい事態にもならなかったし、俺も巻き込まれずに済んだんだ。果報者め。あんないい女が自ら想いを告げてきたんだぞ、二つ返事で受け入れておけばよかったものを。まったく何を考えているのか、俺には到底理解出来ないな」
それを聞いたアドニスは、温厚な彼にしては珍しくその目に反射的な怒りを宿して、目の前の軽薄な笑みを貼りつけた男を睨みつける。
「本気で言ってるのか? こういった瑣事に手を焼かないで済むように――それだけのために彼女の想いを受け入れて、利用しろとでも?」
そうして、まさしく清廉にして潔白という心根もそのままに凛とした声で言い放つ。
「彼女はどこまでも真剣に、本気の想いを伝えてくれたんだ。それに対して、こちらは深く考えもせずに軽く、その場しのぎで適当にただ受け入れるなんてこと、出来るはずがないだろう」
珍しくそんな風に食ってかかってきた親友に、しかしロッサは動揺することもなく落ち着き払った言葉を返す。
「さあな。俺はただ、お前さんがどうしてカトレアの告白を断ったのか、その考えが理解出来ないと言ってるだけさ。そして、そこのところを詳しく聞いておきたいとも思っている」
それから、ヒートアップしかけている相手と相反するように、どことなく冷めた目と声をロッサはアドニスへと向ける。
「実際、こうして面倒事にも一緒に巻き込まれてやってるんだ。少なくとも、そうなった原因を訊ねる正当な権利が俺にはあると思うんだが、どうだい? 話したくないならそれでもいいが……」
ロッサは敢えて最後まで言い切らなかったが、その目はアドニスがそうした場合こちらにも考えがあると言外に語っていた。
少なくとも、こうして昼食に付き合ってくれることはなくなるだろう。カトレアと同じように。
「…………」
アドニスは無言で目を伏せると、少し考え込む。
別にロッサの協力、その継続だけが目的というわけではない。
たとえそれがなくとも、目の前の相手には話しておくべきなのかもしれない。
アドニスは素直にそう思っていた。こんなこととは関係なく、向こうにもそれを問いただす権利があるとも。
ロッサにとってもカトレアは親友だ。その親友が失恋し、傷ついている。そのことに対して納得のいく経緯を知りたがるのも当然だろう。
ましてや、その失恋の相手がもう一人の親友である自分なのだから尚更だ。
三人の関係のこれまでを清算し、これからをどうするのか考えていくためにも、この説明は必要なことだと思われた。
「……わかったよ」
アドニスは観念したような溜息を吐くと、ぽつりぽつりと語り始める。
「カトレアのことは、嫌いじゃない……むしろ好きだよ。大好きだ。僕にとって、かなり大切な存在だと言えるくらいに」
「それはわかってるよ、傍からずっと見てたんだからな。俺が知りたいのは、それなのにどうして断ったのか、だ。それだけハッキリ好きだと言えるくらいなんだから、いっそ恋仲になるというのも悪い選択じゃなかったろうに」
そんなロッサの直裁的な物言いに若干顔をしかめつつも、アドニスは真剣な調子で、誰にも言わなかった心の中の秘密を取り出して口にする。
「……それが出来ないくらいに、きっと、僕達は互いに近づきすぎていたんだ。距離を縮めすぎてしまった。相手を好きになりすぎてしまった。何もかもを一気に飛び越えて、相手を家族だと思ってしまうくらいに」
もっとも、そう思っていたのは僕の方だけだったみたいだけどね。
アドニスはぼんやりと、どこか遠くを見ているような目で語り続ける。
「小さな頃からずっと、同じ道を並んで歩いてきて、いつの間にか僕は彼女のことをまるで兄妹――いや、この場合同い年だから双子と言った方がいいのかな、とにかくそんな存在に感じてしまうようになっていた。時には愛しい姉のように偉大で頼りになり、時には可愛い妹のように危なっかしくて放っておけない。そんな、かけがえのない存在であり、家族に近い相手さ、僕にとってのカトレアは。だけど――」
それから、アドニスはロッサへ真っ直ぐに視線を向けると、言う。
「たとえどれだけ愛おしく思っていても、家族に恋はしないだろう? というよりも、出来ないはずだ。何を意識せずとも自然とそうなる相手が家族だと、僕はそう思っている。そして、僕はカトレアに対してもそうだった……それだけだよ。彼女に告白されて、想いを告げられて、嬉しく思う気持ちは確かにあった。このままそれを受け入れるのもいいかもしれないともちらとは思ったさ。だけど同時に、僕の胸はそれを聞いても残酷なくらい高鳴ってはくれなかった」
そして、その表情を少し哀しげな笑顔に歪めながら、
「そこでようやく、僕は彼女のことを愛おしくは思えても、彼女に恋することが出来ないんだとわかってしまった。今まで真剣に恋をした経験もないけれど、きっとこの気持ちとは違うものだということくらいはわかる。そして、片方だけが恋心を抱いていても、もう片方が抱いていないような状態で恋仲にはなれないだろうと思った。たとえ、その事実から目を背けてそういう関係になったとしても、僕がそんな不誠実さを抱えたままでは、今ここで断るよりも余程手酷く彼女を将来的に傷つけることになるんじゃないかと、そう感じたんだ……」
そう言い切ると、アドニスは嘆息した。
「だから、断った。彼女の想いを受け入れなかった理由は、それで全部だよ。これで納得してくれるかい」
積極的には話したくなかったことをどうにか話し終えた。そんな苦さを声に乗せながら、アドニスはそう言った。




