庭園に花は狂い咲き ―6
ということで、場所を移して学院内の大食堂。
お昼時で混み合うカウンターからようやく注文していた料理を受け取り、トレーを抱えたサレナは一人気ままに座る席を探し求めて歩いていた。
もちろんサレナも含めた新入生にとって学院内の施設は全て初めて目にする新鮮なものである。
そんな場所に対して、若干の戸惑いや緊張というのを新入生全員が感じていた。
なので、それを和らげつつ、他者との交流を深めるためにも、食堂にいる新入生達はそんな新入生同士で固まって行動しようとする者が多かった。
しかし、そんな中でサレナは全く手慣れた様子で誰とも組まずに一人で行動し、この昼食も一人でさっさと食べ終えるつもりであった。
何故なら、生前やり込んだゲームの舞台と思えば、端々に見えるゲームでの背景に似た光景に対して緊張や不安を感じることもなかった。
それに、そもそもサレナ自身が(自覚はしていないものの)そういう繊細さとは無縁の図太い神経をしているせいでもあった。
そして何より、ここは一人でさっさと食事を切り上げておかなければならない事情もあった。
それは一体何なのかと言うと――。
(ゲーム本編で、入学してから一番最初のイベントが発生するのがこの食堂だからなんだけど……)
軽いため息と共にそれを思い返しつつも、サレナは探していた条件に合致する席をようやく見つけて、トレーを机に置き、椅子に腰を下ろす。
その席とは、食堂の隅っこにあって目立たず、なるべく人も少ない地味な場所。
大きな長机の最果てにあるそこは、都合がいいことに今のところ対面にも隣にも人がいなかった。
そしてもちろん、少し離れたところに座っているのも、自分と同じ群青色のローブを羽織った新入生達。
まあ、ここはこの食堂における『一年生のための区画』だから当たり前なのだが。
しかし、実は"それ"こそが、サレナの探していた席の中でもっとも重要な条件であった。
何故かというと、ゲームにおいてそのイベントは、サレナが自分の座る席を間違えることを切っ掛けとして発生してしまうものだからだ。
サレナはそのイベントの内容についての記憶を思い出しながら、今一度何かを確認するかのように食堂をぐるりと見回してみる。
この食堂は、学院に在籍している学生全員が一斉に利用出来るように、かなり広めに作られている。当然、その分席数も多い。
しかし、学生全員が一斉にランチタイムに利用出来るようにはなっているものの、実はこの食堂の席は学年ごとに利用出来る区画が分けられている。
三年生は三年生と、二年生は二年生と、一年生は一年生と。
バラバラに分け隔てなく交わって食事をするのではなく、同じ学年同士で固まって食べるように決められているのだ。
そこには古めかしく厳格な貴族社会的年功序列制度が存在しており、先輩は常に後輩より偉いのだった。
だから食卓を共にしないし、互いにそうするべきではないと思っている。その表れとしての食堂の席の区画分けであった。
学院の新入生達は貴族の子供達であるため、貴族的な慣習としてそういう取り決めがあることを事前に知っている。あるいは新入生同士で固まって行動する際にそういう情報を共有する。
それ故に、滅多に席を間違えて座る者はいない。
しかし、ゲームでのサレナは平民出身かつ特別扱いでの入学ということで肩身も狭く、新入生の輪に入れないまま一人で初めての食堂に向かうことになる。
そして、そこで間違えて三年生の区画の席に座ってしまうのだった。
その場合、その不作法を、後輩を教え導く先輩が指摘してやらなければならない。
この慣習は規則として明文化されているわけではなく、そういう情報を自分で事前に知っておいてこそ貴族に相応しいとされる暗黙の作法に近いものなのだった。
もちろん平民であるサレナがそういう貴族的な作法に通じているわけもないので、そんな不作法をしてしまうのも仕方ないといえば仕方ない。
とはいえ、それを誰かが指摘しないわけにもいかない。
