いつかあなたに伝える(わる)想い ―3
「デートをしましょう!」
もうすっかり恒例となってしまった二人の生徒会室での休憩お喋りタイムに、サレナは努めて明るくそう切り出した。
「今度の休日に、カトレアさまとアドニス先輩の二人きりで『庭下街』にお出かけするんですよ」
庭下街。読んで字の如く、魔術学院――庭園の外に、それを取り囲むようにして広がっている街のことである。しかし、正式名称ではなく、学院生徒達の間での俗称となっている。
魔術学院自体が非常に広大かつ巨大なだけあって、それを擁する街自体も巨大にならざるを得なかった。
また学院に通うのは貴族ばかりということもあって、その豪奢な生活レベルや発達した文化に対応するためにも、街の施設と機能は必然高水準で最先端のものになっていった。
その結果、この地方(ラディクスと言うらしい)は、巨大な学院を中心として作られた華やかな都市といった様相を呈していた。
そして、学院生徒は外出許可を取れば休日にその庭下街へ出かけることが認められていた。もっとも、街の外まで出ることはよほど特別な事情があるか長期休暇期間中でなければ許されていなかった。
とはいえ、目の肥えた貴族達を満足させられるだけのものを集結させただけあって、庭下街は非常に都会的だった。
なので、大抵の目的は庭下街だけで済ませたり、満足することが出来るようになっており、学院生徒達が不満や不便を感じることは少なかった。むしろ、人によっては自分の故郷にいるよりも恐ろしく恵まれた学生生活を送ることが出来ると言えるだろう。
そして、もちろんナイウィチのゲーム内にもその庭下街は存在していて、休日には攻略対象キャラクターとのデートイベントを楽しめるようになっていた。
サレナは今回それを、二人の仲を進展させる新たな作戦としてカトレアさまに提案しているというわけであった。
「そのために、先週の休日にアネモネとヒースの三人で一緒に庭下街に繰り出して、色々見て回りながら意見を出し合い、究極のデートプランを練ってきたんですよ!」
サレナはあえて興奮しているようにテンション高くそう言うと、庭下街の地図に様々な書き込みを加えたものを机の上に広げる。
「女の子だけが喜ぶ場所ばかりじゃなくて、ちゃんとヒースっていう男性目線からの意見も取り入れていますので、きっとアドニス先輩の方も満足して楽しめるものになっていると思います!」
サレナはそう言いながら、先週の三人でのごたごただらけだったお出かけエピソードを交えつつ、地図に書き込まれたデートプランについてあーだこーだと楽しそうに解説していく。
このクレープの屋台でまずヒースがジャンケンに負けてトッピング全盛りを二人に奢る羽目になったんです、とか。
ランチはこの最近人気のカフェに入ってみて、スゴく店内の雰囲気も良かったし、量はちょっと足りなかったですけど、まあここもジャンケンに負けたヒースが全部払いましたね、とか。
ここはちょっと街の庶民階級向けの市場ですけど、色々食べ歩きも出来て楽しいんですよ、ここからヒースの懐がマイナスに突入したので二人でお金を貸してあげましたね、とか。
カトレアさまにもこの作戦が絶対盛り上がるし成功するものだと思っていただくために、サレナは一生懸命その中で巡るそれぞれのスポットを説明した。
「……――で、ここの運河はカップルに人気のロマンチックスポットでして、今回のデートの最後はここに来て、二人で夕陽を見ながら……」
地図の一点を指さしながらそこまで言った後で、サレナはふっと声を途切れさせる。
そして、顔を上げるとカトレアさまを真っ直ぐ見つめながら、真剣な声で告げる。
「――『告白』しましょう。このデートの最後に、ようやく、直接、アドニス先輩にその想いを言葉にして伝えるんです。きっと、もう十分にそれが成功するくらいには、カトレアさまはこれまで頑張ってアピールしてきましたもの」
そう言ってから、サレナはカトレアさまを安心させられるように明るい笑顔と声を作って、励ましの言葉をかける。
「大丈夫ですよ! こんなにも素敵で、かっこよくて、凛々しくて……私なんかよりも全然、遙かに魅力的で素晴らしいカトレアさまが告白してきたら、どんな男の人だってそれを断ったりなんかしませんよ! それくらい、『告白』っていう行為の威力は高いんです! だから、きっとアドニス先輩にもそれは通用します! そして、二人はめでたく想いが通じ合って、結ばれることになって――」
