恋するあなたに恋してる ―4
その言葉があまりにも想定外のもの過ぎたのか、カトレアさまは優美な微笑みを維持した顔のまま数秒ほど固まってしまっていた。
「……えーと……こ、恋バナ……?」
それからぎこちない動きで首を傾げてそう問い返してくるのに、サレナは真剣そのものといった顔で頷きを返した。そして、カトレアさまの方へずずいっとにじり寄って距離を詰める。
「私、カトレアさまともっと仲良くなりたいんです! 生徒会の運営をより円滑に進めていくためにも、役員同士が仲を深めておくことは有用だと思いませんか!?」
「そ、それは……確かに、そうかもしれないけれど……」
「でしょう!? そして、女の子同士がグッとそのお互いの心の距離を近づけるには、やはり胸襟を開いて恋愛事に関する会話を行うのが一番手っ取り早いと思うんです!!」
「あ、あなた、ちょっと距離の詰め方が急すぎないかしら!?」
ぐいぐいと身を寄せながらそう熱弁してくるサレナの勢いに、カトレアさまは座っていた椅子の背もたれへ押しつけられるように仰け反り気味になりながらそう叫ぶ。
しかし、サレナはまだ止まらない。熱に浮かされグルグルと渦を巻くような瞳でカトレアさまを見つめながら、ここが攻め時とばかりに食い下がる。
「しましょう、恋バナ! 可愛い後輩と、カッコよくてデキる先輩らしく、円滑なコミュニケーションを図るためにも!」
「そ、そう……? 私、実はあまり同性の友達が多くはない方なのだけど、普通の女の子同士のよくする会話って本当にそういうものなのかしら……?」
「そうですとも!」
サレナが力強くブンブンと頷いてみせると、カトレアさまは目を伏せて少しばかり思案するように唸った後で、やがて仕方なさそうに溜息を吐いた。
「……わかったわ。その……恋バナ、というものの経験は私にはないけれども、努力してみましょう。……同じ生徒会の、可愛い後輩の頼みであれば」
「ありがとうございます!!」
結局押し切られる形でそう了承してくれたカトレアさまへ、サレナは思わず椅子から立ち上がり、綺麗なお辞儀で感謝する。
しかし、カトレアさま。芯の強い、何があっても揺らぐことのない性格をしていそうで、案外押しに弱いところがあるようだった。
ゲームの中では知ることの出来なかった、意外で新しい一面だ。サレナは若干の新鮮な感動を覚えつつ、それを新しくカトレアさまのパーソナルデータとして付け加えておくことにする。
「はぁ……それで、具体的にはどう始めていけばいいのかしら?」
「そうですね……」
人生で初めての恋バナであるらしいカトレアさまはサレナへそう丸投げするしかないようだが、サレナとてオタク同士の推し語りはともかくとして、真面目な恋バナに参加した経験は少ない。
どうしたものか。少しばかり思案した後で、サレナは女の子同士の甘酸っぱい恋愛トークの口火をこう切ることにした。
「では、今現在、カトレアさまが恋をしているような相手って誰かおられますか?」
火の玉ストレートにも程がありすぎる切り出し方であった。
話の枕も何もあったものではない、これが恋バナビギナー中のビギナーのなせる業か。はたまたそこら辺の情緒をあまり気にせず生きてきたサレナ自身の図太さ故か。
突然そんな風に、駆け引きというものを投げ捨てて真っ直ぐ切りかかってこられたカトレアさまも、流石に驚愕と共に苦いものを飲み込んだようなお顔でしばらく固まっておられた。
だが、幸いあちらも恋バナ完全初心者、"こういうものなのかしら"と訝しがりつつも、素直に応じてくれる。
「……いないわよ、そんな相手。将来、家名を背負って立つに相応しい魔術士となるためにこの学院でその研鑽を積んでいる間は、そんなものにうつつを抜かしている暇なんてないもの」
いきなり会話が終了してしまった。
流石こちらも恋バナ初心者、返す球の真っ直ぐさと不器用さは並大抵のものではない。
とはいえ、その返事はサレナにとっては予測済みのものであった。
元々、ゲームにおいてもカトレアさまの恋心というのは大事に秘められていたものだった。
アドニスとカトレアさま、共に大貴族であるというお互いの立場もあり、また家柄に相応しい立派な魔術士になるという目標も二人ともに抱いていた。それらの妨げとならぬように、カトレアさまがこれまで表立ってアドニスへ好意を伝えたり、露わにするようなことはなかったのだ。
それが変わるのは、主人公という恋敵が現れて、急速にアドニスとの仲を深めていくのを目撃してからの話である。
なので、サレナはこの恋バナの場において、その恋心がそっくりそのままカトレアさまの口から語られるなんてことは最初から期待していなかった。
その代わり、多少怪しいところを突っついてみて探りを入れ、それに対する反応から、実際にカトレアさまがアドニスに対して恋心を抱いているのかどうかについての判断材料を引き出せればそれでいい。
となると、そういう思惑でのこの恋愛トーク、サレナにとってまだまだ引き延ばせる余地は大いにあった。
「ええ~? ホントですかぁ~? でも、そうは言いつつカトレアさまって、アドニス先輩やロッサ先輩とかなり親しそうですよねぇ~?」
先ほどの豪速球は一体何だったのか、一転サレナは手慣れた様子で相手との間合いを計りながらじりじりと斬り合うような質問を繰り出す。
まあ、それは恋バナというよりも情報を引き出すための誘導尋問じみた会話にシフトしたおかげなのかもしれないが。
