恋するあなたに恋してる ―3
結局、その会話の後はサレナの希望通りにというか、あるいは当たり前にというべきか、カトレアさまがサレナの教育係を担当してくれることとなった。
しかも、途中からアドニスとロッサは他の委員会を回る用事があるとかで、二人揃って出て行ってしまった。
入学式からしばらくして、初めて生徒会の扉を叩いた放課後。
成績優秀な生徒を勝手に担ぎ出すことへの対価というわけなのか、生徒会室はちょっとしたサロンのような、中々豪奢な内装をしていた。
備え付けの机や棚、その他用具は造りもよく立派なもので、学生による事務仕事のためというよりも高級役人の勤める執務室に近い印象がする。
そんな生徒会室の中で、そろそろ暮れゆく空の色に包まれながら、カトレアさまと二人きり、マンツーマンで指導していただくという夢のような時間。
しかし、そんな真っ只中にありながらも、何故かサレナの心は妙にモヤモヤとした気分に包まれてしまっていた。
いや、確かにこの"神が与えてくれたご褒美"のような状況に酔いしれ、天にも昇りそうな幸福を感じてはいる。
胸はアドニスに密着指導されていた時の比ではないくらいにドキドキ高鳴り、ときめきゲージの目盛りは最高値を指したままフル回転でキュンキュンキュンである。
恋い焦がれている相手と二人きりというこの時間、恋する乙女として嬉しくないはずがないのだ。
だというのに、どうしてだろうか。
その幸せな気持ちのどこかに一点だけ墨を落としたように、モヤモヤとした、ジクジクとした何かを意識してしまうのは。
しばらくそうやって二人で仕事をしてから、頃合いを見計らってサレナが休憩を申し出ると、意外なほどあっさりとカトレアさまもそれを了承してくれた。
生徒会室には魔術学院らしく魔術道具を利用した簡易的な給湯設備も備え付けてあり、それによってお茶を淹れることも出来るようになっていた。
もちろん後輩であるサレナが休憩に際してそれを用意することを申し出て、カトレアさまも"そういうことなら試しに"と任せてくださった。
三人の内の誰かの私物らしきティーセットと茶葉は、流石大貴族の子息令嬢らしく恐ろしく高価なものと思われた。それはカトレアさまにお茶を供する大役と合わせて、取り扱うサレナをかなり緊張させてくる。
結局カチコチの動きで何とか無事お茶を淹れ終えてカトレアさまにお出しすることは出来たのだが、それを一口飲むとカトレアさまは少しばかり眉根を寄せた顔になってこう呟かれた。
「あなたのお茶は、なんというか……とても実務的な味がするわね」
そう評するともう一口飲み、"今度からは私が淹れるわ"と仰られた。
少なくとも不味かったわけではなさそうだが、かといって芳しい評価とも思い難い。
サレナは羞恥心と落胆に包まれながら、がっくりと肩を落として、カトレアさま曰く"実務的な味"のお茶を自分も飲む。お茶の淹れ方にも性格が出たりするものなのだろうかなんて思いつつ。
「…………」
お茶を啜りながら、しばらくお互いに無言の時間が続いた。
サレナは恋する相手を前にすることによるどうしようもない緊張と萎縮を感じており、会話の糸口を中々見つけられずにいた。
一方カトレアさまの方はというと、どうやら無言で何かをじっくりと考えているようだった。
「……聞きたいことは、色々とあるのよ」
そんな前置きで、唐突に会話の口火を切ったのはカトレアさまからだった。
「あの時――もういくらか前になってしまうけども、火龍を一人で倒した女の子は、あなたよね? サレナさん……。本当は食堂で出会った時にそうだと気づいていたし、そのことについて色々と問い質したくはあったのだけど……」
カトレアさまは射竦めるような視線をサレナに向けながらそう話す。
そして、それを聞くサレナはといえば――ダラダラと冷や汗をかきながら内心で焦りまくっていた。