そんなサレナを――。
「……サレナさん」
制止するようにその名前を呼んでから、カトレアさまは穏やかに、そして少しだけ悲しそうに微笑みながら、首を小さく振ってみせる。
「……もういいわ」
そう言われて、
「――――っ」
サレナは一瞬言葉を詰まらせてしまうも、すぐにまた彼女を説得しようとする。
「いいわけないですよ! 大丈夫です、もう少しなんです! アドニス先輩の気持ちだって、きっとカトレア様に傾いて……」
「…………」
しかし、サレナのそんな説得にも、カトレアさまはただ黙って小さく首を振り返すだけだった。
「……これまであなたや、あなたの友達にも協力してもらって色々やってきたけど、結局アドニスの心は少しも動かなかった……。彼から私への印象も変わってないし、意識だってしてもらえていない。それくらい、いくら色恋沙汰に疎い私でもわかるわよ」
まあ、私達が彼を振り向かせる作戦に対して色々ドジを踏んだり失敗続きだったせいもあるのかもしれないけどね。
カトレアさまはそう付け加えて苦笑してみせる。
「……もしかしたら、結局最初から、アドニスは私のことを――」
そして、不意に寂しそうな笑顔になると、決定的なことを口走ってしまいそうになったカトレアさまを、
「――違いますッ!!」
サレナは大声を出して止めた。
「そんなことない! 絶対にそんなことはありませんから!! そんなこと、思ったりだってしないでください……!」
必死の形相と剣幕で、カトレアさまが口に出しそうになった言葉を、じめっとした場の雰囲気ごとかき消そうとするかのようにサレナはそう叫んだ。
「…………どうして?」
そんなサレナの剣幕に呆気にとられたような顔になりながら、カトレアさまは初めて、そしてここにきてようやく頭に浮かんだらしいその疑問を口にする。
「どうして、あなたはそこまでしてくれるの……? 自分のでもない、他人でしかないような、私の恋なんかのために――」
カトレアさまは真っ直ぐにサレナを見つめてきながら、透き通るような瞳で問いかけてきた。
「どうして、あなたの方がそこまで必死になって、祈ってくれるの……?」
そう問われ。
サレナは一瞬真っ白になってしまった頭で、無意識に、
「……好きなんです」
その言葉を、呟いてしまっていた。
「カトレアさまのことが、好きなんです」
そう言ってしまってから、ハッと我に返り、すぐさま取り繕うべきだと焦る気持ちと。
……ああ、きっと、特にそうする必要なんて本当はないんだろうな、という冷淡な思考が同時に生まれてしまう。
「こっ、恋をしているカトレアさまの姿が、大好きなんです、私は」
そうやって、咄嗟に誤魔化す言葉を繋げてしまいながらも、サレナは心の中だけで思う。
ここで、さっき湧き上がってしまったような衝動に任せて、自分の気持ちを、想いを、洗いざらい全てぶちまけてしまえたら、どんなにいいだろうか。
楽だろうか。幸せだろうか。
いや、本当はそうしたっていいんだ。
いつだって、私にはそう出来る自由があったはずなんだ。
だけど――。
だけど、その『好き』が、本当に正しく伝わることは、きっと、ない。
どれだけ『好き』だと伝えても、きっと私が抱いている本当の形として、伝わってくれることはない。
そして、仮に、万が一、正しく伝わったとしても、受け入れてもらえるはずなんてないんだ。
ああ、そうだ。
あなたの言う通りだよ、ロッサ。そんなこと、私が一番よくわかってるんだ。
想いを伝えてしまって、今までの関係が壊れてしまうくらいなら、隠したまま傍にいる方がずっと幸せだ。
そんなことわかってる。けどね――。
それ以上に、苦しいの。
想いが伝えられない。伝えても、きっと正しく伝わらない。取り合ってもらえない、受け入れてもらえない。
きっと、真剣に考えてすらもらえない。
そんな想いを抱き続けることは、こんなにも、身を裂かれるみたいに苦しいんだよ。
想いを隠して抱き続ける限り、この苦しみは終わらない。消えたりしないんだ。
伝えることを許されない想いは、もう自分の中の病気みたいなものなんだよ。
……ねえ、それじゃああなたは、自分の好きな人に、愛する人に、そんな苦しみをずっとずっと味わわせたいと思うの?
