菫色アプローチ大作戦 ―6
資料運びイベントからしばらく日を置いて、サレナは次のイベントを実行に移すことにした。
間隔を開けた理由は、あまり矢継ぎ早にやってもしょうがないから……、というよりもまずカトレアさまの心臓が保たないのであった。
何せ、あの資料運びイベントですらカトレアさま的にはキュンキュンきすぎてしまったのか、反動でしばらく何をするにもぼんやりしているような状態になってしまっていた。
それでも、いつもと同じように完璧な女王としての生活態度を傍目には一応維持出来てはいる。それだけでも流石というか大したものなのだが、よく見るとやたらと頻繁に溜息を吐いていたり、ぼんやり頬杖をついて遠くを眺めていたりして、挙げ句ほっぺたが常にぽーっと赤くなっている。恋する乙女オーバーフロー状態という感じであった。
なので、サレナや他の見知った人間であればすぐにその異常に気づいてしまう。
アドニスは「熱でもあるのかい」なんて的外れなのか当たっているのかよくわからないような心配をしていたし、ロッサは完全に異常に気づいていながらも面白がってニヤニヤしながら眺めていた。
まあ、そんな風に身内にバレたところでさほど問題ではないのだが、それでもサレナがそんな状態のカトレアさまをあまり人目に触れさせるのが嫌だった。
カトレアさまには常に美しく、気高く、凛々しくいて欲しい。こういう可愛いカトレアさまも実はそれはそれで大好きであることを否定しないが、それを知っているのはサレナだけでいいのだ。
それに、カトレアさまがそうなるのは本人が喜ばれている以上まあそれでもいいのだが、対してアドニスの態度に全く変わった様子が見られないのがサレナには引っかかってもいた。
あの時は二人が何となくいいムードになった気がしたので、ひとまず作戦は成功したものだと思い込んでいた。だが、どうもしばらく経ってから二人を見ていると、舞い上がっているのはカトレアさまだけのように思えるのである。
となると、この間のイベントはもしかしたらカトレアさまのアドニスへの好意が増大しただけで、アドニスからカトレアさまへの好意や印象はさほど変わっていない恐れがある。
いや、アドニスからしてみれば気絶して何も覚えていないまま自分がカトレアさまを助けたことになっていただけなので、それも当然といえば当然なのかもしれない。
もしかしたら、結局この間のイベントはあまり成功を収めたとは言い難いのかも……。
そう考えると、サレナは一体何がマズかったのだろうかと思い悩むより他ない。
しかし、そうやって落ち込んでばかりもいられない。
気を取り直して、次はもっと効果のありそうな――アドニスからカトレアさまへの印象が劇的に変化しそうなイベントを仕掛けていくしかない。
サレナはそう思考を切り替えると、あの自室での作戦会議の時に三人で選んだ中から、よりその成果が期待出来そうなイベントの実行を決意する。
「次は、"絡まれイベント"です!」
学院の裏庭にて、カトレアさまの前でグッと拳を掲げて見せながら、サレナは力強くそう叫ぶ。
そして、いまいちピンときていない顔で首を傾げるカトレアさまへと、今回実行する予定の作戦について説明を始めた。
このイベントは、端的に言ってしまえば、主人公が不良に絡まれているところをアドニスが颯爽と助けてくれるだけの、非常にベッタベタなイベントとなっている。
この魔術学院は貴族の通う名門校とはいえ、思春期の多感な子供達が数多く集まる以上、中には柄の悪い生徒というのも存在している。
その柄の悪い生徒達を主人公へけしかけて絡ませ、脅かすことでサレナを自主的に学園から退学させるか、あるいは心に傷を負わせてやろうと考えたのがご存知お邪魔キャラのアネモネ……では流石になく、これはその取り巻きが暴走して起こした事件となっている。
とはいえ、そんな風に取り巻きを制御出来なかったことも後々アネモネが断罪される原因の一つとなってしまうのだが、それはまあ置いておくとして……。
とにかくそのような思惑から、サレナは人気のない校舎裏にて柄の悪い不良生徒数人に取り囲まれ、脅かされてしまうことになる。
誰か助けて……!