「…………!」
そりゃそうだよね。焦りながら思う。
自分でもカトレアさまの立場だったら真っ先にそのことについて聞きたいもの。
今までカトレアさまがそのことに全く触れずにここまで来たものだから、サレナの方では正直すっかりそれを忘れてしまっていた。
さて、もしも聞かれたらどう説明するべきだろうか、たった一人で火龍を倒せる自分の魔術の実力について。
実は昔から独学で魔術の修練を積んでいまして……、とかで押し通せるだろうか。
サレナが無言でそんなことをぐるぐると考えていると、
「あの時は他の人達の目も多かったから、敢えてそれには触れないことにしたの。きっと、あまり公に出来ない何か特殊な事情があるのでしょう? 火龍をあなたが倒してから、ろくに話も聞けない内にあなたが保護という名目で隔離されてしまった後で、私の方でもあなたについて色々と調べようとしたわ。けれど、あなたに関する情報は全てが重大機密扱いで、名前すら知ることも出来なかった。"この件については忘れろ"というお達しまでいただいた程よ。けれど、そんなのますます気にならない方が無理ってものよね。だから、あなたがこうして何食わぬ顔で魔術学院に入学してきたことを知ってから今まで、実はずっとこうして二人きりになって、色々と事の真相を聞き出せる機会を窺っていたの」
淡々と、サレナがまるで尋問を受けているように感じる調子でカトレアさまはそこまでを語った。
しかしその後で、カトレアさまは"だけど"、と続けて、
「……やっぱり、何も聞かないでおくことにするわ。あそこまで上の方でひた隠しに隠匿されるようなことを、あなたが自分の一存で詳らかに話すのを許されているはずもないものね。だから、あなたは私にとっても、単なる成績優秀な期待の新入生……そういうことにしておきましょう。お互いのためにも」
カトレアさまは何だか勝手にサレナにとっても色々と都合のいい方へと納得してくれたらしく、詰問はそこで唐突に終わりを告げた。
助かった。サレナは思わず深い溜息を吐き出しながら胸をなで下ろす。
まさかそこまでサレナの存在とあの事件が魔術士界において機密扱いになっているなんてのは初耳だったが、そのおかげでカトレアさまに自分の秘密へと踏み込まれるのを防げたので、ありがたくそれを利用させてもらうことにしよう。
サレナはなるべく何かを含んでいることを感じさせられるような神妙な顔つきを努力して作ると、無言でカトレアさまの言葉に頷いてみせる。
そして、それが向こうにも正しく通じてくれたらしい。カトレアさまは冷淡な真面目さに固めていた顔を崩すと、代わりに優美な微笑みを浮かべながら言う。
「それに、あなたにどういう秘密があるのかはともかく、あれだけの魔術の腕を持っていて、おまけに学問の成績も優秀であるとしてこの学院に入学してきてくれたこと自体は、個人的にも非常に好ましく感じているの。同性で自分に並んでくれるどころか追い越されているんじゃないかという程の才能がある人間って、今まで周囲に存在すらしていなかったから。おかげで、張り合いが出るわ。身が引き締まるっていうのかしら。私達、お互いに競い合って高め合ういい『ライバル』になれそうだとは思わない?」
カトレアさまのその微笑みはあまりの美しさにうっとり見蕩れてしまう程だったが、投げかけてきた言葉はそれとは正反対にサレナをずんと落ち込ませた。
ライバル。カトレアさまはサレナのことを、今のところは"いいライバルになれそうな相手"だと評価してくださっているようだった。
なるほど、流石にカトレアさまは鋭く、聡い。一発で正しく、自分達に本来与えられるはずの関係性に辿り着いてしまわれた。
サレナの方は、そう思われることだけは何とか回避しようと、これまであらゆる努力を積み重ねてきたというのに。