「……別に、二人とも同じ大貴族として幼少期から何度か顔を合わせる機会があったし、その縁が学院に入学してからもずっと続いているだけよ。特に三人とも、自分で言うのも何だけれど、ずっと在籍学年の成績首位だったから――丁度いいってことで、学院側から三人で組まされることも多いのよ、この生徒会みたいにね……。まあ、三人の中で成績はいつもアドニスがトップなのがちょっと悔しいけれど。そうね……だから、やっぱりあの二人は"大事な友人"ってところね。ご期待に沿えなくて申し訳ないけれど」
そんなサレナのいやらしく何かを探るような言葉と態度を特に不審に思うこともなく、カトレアさまは少し苦笑しつつも素直にそう答えてくれた。
しかし、そんな答えで満足するサレナでもない。
間髪入れずに、さっきよりもさらに踏み込んでいく。
「でも、お二人とも本当に、嫌になるくらいの美男子ですよねぇ。あっ、もちろんカトレアさまもそれに勝る美貌ですが……。生徒の間での人気も高いですし、想いを寄せる女の子もたくさんいるんでしょうね。本当はカトレアさまも、少しくらいはそんな気があったりするんじゃないですか? お二人のこと、異性としてはどう思ってたりするんですか? たとえば、ロッサ先輩とかは?」
サレナにとっては本命のストレートを打つ前のジャブ程度のものとして、ここでロッサを利用しただけだったのだが、
「ロッサ? そうねえ……確かに美形だとは思うけど、それに自覚的で、それどころか若干悪用している節があるところが困りものよね、あの人。ふしだらだし、節操がないし、態度も軽いし、悪ふざけが大好きだし。魔術士としての確かな実力と知識は尊敬しているし、友人として付き合う分には明るくて面白い、気の合う人だと思うけど、異性としては絶対に合わないわね。ロッサには悪いけれど」
意外なことに、普段の愚痴までそこに籠める形の本音でバッサリと、カトレアさまは彼に対して異性としての厳しすぎる評価を下してきた。
サレナは内心で多少狼狽しつつ、そのあまりに容赦ない一刀両断ぶりには流石にあの自分も好きではない意地悪男に同情してしまう。
哀れ、ロッサ。あの軽薄な笑顔を頭に思い浮かべて、サレナは内心で若干の申し訳なさと共にそれに手を合わせた。
「そ、そうですか……。それじゃあ、アドニス先輩の方はどうですか? あの人を異性として意識していたりとかは……」
それから気を取り直して、自然な流れで今度こそ本命の質問をぶつけることにした。
カトレアさまがこれに対してどういう反応をしたり、どういう答えを返してくるのかによって、恐らくかなりの精度でその恋心の有無を確認することが出来るだろう。
まさか、先ほどのロッサに対するそれのように、辛口すぎる評価を下してこないとは思うが……。
そう考えつつ、恐る恐るサレナがそう問われたカトレアさまの様子を確認してみると――。
「――――」
その答えは、聞くまでもなかった。
何故ならば、カトレアさまのその頬はリンゴもかくやという程に真っ赤に染まり、目は不自然に明後日の方向を泳ぎまくっていた。
思わず、この人こんな顔するのかという衝撃と共に、サレナが唖然としてしまう程に。
それ程にまったくわかりやす過ぎる、恋する乙女の反応であった。
「……あの……カトレアさま……?」
その反応のまま黙り込んでしまっているカトレアさまに、サレナが恐る恐る声をかけてみると、
「へっ!? あ、ああ! なにかしら? ……そ、そうね、アドニスについてどう思うかだったわね?」
ようやく我に返ったようにビクッとしてから、慌てた様子でサレナの質問に答え始める。
「あ、アドニスね……そうね、あの人も確かに美男子で、爽やかで、まさしく王子様のような見た目をしていて……そ、それは素直に認めるけども、だからってそれだけで彼を好きになったりはしないわよ!? 性格も正直欠点なんて見つけられないくらい完璧だけど、意外と早とちりだったり、おっちょこちょいだったりするところもあるんだから! そういうところも心配で放っておけないし、完全無欠とは言い難いわね、うん! 魔術士としての実力も、勉学の成績も、稀代の天才と評される程だし、素直に尊敬もするけども、まったく追いつく隙すら与えてくれないところはどうかと思うわ! そういう容赦のないところもダメと言えばダメね、ええ! それで、そんなアドニスを、異性としてどう思うかって――」
一気にまくし立てるようにそこまで喋ってから、カトレアさまは不意に言葉を詰まらせた。
そして、なんだか嬉しそうに何かを慈しむような、そうでいながら同時にどことなく寂しくて悲しそうな、そんな笑顔になると、
「……どうとも、思わないわ。あの人は、友人。大切な、幼い頃からの私の親友。それだけよ。それだけで、いいの。それ以上であることなんか、望まないわ」
どこか遠くを見つめるような瞳で、カトレアさまは静かにそう言った。
そして、それを聞くサレナは――。
「――――」
その時のカトレアさまの顔から、魅入られてしまったように目が離せなかった。
この世で一番の幸福を抱いているかのように幸せそうで、同時に引き裂かれる寸前のように張り詰めて儚げで寂しげなその笑顔。
恋心を自覚していながら、それを隠し続けることを選んだ人の顔。
片思いの顔。
そのあまりにも美しく切ない表情を見て、サレナの胸には前世も含めたこれまでの人生で一番の愛しさが溢れ出し、ドキドキと高鳴ってしまっていた。
そして同時に、その胸はこのまま千々に破れるんじゃないかと思うくらいに、ズキズキと痛んでいた。
……ああ、おかげでようやくわかった。
サレナは、そんな自分の胸の高鳴りと痛みを感じながら、思う。
わかることが、出来てしまった。
カトレアさまは恋をしている。
アドニスに対して、どうしようもなく恋をしている。
そして、私も恋をしている。
カトレアさまに対して、どうしようもなく恋をしてしまっている。