自分が感じている、この心をビリビリに破かれるような苦しみと、まったく同じものを。
そんなこと、出来るわけがないでしょう? 許せるわけがないでしょう?
だから、私は進むしかないの。進ませるしかないの。
それこそが愛する人の、本当の幸せに繋がるんだと信じて、必死で祈り続けるしかないんだよ。
「以前に、ロマンス小説が好きだって、お話しましたよね。あれと、同じなんです」
サレナは目頭に溜まる熱と震える声をどうしても意識してしまいながらも、どうにかこうにかその全てを押さえつけながら話す。
「アドニス先輩に恋をしているカトレアさまを見て、その姿を、どうしようもなく美しいと感じてしまったんです。こんなにも美しい恋心が、実って欲しいと、幸せになって欲しいと思ってしまったんです……!」
そして、その顔を無理矢理笑顔に変えてみせながら、サレナは言う。
「だから、私はカトレアさまを応援することにしたんです。その恋を成就させるために、協力することにしたんです。それじゃあ、ダメですか? 美しいと思ってしまった恋が実って欲しいと祈るのは、いけないことですか? 私は――」
頑張れ。今まで積み重ねてきた修行の成果を総動員して、自信満々に、堂々とした態度で、それを言い放ってみせろ、サレナ・サランカ。
「どんな恋物語も、最後はやっぱりハッピーエンドがいいんです! その結末じゃないと嫌なんです! 特に、身近にいる、大事な人のそれならなおさら当然です! そのためになら、私はどこまでだって必死になります! 当の本人以上にだって、必死になってみせますよ! 私が、カトレアさまのためにここまでするのは、それが理由です!!」
サレナのそんな、心からの叫びを聞いて――。
「……ふっ……ふふっ」
カトレアさまはようやく、笑ってくれた。
さっきまでみたいな寂しさや悲しさを湛えたものではなく、純粋に、自然な笑顔で。
そして、大声で叫んだことで息切れしてしまい、ぜいぜいと肩で息をしているサレナへこう言ってくる。
「ああ……それは確かに、必死になるのも納得できる……素敵な理由だわ」
そして、カトレアさまはサレナの方へゆったりとした足取りで近づいてくると、
「…………!」
優しくその頭を撫でてくれた。
突然のことに思わず戸惑いと緊張から身を固くし、頬を染めてしまうサレナ。
そんなサレナに向かって、カトレアさまは頭を撫でながら言う。
「ありがとう……。それじゃあ、そんな恋物語の大好きな後輩の頑張りに、報いてあげないといけないわね……」
そして、撫でる手を止めると、自分を見上げてくるサレナを真っ直ぐ見つめ返しながら、
「――任せてちょうだい。あなたが満足出来るような、最高のハッピーエンドを見せてあげるわ」
気高く、美しく、凛々しい。いつもの、そしてサレナの憧れたカトレアさまとしての態度で、自信満々に、堂々と、そう言い切ってくれた。
「――はい! 楽しみにしています!」
サレナもそれに満面の笑顔を返して応えると、二人はようやく本腰を入れて最後の作戦――デートプランの打ち合わせに入ったのであった。