魔女は二度倒れる ―6
サレナもカトレアさまに倣って体ごと真っ直ぐ向き合うと、「そういう話?」と呟きながら首を傾げた。一体どういう話なのだろう。
「今回のことで、結果としてお互いにどれだけ幸せになれたかという話。この前の結果は残念だったけれど、今回はきっとそうじゃないって思うから」
カトレアさまはサレナの疑問にそう答えると、それから満面の、本当に幸せそうな笑顔になって言う。
「私は今、幸せよ、サレナ。心の底からそう感じてる。グラディオと結婚しなくてもよくなって、とっても嬉しい。……グラディオにはちょっと悪い気もするけれど、まあ自業自得よね。学院を卒業した後で自分がどうなるのかはまだわからないけれど、何だか希望が湧いてきたわ。自分が幸せになれるかもしれないっていう希望が、ね。あなたが私にそう思わせてくれたのよ。だから、泣いたりしないで。胸を張って、誇っていて。今回のことで、サレナが私を幸せにしてくれたの。本当に……ありがとう」
サレナはそれを聞いて、あまりにも胸が一杯になったせいでまたしても反射的に涙腺が決壊しそうになってしまった。
だが、カトレアさまの言いつけを遵守してみせるために、眼球に力を総動員してどうにかそれを耐え抜く。
耐え抜きながら、泣く代わりに、心の中に湧き出る叫び出したいほどの幸福を噛みしめる。
サレナがしたことは、無駄じゃなかった。失敗なんかじゃなかった。
愛する人をちゃんと、幸せにしてあげられていたんだ。
最終的な目標にはまだまだ遠いとはいえ、今回はそれこそがサレナの本懐。
ひとまずそれが達成出来たということは、この運命への反逆が初めて成功したような手応えをサレナに与えていた。
「私も……! 私も、今、とっても幸せです! カトレアさまがそんな風に幸せになってくれたことだけで、私の方も十二分に報われました! こちらこそ、お礼を言わせてください! 本当にありがとうございます、カトレアさま!」
だからサレナはカトレアさまに負けないくらいの満面の笑みを浮かべて、心の底から満ち足りた気持ちとともにそう返した。
これ以上の幸せがどこにあるだろうか。サレナがニコニコと笑いながらそう思っていると。
「それは違う。それはダメよ、サレナ」
何故かカトレアさまは先ほどから一変、なんだか不満げな顔と声できっぱりとそう言ってきた。
……えっ、えっ、何? どういうことですか? 私、また何かやっちゃいました?
そんなカトレアさまの豹変ぶりに、サレナも有頂天から足を滑らせて一気に転がり落ちていくような気分で狼狽えてしまう。
「私が幸せだから、それだけでサレナも"十分幸せです"だなんて、そんなの筋が通らないわ。たとえサレナが本気でそう思っていたとしても、私の方は納得できない。幸せはお互いに与え合うべきよ」
そうして狼狽えているサレナへ、カトレアさまは今度は真面目な表情となってそう言った。
それから不意にその表情を少し和らげると、こう問いかけてくる。
「だから、サレナがどんなことをされたら幸せに思えるのか、正直に話してちょうだい。それが私に出来ることならば、どんなことでもしてあげるわ。あなたは今回、こんなになるまで私のために頑張ってくれたんだもの。せめて、それくらいのことは私にさせて欲しいの。お願いよ」
それを聞いて、しかし、"そう言われましても"とサレナは困り果ててしまう。
なんたる律儀さ。そして、なんたる頑固さ。それもカトレアさまの魅力の一つではあるのだけれど。
こうしてその矛先が自分に向けられると、そう暢気には言っていられないものがあった。
さて、どうしよう。
何でもしてあげると言われても、正直本当に今は満たされきってしまっていても何も思い浮かんできそうにない。
物質的な欲望も特にない。お金や物が欲しくてやったわけではない。
かといって、物質的でない欲望などさらに以ての外である。
いや、ぶっちゃけると興味がないでもないが、何かと引き換えにそんなこと、金品以上に最低である。不潔である。ええい、何を考えているんだ私は。
「…………」
そう。実際本当に何でもカトレアさまに要求出来るのであれば、一番欲しいものはその"気持ち"である。
だけど、それは望んだところで真に得られはしない。
何よりこんなところで望んだりして手に入れるべきものじゃない。
サレナは何だか急に虚しくなってくる。
だから、結局行き着く結論は『カトレアさまにして欲しいことは何もない』というものになってしまう。
愛する人に望むことが、本当にそれでいいのかどうかはまだよくわからない。
