庭園に花は狂い咲き ―7
今の光景が現実であることを確認するかのようにその名前を呟いてから、サレナは急いで脳細胞をトップギアに入れて思考する。
どうして今、自分がこの子に絡まれなければいけないのか。
元々ツリ上がった目をさらにツリ上げ、義憤に燃える瞳でそいつはサレナを真っ直ぐ睨みつけてきていた。
ご丁寧に、その両脇にはゲームとまったく同じ取り巻きの女の子を二人引き連れてもいる。
『アネモネ・ラナンキュラス・バートリー』。
名乗られるまでもなくサレナがその名を知っているということは、彼女もナイウィチ本編内に登場するキャラクターの一人ということである。
しかし、ナイウィチが歴とした乙女ゲームで、彼女が女性である以上、攻略対象級のメインキャラクターというわけではない。
そして、ゲーム内の全ルートにおいてカトレアさまがライバルキャラであるという仕様上、どこかのルートにおけるライバルキャラというわけでもない。
いや、実際ライバルキャラに限りなく近い存在ではある。
しかし、そこまでバチバチにサレナと攻略対象を取り合うような関係にはならないというか何というか――そう、精々のところ、とある攻略対象のルートにおけるお邪魔キャラクター的な存在。
それが彼女――アネモネのゲーム内における役回りであった。
正直に言って端役ではあるのだが、さほどキャラクター数の多くないナイウィチにおいてきっちりとした立ち絵やフルネーム付きであることや、ライバルキャラよりも正統派な悪役ライバルっぽい立ち回りなどから、結構プレイヤーからは生温かい愛され方をしていたキャラだった。
が、今はそんな情報はどうでもいい。
サレナは軽く頭を振って、思い出してしまった余計な情報を振り払う。
考えなければいけないことは、何故そのアネモネがこのタイミングでサレナに絡んできたのかについてだ。
それは、サレナにとってはまさしく青天の霹靂、あり得ないことのはずであった。
何故ならば、サレナはここでアネモネに絡まれるというイベントの発生を完璧に避けていたはずなのだ。
確かに、ゲーム本編でアネモネはこの食堂で起こる最初のイベントにも登場してくるキャラクターではあった。
席を間違えたことでカトレアさまにお説教されているサレナに対して、取り巻きと共にカトレアさまのお説教に同調して乱入してくると、その醜態を嘲笑して晒し上げるというのがこのイベントにおけるアネモネの出番であった。清々しいほどに意地悪で正しい悪役ムーブだ。
だが、今回サレナは正しい席に座っているし、今のところカトレアさまからの注意と説教も発生していない。
誰に何を指摘されもしない、正しい作法を守られているはずだった。
おまけに不必要に目立たないよう、わざわざ端っこの席を探して座ったほどだ。
だというのに、どうして何の謂れもないはずのこのタイミングで、ありえないはずの人物に、予測不可能な絡まれ方をしなければならないのか。
……ダメだ。どれだけ考えても、サレナにはその理由と原因がわからない。
サレナは軽く嘆息すると、諦めてこの唐突に発生してしまった未知のイベントの流れに乗り、その原因を探ってみることにした。
「え~と……」
サレナは食べかけのサンドイッチを皿に戻して立ち上がると、アネモネの方へ向き合いながら少し考え、
「私に、何か用でも?」
ゲームのサレナのように誰に対しても敬語で接するべきか迷ったが、同級生なんだから別にいいだろうと思い直してそう問い返した。
「『用でも?』ですって? あるに決まっているでしょう! サレナ・サランカ!」
あくまで飄々としたままのサレナの態度が気に入らなかったのか、アネモネはますます怒気を強くしながら、サレナにびしっと指を突きつけて叫ぶ。
「あなた、一体何なんですの!? 先ほどの新入生代表挨拶は!」
そして、そのまま間髪入れずにアネモネはサレナに向かって糾弾を続けていく。
「この学院の入学式において非常に名誉ある新入生代表挨拶の役目を賜ったというのに、その進行を勝手にねじ曲げて、自分の個人的な挨拶を誰の許可も得ずに独断でそこに付け加えるなどとは言語道断! 伝統ある行事を何と心得ておりますの!? 礼を失するにも程がありますわよ!」
アネモネのその糾弾に同調して、両脇にいる彼女の取り巻きも「そうだ! そうだ!」と声を張り上げる。
