第一対決 VS 恋心 ―1
サレナがしばし、そうやって憎らしそうな視線をアドニスへ向けていると、
「あの……そこまで睨まれるようなことを、僕は君にしてしまったのかな? 一応、初対面だと思うのだけど……」
流石に向こうでもサレナの目つきが異様であることに気づいてしまったらしい。
恐る恐るそう問いかけられて、サレナはハッと我に返る。
気づけばアドニスだけでなく、カトレアさまやアネモネまでもが何やら様子のおかしいサレナへ訝しがるような表情を向けていた。
いけない。サレナは慌てて気持ちを落ち着かせ、切り替えようとする。
別にこの場でさらに事を荒立てたいわけではない。
むしろこの人までもが出てきてしまったことを思うと、これまでにも増して穏便かつ素早くこの場を切り抜ける必要性が生じている。
サレナは気合いで顔を一気に無表情に戻すと、軽く頭を下げて言う。
「いえ……すみませんでした、ジロジロと不躾な視線を向けてしまって……。その……あまりにも、"眩しいお顔"だったものですから、つい目を細めてしまい……」
サレナにとってはもちろんまったくの社交辞令であり、若干苦しい言い訳ではあった。
しかし、一応自分の容姿を真っ向から評価してくれる相手をこれ以上追求するのは難しいだろう。
「そうなのかい……? そう言われると、いや、何だか照れてしまうな」
「何を今更、そんなこと言われ慣れているくせに」
サレナの言葉を受けて困った風に微笑むアドニスへ、小さく嘆息しながらカトレアさまがチクリと刺すような言葉をかける。
何とも親しげなやり取り。それを目の前で見せられると、またしてもサレナの顔は先ほどと同じように忌々しげなものに変わってしまいそうになる。
「…………」
それを何とか抑えながら、サレナは改めてアドニスの顔をじっくりと眺めてみる。
まったく、何というか、嫌気がさしてくる程の美男子だった。
確かに、"あれくらいの言葉は掃いて捨てるほどいただいているのだろうな"と思えるくらいに。
そうしながら、サレナは新たに登場したナイウィチ本編の主要登場人物にして、攻略対象の一人であるこのキャラクターについての情報を密かに脳裏で再確認しておくことにする。
『アドニス・ラナンキュラス・ギルフォード』。
この学院に入学して、サレナがこの世界における主人公であり、目的のためにはある程度歴史の流れに乗らざるをえない以上、いずれどこかで関わりを持つことになるのだろうと予想される攻略対象キャラクターの一人である。
そう、確かに何人かいるそんな攻略対象の内の一人でしかないはずなのだが、サレナはその中でもこのアドニスを最大級の警戒対象であると見なしていた。
そう考える理由はいくつかある。
その内の一つが、このアドニスが『Kight of Witches』における"最推されキャラクター"であることだった。
ゲームパッケージにおいても一番大きく描かれているし、集合イラストでも必ずいい位置に置かれている。グッズだって多い。となれば、当然人気も一番高い。
まさにこのゲームの顔とも呼べるキャラクターがこのアドニスなのであった。
それだけならばともかく、最大の問題はそうして公式から最も推されており、一番人気が出るべく設定されているキャラクターだけあって、攻略が非常に簡単であるという点にある。
どんな選択肢を選んでも大抵好感度が上がってしまうし、主人公を徹底的にお姫様扱いしてくれて持ち上げてくれるので、非常にストレスフリーな応対と言えるだろう。
では、それの一体何が問題なのかというと、裏を返せば"よっぽど気をつけておかないと普通に接しているだけでもアドニスの好感度が増加してしまう"という危険性が、この世界でも存在しているかもしれないのだ。
ゲーム本編においても、他の攻略対象ルートに行く前の共通ルートでも好感度がある程度溜まってしまうようなキャラクターだった。
であるならば、ゲームが現実に置き換わったこの世界においてもそうであったとしても何らおかしくはない。最大限警戒しておくに越したことはないだろう。
そして何より、その危険性における最大の問題点がサレナ自身に存在しているのだから尚更だ。
それは一体どういうことなのか――ぶっちゃけて言うと、『サレナの見た目と性格がアドニスの好みにドンピシャ』という身も蓋もない設定がゲーム内には存在してしまっているのだった。
アドニスの好みの女性像は、『ふんわりと穏やかで可愛らしい雰囲気をした、自分が守ってあげたくなるような女の子』となっている。