恐怖のあまり涙を滲ませながらぎゅっと目をつぶって主人公がそう願った瞬間、偶然通りがかったのか何なのかどこからか颯爽と現れたアドニスが不良共を追い払い、彼女を救い出してくれる。本当にタイミングの良すぎる男である。
「大丈夫かい?」
そう問いかけられて「はい」と答えようとするも、恐怖の抜けきらない主人公は足をもつれさせてアドニスに抱きついてしまい、そのまま震えながら泣き出してしまう。
アドニスはそんな主人公が泣きやむまで優しく抱き締めながら、落ち着かせるように頭を撫でてあやしてくれるのだった――。
もちろん、これもアネモネからは「またしてもキュンキュンですわ~!」とのお墨付きをいただいているイベントである。
ベッタベタのベタもいいところなイベントであっても、王道はやはり強いということか。
しかし、今回サレナがこのイベントを選んだのは、そんな風に胸キュンという基準だけがその理由ではなかった。
ゲームにおいてはこういったイベントを通してアドニスがサレナのことを"守ってあげたい女の子"だと思っていくようになるのだが、その中でもこの絡まれイベントは"守ってあげたい"という印象を抱かせる点においては随一のものなのである。
何せ不良に絡まれている女の子を助けるというまさしく黄金パターン。これ以上に王子様の守ってあげたい欲をくすぐるシチュエーションがあるだろうか? いや、ない!
というわけで、そうやって不良に絡まれて怯えるカトレアさまをアドニスに助けさせることで、アドニスにとってのカトレアさまの印象を、彼の好みである"守ってあげたいタイプ"に寄せていく。それこそが今回この絡まれイベントの実行を決意した最大の理由であり、また目的でもあった。
まさしく成功しさえすれば絶大な成果の見込める作戦と言えるのだが、しかし、その実行のためには解決すべき問題点が二つ存在していた。
問題点の一つは、カトレアさまの性格であった。
ご存知サレナの憧れるカトレアさまは非常に強く、気高く、凛とした、まさしく『女王』と呼ぶに相応しい性格である。まあ、最近はそこに可愛さも加わってしまってきてはいるが……。
そして、何より勇ましい。
見知らぬ女の子を守るために単身で龍に立ち向かってみせる程なのだから、それはもはや女王を超えて勇者の域であろう。いくらなんでも勇ましすぎる。
そんなカトレアさまが、学院の不良生徒数人に絡まれたくらいで恐怖に怯えて震えてしまうものだろうか?
答えは圧倒的にノーだろう。むしろ囲んできた不良生徒達を一人でこてんぱんにノしてしまう想像しか出来ない。
なので、そこはどうにか頑張ってカトレアさまに"不良に絡まれることで怯える自分"というのを演じていただくより他なかった。
それをカトレアさまにお願いしてみたところ、「任せてちょうだい、私はこれでも演技派なのよ」と、お茶目に片目をつぶってみせながら快諾してくれた。
してくれたのだが、リハーサルということで行ってもらった怯える演技は、恐怖に震えながら誰かに助けを求める女の子というよりは、何だか追いつめられながらも最後まで心折れずに戦いの中での死を求める戦士のようであった。本当にこれでいいのか、かなり不安の漂う出来である。
大丈夫だろうか……。だが、演技派と自負するカトレアさまがこちらの指摘を受け入れて本番までにそこら辺を何とか修正していけることを祈るしかない。
そして、二つ目の問題点は、絡みにいく不良生徒がいないことであった。
ゲームにおいては主人公は華奢でか弱い女の子だったし、特別扱いの平民ということで周りから疎まれており、そんな彼女を脅かすための不良生徒など簡単に見つけられたことだろう。
しかし、今回の場合絡みにいかなければならない相手はあのカトレアさまである。
流石にどれだけツッパっていて素行が悪かろうが、学院における紫の女王に真っ向から喧嘩をふっかけるような度胸のある人間は存在していなかった。
誰だって命は惜しい。いや、流石にカトレアさまも絡んできた輩の命までは取らないだろうが……。
それに、今回の場合は本当に脅かしにいくわけではなく、あくまでも演技である。
だから、求められるのは本物の不良生徒というよりは、こちらの事情を明かして協力してもらっても問題がなくて、なおかつカトレアさまに変な怖れを持たずにある程度堂々と向かっていける度胸のある人間だった。その上で外見が不良っぽければさらにベネといえる。
しかし、そんな都合のいい人間が――いるじゃあないか、ピンポイントで。