そして、あわよくば、どうにか"恋愛対象として意識してもらえたら"と目論んでいたというのに。
カトレアさまのために必死で高めて磨き上げてきた自分を、こうして最初から好ましくは思っていただけたらしいものの、結果はいいライバル扱い。
今までの努力は一体何だったのだろう。何だかこれでは、まったく本末転倒じゃないか。
「あはは~……そうですね~……」
サレナは内心ぐじぐじとそんなことを考えつつ、悲嘆のあまり露骨にテンションの低い声で応じてしまう。
だが、カトレアさまはその態度を、好戦的な自分の発言によってサレナを少し怯えさせてしまったものと勘違いしたらしい。
多少慌てたようになりながら、カトレアさまは後輩の誤解を解こうと、努めて明るく、気遣うように言葉をかけてくる。
「やだ、違うのよ、サレナさん……その、ね? それだけ私はあなたを高く評価しているということであって……それに、優秀な人が生徒会に入ってきてくれて本当に良かったとも思っているの。二年生で会計を担当するはずだった子は、新学期から短期留学へ出てしまってしばらくの間は不在だし、四人で生徒会を運営していくことに少し不安もあったのよ。でも、あなたのこの仕事ぶりであれば新入生と思えないくらいに安心して色々と任せられるし、その分私達三年生の負担も軽減されるもの。ねえ? だから、ほら、そうやって下を向かないの。自信を持って、堂々となさい」
あまりにも打ちのめされてしまってしょんぼりと下を向いていたサレナへ、カトレアさまは優しく、諭すようにそう言った。
その言葉を聞いて、サレナは顔を上げて前を向き、おずおずとカトレアさまの顔を見つめる。
そんなサレナに対して、カトレアさまは「よろしい」と言うかのように、どこまでも優しい笑顔で一度頷いてくれた。
たったそれだけで、サレナの先ほどのまでの落胆は一気にどこかへと吹き飛んでいってしまった。
胸の中には代わりにぽかぽかとした温かい気持ちと、どこまでも前向きになれそうないつもの暢気な自分が戻ってきていた。
そうだ、たとえ恋愛対象とは思ってもらえなかったとしても、これまで積み重ねてきた努力と身につけた実力のおかげで、今こうしてカトレアさまからこんなお言葉をかけてもらえる程の、自分に対する好印象を与えられているではないか。
ゲームの通りのサレナであれば、こう思ってもらえるまでに一体どれくらいの時間がかかっていたのかわからない。
そう考えると、今までの時間は決して無駄なんかじゃなかったはずだ。
自分を磨き上げることでカトレアさまに認めてもらえるような人間になるという目的は、こうして確かなものとして達成されている。
あとはそこから恋愛対象へと昇格出来るかどうかは、これからの自分の努力次第で望む結果へと変えていけるものじゃないだろうか。
そうだ。きっと、そのはずだ。そう信じよう。
サレナは背筋をしゃんと伸ばして座り直すと、真っ直ぐカトレアさまへと向かい合う。
自信を持って、堂々と。言われた通りの態度を心がけて。
そして、今後もそうしていくためにも、やはり勇気を出して確認しておかなければならないことがある。
「カトレアさま……。ああ、その……そうお呼びしてもよろしいでしょうか……?」
「ええ、よくってよ。構わないわ。……ふふっ、"先輩"ではなくて、"さま"を付けられるのは、何だかくすぐったい気もするけれど」
今更ながらのサレナのその問いかけに、鈴を転がすような声で少しだけ笑いながらカトレアさまは快く応じる。
「それで? それだけ?」
それから、何だか意を決したような顔をしているサレナがそんなことだけを聞きたいわけではないのだろうと察してくれたのか、続きを促すようにそう問いかけてくる。
その気遣いをありがたく感じつつ、サレナは心の準備をするように一度深呼吸をしてから、その質問を放つ。
「――恋バナとかって、大丈夫な感じですか!?」