恋するあなたに恋してる ―12
明けて翌日。
今日も今日とて事務仕事に勤しみつつ、またもサレナとカトレアさまは生徒会室に二人きり。
サレナは頃合いを見計らって休憩を申し出ると、真正面から向かい合って問いかける。
「それで、いかがでしたか?」
問われたカトレアさまはまず「うっ……」と言葉に詰まった顔をして、子供が何かを誤魔化すように視線を明後日へ逸らしたりしていた。
それでもじーっと真っ直ぐ見つめてくるサレナの視線に耐えかねたのか、やがて観念したように自分も真剣な顔になると、
「……サレナさん……」
サレナを真っ直ぐ見つめ返して、言う。
「――正直、信じられないくらいに面白かったわ」
――っしゃあ!
それを聞いたサレナは内心で渾身のガッツポーズを決めつつも、表面上は穏やかに微笑むだけに留めておく。
「そうでしょう、そうでしょう」
しかし、相槌を打つ声にどこか誇らしげなものが混ざってしまうことばかりは隠せなかった。
だが、そんなサレナの勝ち誇った声が気にならない程度にはカトレアさまも己の敗北を素直に認めているらしく、それどころか若干興奮したようになって感想を語り出す。
「もう、面白すぎて夜遅くまで繰り返し読んでしまったせいで、少しばかり寝不足なくらいよ。それくらい、本当に面白くて、何より素敵な物語だったわ。ロマンス小説がこんなにも出来の良いものだとは思わなかった……何事も実際に手に取る前からその評価を決めつけるべきではなかったわね。そこは心の底から申し訳なく思います、あなたにも謝らなくてはならないわね。ごめんなさい。でも、本当に面白いわね、これ……流石、愛好家であるらしいあなたが厳選した一冊とでも言うべきなのかしら。まず身分違いの恋という題材がとても素敵だったわ。貴族の間では中々出てこない発想よね、これは。それだけにとても新鮮だったし、それなのに心に響くものも多いのがとても不思議だけど、それも決して悪くない気分なのよね。そして、主人公の性格も素敵だけど何より相手役の――」
「――ま、待って待って待ってください!!」
目を爛々と輝かせて物凄い早口で感想を語り始めてしまったカトレアさまを、サレナは慌てて途中でストップさせる。
「か、感想はまた今度、別の機会にじっくりと聞かせていただきますから……!」
どうやらこのロマンス小説、生粋のお嬢様にとっては、その脳にとんでもない刺激と影響を与える劇物に過ぎたらしい。
自分の思惑通りどころか、それを遙かに超えて若干制御不能レベルまでいってしまったかもしれない成果に少し狼狽えつつも、サレナは何とか盛大に逸れかけた話を強引に本題へと切り換える。
「とりあえず今日は、カトレアさまの判定についてだけお聞かせください。どうですか? サレナは、ご自身と比較してみて、色恋沙汰についての知識が自分よりも"ある"と認められるのか、あるいは"ない"とみなされるのか……」
「…………」
真正面からそう切り込むと、カトレアさまは何かを考え込むように真剣な顔になり、黙り込んでしまった。
それからしばらくして、
「……あなたは、自分はこういったものの愛好家だと、自負するかのように言っていたわね? 参考までに、これまで一体どれほどの数のロマンス小説を読んできたのか教えてくれる?」
「カトレアさま……」
試すような、探るような目を向けてそう問いかけてきたカトレアさまに、サレナはふっと、不敵な微笑みを向けながら言い放つ。
「あなたは今までご自分が食されたパンの枚数を覚えておられますか?」
「――――ッ」
正直なところを言うとそう大した数でもないのだが、まあバレない限りは盛れるだけ盛っておこうということで、思いっきりハッタリを込めてのその答えだった。
しかし、それに案外ころっと騙されてくれたらしいピュアなカトレアさまは、「恐ろしい子……!」とでも言いたげな視線をサレナに向けてきた。
「これでご理解いただけたでしょう? そう、それほどの数のロマンス小説を読んできた私には今や手に取るようにわかるのです……男女の心の機微……恋愛の駆け引き……色恋沙汰に関する全てが……! それを駆使すれば、誰かの心を対象に惹きつけ、振り向かせることなど造作もないと言えるでしょう……!」
ここが好機と見たサレナは、水晶占いをする占い師のように怪しげな動きで手を動かしながら、おどろおどろしい調子でそう嘯いてみせる。
「…………!!」
だが、サレナのそんな冷静に見ればやや間の抜けた演出でも、心が揺らぎに揺らいでいる今のカトレアさまには十分な効果を発揮したらしい。
まるで雷に打たれたかのような衝撃を受けた顔つきとなったカトレアさまは、次にそのまま俯き、斜め下方向へと顔ごと視線を向ける。
「――お……」
そのまま少しだけ身を震わせながら、同時にその声も震わせつつ、遂にそれを口に出す。
「――お願いしても……いいのかしら……? あなたに……」
どうにか絞り出したという風なカトレアさまのその言葉に、サレナは穏やかに微笑みを返しながら、
「カトレアさま……」
「…………?」
何よりも優しい声でその名前を呼んで、顔を上げさせる。
「安心して、全てお任せください。そして――私のことは、『愛の伝道者』とお呼びください……」
「おお、ラブ・マスター……!」
カトレアさまは思わず、祈るような視線を向けながら何の疑いも持たずに素っ頓狂なその名前を呟く。完全に雰囲気に飲まれてしまっていた。
こうして、何だかんだで実は恋愛に対する知識や経験なんてドングリの背比べだったりする二人の、とんちきかつ先行きに不安しかない協力関係がここに成立してしまったのであった。




