恋するあなたに恋してる ―11
「あ、あなたが、私とアドニスをくっつけてみせる……ですって……?」
サレナに両手を握られたまま、虚をつかれた風な顔と声で、カトレアさまはその言葉の意味するものを確認するようにそれを自分でも口にする。
しかし、その直後にふっと鼻で笑うと、
「冗談も大概にしてちょうだい。まったく……」
いつもの悠然とした、落ち着き払った態度を取り戻しながら、嘆息しつつサレナの手を振りほどいた。
「冗談なんかじゃありませんよ」
「じゃあ、それ以外の何だと言うの?」
食い下がるサレナに、カトレアさまはやや苛立ちを滲ませた声を返す。
「あなた、私よりも年下よね? 私自身も色恋沙汰に詳しかったり慣れていたりするわけではないけれど、それでもあなたの方がそれについて自分よりも上だとは到底思えないわ。それなのに、あなたが私とアドニスをくっつけてみせるだなんて言葉、まともに取り合えると思う?」
人をからかうのもいい加減にしなさい。
そう言いながら、カトレアさまは不機嫌そうな様子で仕事に戻ろうとする。
そんな表情も絵になるほど美しいなぁ、などと思いつつ、当然サレナにとってもそういう反応をされることは予測済みだったので、それに対して用意していた"秘策"を予定通りに繰り出すことにする。
「そうですか……。では、もし、私の方がカトレアさまより色恋沙汰に精通しているとしたら――どうしますか?」
カトレアさまはまるで挑発するかのようなその言葉にややカチンとこられたのか、再びサレナに向き合って、鼻で笑う。
「ありえないわね」
「では、それがありえた場合、先ほどの申し出について真剣に考えていただけますか?」
しかし、サレナもそれに負けじと余裕のある態度を崩さず、自信に満ちた声で、挑むようにそう提案した。
「――いいでしょう。あなたがその証拠を示せたならば、先ほどの発言も冗談や戯言などではないと認めてあげるわ」
後輩にそこまで挑発されては、カトレアさまも引くわけにはいかないのだろう。二つ返事でそれに乗ってみせる。
そもそも、彼女自身かなり負けず嫌いな性格でもあるのだった。
「それで? どうやって私に、ご自分の色恋の手練手管を証明してくださるのかしら?」
そして、今度はカトレアさまの方が挑発的な態度でサレナにそう返してくる。
その姿になんだかゲームでのライバルっぷりを思い出して懐かしくなりつつも、サレナは用意していた"秘策"へ相手を食いつかせるための話を切り出す。
「――カトレアさまは、『ロマンス小説』というものをご存知でしょうか?」
いきなり明後日の方向へ話を逸らされたことでカトレアさまは若干不可解そうな表情になりつつも、一旦様子を見ることにしたのか素直にそれに答える。
「……ええ、存在くらいは聞いたことがあるわ。読んだことは一度もないけれど……。くだらない、大衆娯楽でしょう?」
少なくとも、貴族の読むものではないわね。
カトレアさまはバッサリとそう切り捨てた。
そして、確かにある意味ではカトレアさまの言う通りでもあった。
ロマンス小説。男女の恋愛模様をメインとして描いた、まさしくその通りの大衆娯楽小説である。
それがこのナイウィチの世界にも存在していて、まったくそんな立ち位置のものとして庶民の間では楽しまれていた。
そうであるから、もちろん高貴な御身分である貴族の間では平民のための低俗な娯楽と見なされており、自分達が触れるに値しないものとして、そちら側ではまったく流通はしていないものだった。
しかし、サレナは平民であるから当然そんなことはまったく気にせずに、孤児院で暮らしている間せっせとお小遣いでそれを買い集めては読み耽っていた。
生来のオタク気質から、この世界で数少ない"そういう娯楽"に引き寄せられてしまったというのもあったが、案外面白くて普通にハマってしまった面も大きかった。今では立派な愛好家である。
しかし、そんなロマンス小説の存在をここで持ち出してきて、一体サレナはどうするつもりなのかというと――。
「――甘いですね、カトレアさま。確かにロマンス小説が大衆娯楽であることは否定しませんが、それでも、その中には男女の色恋沙汰についてのあらゆるありがたい教訓が詰まっている――まさに『恋愛の教科書』とも言える代物なのですよ!」
チッチと指を振りながら、サレナは堂々と、自信満々にそう言い切った。
「…………そうなの……?」
あからさまに不審がりながら、カトレアさまは半目でサレナを睨んで、そう聞き返してくる。
「もちろんです」
サレナはまったく揺るがずに泰然とそう答える。
もちろん嘘である。
流石にサレナもロマンス小説がそこまでのものだとは思っていない。
ただ、創作物としての出来は中々良いものだとは思っている。
生前の記憶から目の肥えているサレナからしても、中々面白かったなと思える作品は結構存在していた。
総じて、この世界にあるロマンス小説は結構レベルが高いと言えた。
そして、だからこそ食わず嫌いで"くだらないもの"だと侮っているような貴族様にも案外刺さる可能性は高いのではないかと考えたのだ。
カトレアさまは大貴族のご令嬢。そりゃあ幼少期から、高尚で芸術的な文化にばかり触れてこられたことだろう。
だが、そんな目の肥えておられるカトレアさまだからこそ、こういうものの中にある、否定できない確かな面白さも理解してもらえるのではないかとサレナは考える。
そして、もしもその面白さが通じたならば、カトレアさまもこの大衆文化に夢中になってくれるかもしれない。それどころか、もしかしたらこういうものへの免疫のなさ故に、その内容を信憑性のあるものだと思い込むのではないだろうか。
まるで、アニメや漫画で描かれていることは真実だと信じきっていた、子供の頃の自分のように。
そう目論んでのこの秘策。名付けて『高級料理しか食べてこなかったお嬢様にジャンクフードを食べさせてドハマりさせよう』作戦であった。
「論より証拠という言葉もあるでしょう? そこで、ロマンス小説愛好家である私が今回自分のコレクションの中から厳選した一冊をここにご用意させていただきました」
言葉と共に、サレナは制服ローブの懐から一冊の本を取り出す。大衆向けだけあって装丁は安っぽくこじんまりとしているから、大して多くないページ数と相まってそこまで重くも大きくもない。
それを恭しくカトレアさまへと差し出しながら、サレナは言う。
「一度、これを読んでみてください。そして、こういうものを星の数ほど読み漁ってきたこの私が、果たしてご自分よりも色恋沙汰の知識において勝っているのか劣っているのかについて判断してみてください。これが、私の示せる確かな証拠というものです」
カトレアさまはそんな得体の知れない書物を読まされることに対してあからさまに不満げかつ訝しげな様子であったが、後輩にここまで堂々と挑みかかられては今更後には引けないのだろう。
やがて、諦めたように深く溜息を吐くと、
「――いいでしょう。あなたのその勇ましさに免じて、一度だけ読んであげるわ。だけど、もしもこの証拠があなたのことを自分より上だと認めるに足りなければ、さっきの申し出は冗談として忘れさせてもらうわよ。何もなかったし、気づいていないことにする。お互いにね。それでいいかしら?」
サレナが差し出してきた本を受け取り、冷然とそう言い放った。
サレナはそんなカトレアさまに対して、満足そうな、そして自信に満ちた挑発的な笑顔で、頷きを返す。
「ええ、それで構いません。カトレアさまの感想を楽しみにしております」