いつかあなたに伝える(わる)想い ―7
思った通り、誰もいない夜の学院の中――生徒会室にその人はいた。
たった一人でいつもの自分の席に座って、ぼんやりとした様子で窓の外を眺めていた。
明かりはまったくついていない。だというのに、その姿がハッキリと視認出来るくらいに、窓から月明かりが部屋に注いでいるのだった。
今夜は満月か。そこでようやくサレナはそんなことに気づく。
青白い月光に照らされるその人の整った横顔は、思わず妖しさを覚えてしまう程に美しかった。
何やら物思いに耽っているような、喜怒哀楽のどの色でもない透明な表情だというのに、それがむしろその透き通る水晶のような美しさを際立たせていた。
その人はきっと、サレナが急いで走ってきたことにも、ドアを開けてその姿を見て、それに魅入られたように立ち尽くしていることにも、とっくに気がついている。
だというのに、窓の外をぼんやりと眺めるその姿勢から動こうとはしなかった。
サレナは乱れた呼吸を整えながら、固まってしまっていた自分の体をどうにか動かして部屋の中に入り、ドアを閉める。
「カトレアさま……」
そして、その人の名を呼びながら、その傍へと近づいていく。
「サレナさん……」
名を呼ばれたカトレアさまの方も、椅子から静かに立ち上がるとサレナの名を呼び返し、自分の方へと近づいてくるその姿と向かい合う。
「…………」
月明かりを背にするカトレアと、月明かりに照らされるサレナが、真正面で向かい合う形になって、そこで立ち止まった。
サレナがそうしながら、しかし何を言うべきなのか迷って何も言えずに見つめ続けることしか出来ない中で、先に口を開いたのはカトレアの方からだった。
「……サレナさん、私ね……」
カトレアは透明だった表情を、困ったような微笑みのそれに変えながら、言う。
「フラレちゃったわ」
それを聞いたサレナが我知らずその顔と体を強張らせる。だが、それに気づいていないかのように、カトレアはその微笑みのままで言葉を続けていく。
「あれだけ大見得切っておいて、情けないわよね……ごめんなさい。結局、あなたにハッピーエンドを見せてあげることは、出来なかったわ……」
そして、次にその声を努めて明るい調子にしながら、
「でもね、何でかしら……自分でも不思議と、後悔だとか、落ち込む気持ちが湧いてこないのよね……。むしろ、これで良かったような気がしているの。すっきりした気分って言うのかしら。……今日のデートは、本当に楽しかったわ。彼とこうして初めて、まるで恋人同士のように街に出かけて、遊ぶことが出来て……とても、満足した気になれた」
サレナへ向かって約束していた報告をするように、カトレアは話し続ける。
「あなたとしっかりしたデートプランを練っていたおかげね……本当にありがとう。そして何より……彼に、告白出来て良かった。勇気を出して、自分の想いを伝えることが出来て、本当に良かった。結果は……断られちゃったけど。でも、それでもいいの」
カトレアは何かを振り払うように目を伏せながら頭を軽く振って、言う。
「……あなたが前に言ってくれた通りね。自分の想いを伝えも、伝えられもしないまま――あなた達と計画して頑張ってきたこんなデートや、彼と結ばれるための色々なアプローチもしないままで、ひっそりと全てが終わっていたとしたら、私はきっと死ぬほど後悔していたわ。そして、今よりももっと手酷く傷ついていた。好きな人と結ばれるために何もしなかった、何も出来なかった臆病な自分というのを抱えたままで、ね……」
それから、カトレアはどうにかその微笑みを濃くして、朗らかな笑顔を作ってみせた。
「だから、あなたのおかげで、私の願いはしっかりと叶ったわ。彼としてみたいと思っていた色々なことを、こうして今日でほとんど叶えられた。彼の心を動かすことは出来なかったけど、全力で自分の想いを伝えることも出来た。私の大事な恋心を、胸にしまったままじゃなくて、最後に目一杯、輝かせてあげられた。それだけでも十分よ。本当に悔いはない。…………ああ、だけど……」
そこでカトレアは少しだけ後ろを振り向き、いつも彼が座っているその席を見つめながら、ぽつりと呟く。
「……全部、終わっちゃったのね……私の恋……。ずっとずっと、小さな頃から大事に抱き続けてきた、アドニスへの想い――」
そうしながら、カトレアは少しだけ目を細めて、その向こうに思い返す。
まだ学校にも通っていないような歳の時に、社交パーティーで初めて出会ったあの時のこと。
それから交友を深めていく内に、彼の輝くような人柄やその才能、全てに惹かれていったこと。
学院に入学してからはお互い競争相手として切磋琢磨しながらも、同時に大事な友人として常に一緒に歩いてきたこと。
そんなこれまでの光景がおぼろげな視界の中に浮かび、そしてどこかへ過ぎ去っていくのを遠い目で見送った後で、カトレアは正面へと顔を戻す。
そこでようやく、初めて気づいた。
「――馬鹿ねぇ……」
そして、思わず苦笑しながらそう言ってしまう。
「どうして、あなたが泣いているの?」
カトレアが真っ直ぐ視線を向ける先。
月明かりに照らされる可憐な黒髪の少女は、口を真一文字に引き結んでどうにか声を漏らさないようにしつつも、こらきれない大粒の涙をぼろぼろとこぼしながらこちらを見つめていた。
「――っ、カっ、カトレアさまが、泣かないっ、からですっ」
そして、その身体と声を震わせ、しゃくりあげながら少女はそう言ってくる。
「こういう時はっ、泣いてもいいんですっ! 泣くべきっ、なんですっ! 悲しい、です、よねっ? 悲しくないはず、ないですよねっ!? なのにっ、どうして、笑っているんですかっ! 逆に、こっちがっ、聞きたいですっ!」
少女は大粒の涙を流して泣きながらも、まるで怒っているような調子で言葉を放つ。
「だからっ、私はっ、泣くんでずっ! カトレアざまがっ、そうやってっ、何もかも隠してっ、強がっでっ……! いつもみたいにっ、振る舞おうとするのならっ……! そうすることしがっ、自分に許してあげられないっ、のなら……っ!」
最後に少女はありったけの想いを籠めた視線でカトレアを睨みつけてくると、一際大きな声で叫ぶ。
「カトレアさまの代わりにっ、私がっ、こうしてっ、泣きまずっ!!」
そう言い放った後で、遂に我慢が出来なくなったのか、ダムが決壊するかのように、サレナは大声を上げて泣き始めた。
「…………」
そして、その言葉を、その様子を、呆然と受け止めることしか出来なかったカトレアは、泣きじゃくるサレナを見て、逆に何故だか笑えてきてしまった。
「――もう、馬鹿な子ね……!」
慈しむような微笑みを顔に浮かべてそう言うと、カトレアは仁王立ちで泣き続けるサレナの身体を優しく、包み込むように正面から抱き締めてやる。
駄々をこねる子供をあやすように、優しくその背を叩きながら。
「――……ありがとう、サレナ」
囁くようにそう言うと、サレナの身体を優しく抱き締めたまま、カトレアもその肩を震わせ、静かに涙を流して、泣き始める。
サレナもそんなカトレアさまの様子に気づいて、自分も腕を回して抱き締め返すと、ますます子供のように大声を張り上げて泣く。泣いてみせる。
まるで自分がそうすることで、カトレアの泣く姿を世界から覆い隠してしまえるように。
そんな風にして抱き合いながら、月明かりに照らされる夜の生徒会室で、二人の少女はしばらく声を上げて泣き続けたのであった。