いつかあなたに伝える(わる)想い ―9
明けて翌日、その日の授業を全て終えたサレナは、いつものように生徒会室を目指して歩いていた。
そうしながら、昨夜の顛末について思い返す。
寮には何とか見つからずに辿り着いたものの、流石に見咎められずに正面玄関から入るのは無謀だった。なのでサレナとカトレアさまは二人で壁をよじ登り、サレナの部屋の窓から中へと戻った。門限破りの帰宅方法としてはまあ常套手段でもある。
窓から二人が戻ってきたのを確認した途端、今度はずっとそこで待機していたアネモネが感極まってカトレアさまに抱きつくとそのまま泣き出したので、二人は困り果ててしまった。
とはいえ、心配をかけたのも事実なので好きなようにさせるしかない。
アネモネがどうにか泣きやむまで、カトレアさまは優しくあやし続けるしかなかった。まあ自業自得であるとも言える。
ヒースはすでに使い魔で連絡していたおかげで部屋に戻っており、その光景を何だか気まずそうに眺めていた。
サレナが「ありがとね」と素直にお礼を言うと、仏頂面で「おう」とだけ返事を返してきた。
その後でようやくアネモネを泣きやませたカトレアさまが「ヒースくんも探してくれていたのよね? ごめんなさいね、心配と迷惑をかけてしまって」と申し訳なさそうに頭を下げると、「いえ、そんな……」などと慌てながら畏まっていた。何だその態度の違いは。
カトレアさまのルームメイトはカトレアさま不在の間「彼女は今、体調不良で寝込んでいる」ということで何とか誤魔化し通したらしく、カトレアさま門限破り事件は他の人間にまったく知られることなく密かに解決された結果となった。
アネモネがそのルームメイトさんに連絡すると、何故かサレナ達の部屋までその人がカトレアさまを引き取りに来てくれた。
心底申し訳なさそうな顔で「ごめんなさい」と頭を下げるカトレアさまに、その人は誰よりも心配させられた分詳しい事情を聞きたいだろうにそうしようとはしなかった。代わりに無言でその肩をぽんと叩くと、"何も言わずともよい"という風に頷いて、二人で部屋へと戻っていった。
流石、あのカトレアさまのルームメイト先輩……と、三人は妙な尊敬の眼差しと共にそれを見送るばかりであった。
結局、そんな風にしてその日の夜は以降何事もなく、いつも通りに流れていった。
一応、生徒会室で一緒に大泣きに泣いたことは二人だけの秘密にしてある。
とはいえ、戻ってきた時の自分達の様子や顔で何となくヒースとアネモネには何があったのか悟られてしまっているだろう。
おまけに、久々に子供のように大泣きしすぎたせいで、この翌日になってもサレナの目は若干腫れぼったいという有様であった。
この学院に知り合いも少ないサレナであるが、それでも事情を知らない人にこの顔を見られたら何と言われるのかと思うと多少気が重い。
「…………」
気が重いといえば、そもそも今から生徒会室へ向かうのだって本当は気が重かった。
というよりも、気まずいと言うべきなのか。
そりゃ、カトレアさまとは会いたい。
特に昨夜あんなことがあった後だ。普段通りのカトレアさまに戻られているのか、様子を確認したいという気持ちは大いにある。
しかし、予定通りに告白出来たものの、結局カトレアさまはアドニスにフラレてしまった。しかも、それがまだ昨日の話なのである。
そんな二人が顔を合わせて、どんな雰囲気になるのかをサレナは想像も出来ないし、目の当たりにしてしまいたくもない。
アドニスなんぞはどうでもいい。ただ、カトレアさまが彼と顔を合わせることで少しでも何かを思い出してしまい、辛そうな様子を見せるところを、サレナは見たくなかった。
そうするくらいなら、心の傷が癒えるまでいくらでも生徒会など休んでいてくれていいとサレナは思っていた。その分自分が頑張って働くし。
だけど、カトレアさまはきっと現れる。
様子を心配する気持ちがありつつも、同時にサレナの中にはそんな確信も存在していた。
普段通りに、まるで何事もなかったかのように。いつもの気高く、美しく、凛々しいカトレアさまとして、逃げずに生徒会へ来るだろう。だって、サレナの憧れのあのカトレアさまだもの。
というのであれば、サレナも当然逃げるわけにはいかない。勇気を振り絞って、そのお姿を見届けるより他ない。
まあ、本当のところを言えばそれだけではなく、カトレアさまを袖にしたというアドニスのあの憎たらしい美形の面をしばらく拝みたくないという気持ちも強かったりするのだが。
それを考えるだけでこの瞬間にもサレナはむかっ腹が立ってきてしまう。ちくしょう、あんにゃろうめ、顔も見たくないとはまさにこのことか。
しかし、そういう時に限ってその相手とはち合わせてしまうというのが、主人公の生まれついてしまった忌々しい運命である。
そうしてサレナがモヤモヤとしながら重い足取りで廊下を歩いていると、向こうからその人影が近づいてきていることに気がついてしまった。
サラサラとした輝く金色の髪。純白の制服ローブ。遠目に見ても一発でわかる、言うまでもなくその顔も見たくないくらいに憎っくきアドニスである。