前世でその裏設定を知ってしまった時は思わずズッコケてしまったものだった。
もちろんゲーム内で物語をちゃんと読めばそれだけが理由でないことはわかるものの、アドニスが主人公に惹かれた根底には"彼女が理想のタイプである"というものが存在しているのは明白である。
これまでの努力で性格や振る舞いをゲームでのそれから変化させることは出来ても、見た目までは変えてしまうことは出来ない。
サレナは未だ見た目と、そこから発せられる雰囲気や印象だけならば、アドニスの好みと合致してしまっている危険性が十分ある。
だからこそ、出来ることならばアドニスとだけはゲーム内イベントの流れに沿って出会いたくなかったし、そうして出会ってしまう可能性だけはこれまで積極的に避けて潰してきた。
かつてオープニングイベントの流れをねじ曲げようとしたのもそのためだった。
ゲームの通りに進めていたら、実はあの時に火龍からサレナを助けてくれるのはアドニスだったのである。
オープニングから運命的な出会いが設定されている、流石の推されっぷりである。
そして勿論、今回この食堂でのイベントの発生を回避しようとしたのもそれが大きな理由となっている。
座る区画を間違えたことでカトレアさまにお説教を受け、それをアネモネとその取り巻きから晒し上げられて嘲笑される主人公を颯爽と助け出すのが、何を隠そうこのアドニスなのである。
羞恥と惨めさに傷つけられながら、涙を流して俯き耐えることしか出来ない主人公を、アドニスはその説教の現場に割って入ってきて、自分の背後へと庇ってくれる。
そして、「僕が一緒にランチを食べようと約束していたから、彼女は先に席を取ってくれていたんだよ。待たせてしまって、ごめんね?」と、咄嗟にスマートなウソをつき、華麗にサレナを助け出してくれる――というのが、この"食堂イベント"の大まかな流れであった。
本来であればそんな胸キュン必至なロマンチックイベントであるが、今のサレナにとってはまったくありがたくない内容であることこの上ない。
カトレアさまと出会える、お説教してもらえるというメリットを差し引いても、カトレアさまを悪役にし、アドニスとも出会ってしまい、それどころか彼との絆を深めてしまいかねないデメリットは大きすぎた。
だからこそ、このイベントの発生そのものを回避しようとしたはずなのに――。
(どうして、いつの間にか似たような流れになってしまっているの――!)
そう思い、サレナは表面上平静を維持しつつも、内心では焦りに焦っていた。
だが、原因が何であるにせよ、すでにそうなってしまったものは仕方ない。
ここは素早く切り替えて、どうにか穏便かつ早急に、"アドニスに助けられてしまう"という結果だけは避けながら、騒動の収拾をつけてしまうべきだろう。
そのためには、まずどうしたらいいのか。
サレナがアドニスの登場によっていっそう混沌としてきた場を油断なく観察しつつ、頭をフル回転させながらぐるぐるとそれについて考えていると――。
「――おっと、ごめんよ。少しだけ通してくれるかい?」
またも観衆の人波が割れ、さっきと同じくらいの女生徒の黄色い悲鳴と共に、新たな乱入者がこの場に現れてしまった。
(嘘でしょ!? まだ誰か乱入してくんの!?)
サレナは内心でもはや半分泣きそうになりながらも、急いでその人物に視線を向け、一瞬で何者なのかを悟ってしまう。
それは、真っ赤に燃えるような色をした髪を無造作に後ろで纏めて垂らした髪型の、アドニスに勝るとも劣らぬ美男子であった。
しかし、"爽やか"と形容したくなるアドニスと比べるとその顔はどちらかというと妖しげな色気が強く、"伊達男"といった印象を受けるものだった。
体格もアドニスより少しばかり背が高く、より男性的という感じだ。
そして、伊達男という印象に違わずというか、その人の学院制服と三年生の赤いローブはきっちり身に纏うのではなく、お洒落に着崩されていた。
どうして、ここでこの人までもが出張ってくるのか。
サレナが困惑と共にその名前を思い浮かべるのと、呆れたような様子でカトレアさまがその人の名を呼ぶのは同時であった。
「もう、ロッサまで来たの……?」
サレナが浮かべた名と、呼ばれたその名前は完全に一致していた。
それによって、サレナは否が応でもこの状況が現実なのだと思い知らされてしまう。
その新たな乱入者の名前は、『ロッサ・カヴァリエリ・デル・ストレリツィア』。
本来この"食堂イベント"には登場するはずのない、ゲームでは別の場所で出会うことになるはずの攻略対象キャラクターの一人であった。