故に、サレナは公衆の面前でまるで晒し者のように三年生の先輩から不作法について教えられ、説教されてしまうことになるのだった。
顔から火が出そうなほど真っ赤になって、萎縮したままひたすらそのお説教を受けるしかないサレナ。
それが、このイベントの流れとなっている。
だから、それを避けるためには新入生の座る席さえ間違えなければいいのだ。
たったそれだけで、恐らくこのイベントが発生してしまうのを防げるはずだった。
とはいえ――。
「ちょっと勿体ないと思っちゃう気持ちもあるけどね~……」
サレナは大きく溜息を吐きながら、そう思ってしまう原因についても思い出してしまう。
実はこのイベント、ゲームにおいては愛しのカトレアさまとの初邂逅が盛り込まれたものでもあるのだ。
何を隠そう、そのサレナの不作法を指摘してお説教をしてくる三年生の先輩というのが、カトレアさまその人なのである。
だから、このイベントの発生を避けるということは、この学院においてのカトレアさまとの初めての出会いを避けてしまうということでもある。
結局はカトレアさまにお説教されてしまうという、あまり彼女からの好印象を得られないイベントであるとはいえ、やっぱり何だかんだで顔を見て会話を出来る機会を逃してしまうのはかなり惜しいように思えてしまうサレナなのだった。
「…………!」
しかし、ここはやはり涙を飲んでそれを我慢するしかない。
サレナは目をぎゅっとつぶり、拳を強く握りしめて何とかその誘惑に耐える。
何故ならば、そのイベントはカトレアさまとの出会いだけではなく、なるべくなら避けておいた方がいいもう一つの出会いまでをも呼び込んでしまうものだから――。
(だから、ここは我慢よ……我慢するのよ、サレナ……!)
その危険性を思い出すことで何とか欲求を抑え込むと、サレナは再びその決心が揺らいでしまわない内に食事を済ませてしまうことにした。
目の前には、食堂の職員さんに本当にこれでいいのかと問い返された程の、大盛りサンドイッチ。
しかも挟まれている具はハムや玉子なんてケチケチしたものではない。ローストビーフやエビなど、普段はサンドイッチの具としてお目にかかることのないようなものが挟まれている。野菜も瑞々しくて新鮮だ。
流石この学院は貴族の入る名門校だけあって、食事も並外れた水準で豪華だし、美味しそうだった。
……これから毎日こんなものが食べられるのなら、本当にこの学院に入学することが出来て良かった……!
なんてことを思いながら、サレナはほくほくした笑顔で手を合わせて、食事を開始しようとする。
「いただきます……!」
静かにそう呟いた後、サンドイッチをわしっと掴み、大口を開けてかぶりつこうとした。
その時だった。
「探しましたわよ、サレナ・サランカ!!」
突然横合いから自分の名を呼ぶ大声が聞こえてきて、思わずサレナは驚きと共に一口目を中断――
「…………んむっ?」
――しようとはせずに、とりあえず一口だけかじりついた後で、もごもごと咀嚼しながらそれが聞こえたと思われる方向を向く。
「人に名を呼ばれたというのに、何を悠長に食べていますの!?」
サレナが視線を向ける先から、驚きと怒りを混ぜた声が先ほどと同じような音量で再び飛んできた。
「…………ッ!?」
一方のサレナはその声の主の姿を見て、さらに自分の驚きを深くする。
そこにいたのが、全く自分の想定していなかった人物であったからだった。
自分と同じ女子用学院制服と群青のローブに身を包み、恐らく背格好まで同じくらいだと思われる体型。
薄桃色のくせっ毛をツインテールにした髪型。可愛く整った顔をしているものの、その気の強さを示すようなツリ目が特徴的な女の子。
サレナは急いで口に含んだサンドイッチをよく噛んでから飲み込むと、戸惑いと共にその名前を静かに、口に出して呟く。
「アネモネ・ラナンキュラス・バートリー……!」
どうして、あんたがここで出てくる。