サレナは一瞬立ち止まり、自分の精神的な安定のために踵を返して逃げるべきかどうか迷った。
しかし、運悪くほとんど変わらないタイミングで向こうにも気づかれてしまったらしい。少し歩調を早めてこちらへ近づいて来ている。
となれば、流石にこの状況で逃げ出すのは不自然だし失礼過ぎる。
別に、今は憎らしい相手とはいえ、不必要にこの学院での数少ない知り合いとの人間関係を悪化させたいわけではない。一応、カトレアさまの恋していた人でもあるし。
サレナは諦めて嘆息すると、自分もその人の方へ逃げずに真っ直ぐ向かっていくことにした。
「やあ、サレナさん」
「……どうも」
会話が成立する距離まで近づくと、アドニスはサレナへ爽やかに挨拶をしてきた。
サレナもややぶすっとした表情ではあるものの、会釈して挨拶を返す。
「君も、これから生徒会室?」
「ええ、まあ……」
「そう。なら、僕もそのつもりだったし、折角だから一緒に行こうか」
冗談じゃないと言いたい申し出だったが、断れる理由もない。
サレナは渋々「ウッス……」とまったく可愛くない返事をして、移動を再開しようとする。
「…………?」
しかし、何故かそれを持ちかけてきたアドニスの方が立ち止まったまま動こうとしない。なので、サレナも歩き出すのを一旦中断してしまう。
何だ一体。サレナが憮然としながらアドニスを見ると、向こうは何やら不思議そうな、あるいは心配しているような表情で、サレナの顔を真っ直ぐ見つめてきていた。
「サレナさん……昨日、何かあったのかい?」
そして、唐突にそう問いかけてきた。
その言葉に何かの嘘がバレた時のようにドキリとしつつも、サレナは咄嗟に、
「いえ、何も――」
誤魔化す言葉を口にしようとして、途中で噤んでしまった。
そして、アドニスから顔を逸らしてしまう。
何もなかった、なんて言えない。
だからと言って、正直に話せるわけもない。あなたが間接的な原因です、だなんて。
それだというのに、どうしてこの人はそんな理由である時に限ってサレナの異変に気づいてしまうのか。
……いや、ああ、原因はこの顔だな。泣き腫らした跡がまだ残っているせいで何かを察して、心配してくれているのだろう。
何て細やかな気遣い。鋭い観察眼。どうしてそれを、サレナなんかじゃなくてカトレアさまに向けてあげられないのだろう。
しかし、そんなことをぐるぐると思いながら黙り込んでしまったサレナを見て、アドニスは何か言いにくい悩みがあるのだろうと考えたようであった。
「……サレナさん、もしも何か学院生活で困っていることがあるのなら、気軽に何でも相談してくれていいんだよ。君は特に、色々と大変な立場だからね。先輩として、少しでも助けになってあげたいと思っているんだ。それを忘れないで欲しい」
そして、穏やかに微笑むと、サレナを安心させるように優しくそう言ってくれた。
どうやらサレナの学院におけるデリケートな立場によってその悩み事が発生しているのだと思い、それを気遣ってくれているようだった。
ああ、なんて、どこまでも素敵で、優しくて、気配りの出来る、素晴らしく完璧な王子様なんだろう。
だが、そう言われた瞬間にその全ての要素が、一気にサレナの神経を逆撫でした。
サレナは思わず呆然と、気の抜けたような表情をアドニスへ向けてしまいながら、思う。
……ああ、この人って結局、どうしようもなく私みたいな女の子が気になってしまうタイプなんだな。
誰に対しても王子様であり続けたい人。隣に並ぶ誰かより、守るべき誰かを求めてしまう性格。
けれど、まあ、それは別にいい。
自分がどんな性質や性格になってしまうのかは選べない部分もあるし、選べる部分にしても個人の自由だ。好き勝手にしたらいいと思うし、それを責めるつもりもない。
あなたがカトレアさまをフったことにも、私にはわからない、あなた自身の中の複雑な想いがあるのだろう。
少なくとも、あなたが運命でそう定められているからそうしたわけではないことはわかっている。
だって、私は知っている。あなたも私と同じ、カトレアさまと同じ、他のみんなと同じように、自分の心を持ってこの世界に生きている人間で、ゲームのキャラクターなんかじゃないのだもの。
きっと、その心でしっかりと受け止めて、考えて、向き合った上で――その上で、あの人の想いを断ったのだろう。
そこのところを非難しようという気持ちは全くない。全部、納得もしてあげられる。
それを理由に、あなたを恨んだり憎んだり、害してやろうというつもりは全くない。
だけどね――。
「……学院生活で困ってること、一つだけあります」
サレナはその、喜怒哀楽のどの感情でもないような表情のまま、平坦な声でそう言った。
「……なんだい? 話せることなら――」
サレナの言葉に対してそう気遣うように優しく語りかけてくるアドニスへ、
「あれだけ言って、これだけ態度に示しているのに、私、まだか弱くて、守ってあげたい感じの女の子に見られてしまうみたいなんです」
その言葉をピシャッと遮るようにして、淡々とした調子でサレナはそう言い放った。