どうやらアネモネはサレナの新入生代表挨拶における"自分勝手な振る舞い"に我慢がならず、それに対して文句をつけに絡んできたようだった。
それがわかって、サレナは果たしてどうするのかというと――。
(……あっちゃ~……)
どう反論することも出来ず、内心困り果てつつ頭をかくしかなかった。
確かに、アネモネの指摘には認めざるを得ない部分があった。
入学式の進行を一部勝手にねじ曲げてしまったことは、それはまあサレナに非のある行いではあるのだろう。
サレナ自身は入学式の伝統というものや新入生代表挨拶の名誉というものは毛ほども気にしていなかったし、それ故のあの行動だった。
しかし、それに対してそんな伝統や名誉を重んじる側からこうして怒る者が出てくるのも無理はないと言えた。ましてや、そういう"格式"というものに重きを置く貴族ばかりなのだから尚更である。
とはいえ、サレナにとってもあの行動は目的と必要性があって実行を決意したものであった。
だが、こんな事態を招いてしまうことはまったく本意ではない。
……さて、どうしたものか。
サレナが無言のまま思案していると、そのどこまでも落ち着き払った態度が気に入らなかったのか、三人がますますカッとなる。
「そもそも! 平民であるあなたなんかが名誉ある新入生代表挨拶に選ばれるというのがおかしいのよ!」
ヒートアップした取り巻きの片方が、そんなことを言い始めた。
「そっ、そうよそうよ! 本来であれば今年度の新入生からは家柄優秀、おまけに頭脳明晰で、魔術の実力もトップクラスのアネモネさまが選ばれるはずなのに!」
取り巻きのもう片方もそれに同調する。
「それなのに、それを押し退けて平民のあなたが新入生代表に選ばれるなんて、何かの間違いだわ! きっと、試験で何か不正を働いたに決まってる!」
「そもそも平民なんかがこの学院への入学を許可されるということ自体が間違っているのよ! こんな特別扱い、おかしすぎるわ! 一体どんな汚い手を使ったの!?」
それはサレナの非常識な行いを咎めるものからは逸脱した、謂れのない誹謗中傷に近い言いがかりの言葉であった。
流石に今まで黙って言われっぱなしだったサレナもこれには怒るのかと思いきや――。
(すっ……凄い……! こんな典型的な悪役のセリフ、初めてリアルで聞いた……!)
何と、暢気にもそんなことを考え、軽く感動していた。
……そういえば、ゲーム内でも主人公はことあるごとにこの子達にこんなこと言われていたなぁ……。
などと、改めてここがゲームの世界であり、曲がりなりにも自分が主人公なんだという感慨に耽ってしまう。
胸にわき上がるじんわりとした気分に、若干身を震わせてしまう程だった。
そんなズレているにも程があるサレナの反応であったが、その目をつぶって軽く身を震わせる様子を悲しみからによるものであるとアネモネは勘違いしたらしい。
「――流石に言い過ぎですわよ、皆さん」
ヒートアップした取り巻きを制すと、自分の感情も徐々に冷静へと戻そうとしているような声で、アネモネはサレナに告げる。
「勘違いしないでね、サレナさん。私はあくまであなたの不調法を咎めにきただけであって、あなた個人を罵倒しにきたわけではないの。熱くなって、言葉が過ぎたことは謝りますわ。けれどね、私自身も新入生代表挨拶を今回あなたに譲ったとはいえ、あなたよりも自分が劣っているなどとは思っておりませんから」
言いながら、アネモネは挑みかかるように不敵な笑顔を作り、サレナへと向けてくる。
「私があなたよりも遙かに優れた魔術士であるということは、これからの学院生活で嫌というほど周囲へ知らしめ、あなた自身にも思い知らせてあげますわ。ましてや、今年の至高の白になってみせるなどという、身の程知らずにも限度がある宣言など、二度と出来なくしてあげましょう」
そう言うと、アネモネは高らかな笑い声を響かせる。
「まあ、至高の白に関しては私が出しゃばるまでもなく、今年もお兄様がその座に輝いてみせるでしょうけども! あなたなんかに最初から勝ち目などありませんことよ!」
オーッホッホッホ。
その見事な悪役的高笑いにまた若干感動を覚えつつも、
「…………!」
サレナはアネモネの聞き捨てならないその言葉に、ピクリと片眉を動かす。