無償の愛。それは美しいものだけど、自分はそんなに清らかな聖人だろうかと思うと、それも何とも自信はない。
だったら、逆さまにして叩けば何か一つくらいは欲望が転がり出てくるものではないだろうか。
サレナはそう思い、内心で必死にそれを実行してみる。
そうして無言で考え込むこと数十秒。ようやくサレナの頭の中にぽろりとそれは落ちてきた。
「――だ……だったら、その……ほっぺたにカトレアさまのキスが欲しいなぁ……なーんて……頑張ったご褒美に……えへへ……」
結局これくらいしか思いつかなかった。
なのでサレナは意を決してそれを口に出してはみたものの、即座にそれを後悔した。
何を言っているんだ自分は。
要求といい、それを口に出す時の声といい、あまりにも気持ち悪すぎるだろ。
ご褒美にキスしてくださーい、だなんて。
思いついた時はこれしかないと感じたけど、今となってはあまりにも品がなさすぎて死にたくなってくる。とても正気とは思えない。
せめてもうちょっと可愛らしくおねだり出来たらまだマシだったのだけれど、みみっちい恥じらいが邪魔をした結果一番引かれそうな言い方になってしまった気がする。
ああ、どうして。どうしてこんなことに。
サレナはもはや俯き、縮こまることしかできない。
これを聞いたカトレアさまが一体どんな顔をしているのか、恐ろしくて確認することも出来ない。
引かれていたらどうしよう。断られるならそれでもいい。
だけど、もしも嫌われちゃったら明日から生きていけない。
ああ、どうにか時間を巻き戻せないものだろうか。
サレナがそんなことを一人ぐるぐると考えて死にそうになっていると、
「なぁに、そんなことでいいの?」
不意に、カトレアさまがくすっと笑いながらそう仰られる声が聞こえた。
……はぇ?
サレナは思わずとんでもなく間抜けな顔をしながら、どういう意味か確認するためにカトレアさまの方を向こうとしたが、それが果たされることはなかった。
何故ならば、急に自分の頬に何かが触れる感触がして、その瞬間サレナの全ての時間が止まってしまったからだった。
この世のものとは思えないほどに柔らかくて、しっとりと優しい暖かさを伴ったカトレアさまの唇が、ほっぺたに接触している。
それを理解した瞬間、それは数秒にも満たない時間だったであろうが、確かにサレナの知覚する世界は一切が停止していた。
それは自分の思考さえも例外ではなく。
「……はい、これでいい? なーんて、ふふっ。私からしておいてなんだけれど、女同士でも結構恥ずかしいものね、これ――」
その感触が離れると同時に、また全てが動き出した。
横ではカトレアさまが若干恥ずかしそうな声でそんなことを言っているのが聞こえているが、サレナの頭の中でその意味を理解されることなく反対の耳から抜けていった。
脳の機能は完全停止。
自分がさっき何をされたのか、理解はしていつつも上手く処理しきれないまま、サレナはベッドの上へゆっくりと背中から仰向けに倒れ込む。
「きゃっ!? さ、サレナ、ちょっと! 急にどうしたの!? サレナ!?」
そんなサレナに気づいたカトレアさまが大慌てで揺すりながらそう声をかけてくるが、今のサレナにはそれに応える余裕がなかった。
顔は茹で蛸みたいに真っ赤になり、かっかと燃えているかのように熱っぽい。
顔だけじゃない、頭も。何なら全身そんな感じであった。
そして、本能的に理解する。今夜はこのまま立ち上がれそうにない。
それほどまでに、カトレアさまのそのキスが、サレナにとって今日受けたどの攻撃よりも一番、効いた。
(『このゲームを百合ゲーとするっ!』 第二対決、これにて決着)
というわけで、第二対決はこれにて完結(決着)でございます。
ここまでお付き合いいただきありがとうございました!
第三対決はまたその内、書き上がったら投稿していこうと思います(書く気、あります)。
自分のスタイル的に全部書き上げてから一気に投稿していく形になるので、ちょっと時間は開いてしまうかもしれませんが……頑張ります。
続きを書いていくにあたって、皆様の評価や感想(特に感想……)をいただければ大いにその励みになり、モチベーションも高まるかと思われますので……よろしければそちらもお頼み申します……。この作品が皆様の心に少しでも何かを与えられていたら、なにとぞ……。
とはいえ、暑い最中の8月いっぱい、この作品にお付き合いいただけただけでも幸いです、ありがとうございました!




