魔女は二度倒れる ―4
その冗談は、正直サレナ達にとっては素直に笑っていいのかどうか計りかねるものであった。
殴り倒すだけでは飽きたらず、ここまでの皮肉をぶつけるとは。案外カトレアさまも意地が悪い。
なので強制的に向き合わされたサレナもひきつり気味の苦笑いでグラディオを見るしかない。
しかし、それを聞いたグラディオはというと別段気分を害した様子でもなく、大袈裟に肩を竦めながら溜息を吐いてみせた。
「…………」
そして、突如真剣な表情になると、無言のままですっとサレナの方へと近寄ってきた。
えっ、何何何。いきなりのその行動にサレナは少しばかり動揺する。
他の全員にとってもそれは不意打ち過ぎたのか、誰もグラディオを止めることが出来なかった。
そんな中で、誰もが驚いて動けないのをいいことにグラディオは更に踏み込んできた。
「――――ッ!?」
ほぼ密着といっていい距離まで近寄ってきたグラディオは、手を優しくサレナの顎に添えると、そのままくいっと少し上向かせた。
すわ何かの攻撃を加えてくる気か今更。
そう思いながらサレナは反射的に身を固くするが、グラディオが次に取った行動はある意味暴力よりもよっぽど性質の悪いものであった。
グラディオはそうしてサレナの顎に手を添えて上を向かせたまま、自分も身を屈めてそこへ顔をゆっくりと近づけてきたのだった。
もはやサレナの頭は混乱の極みに達し、グラディオの端正な顔が嫌にゆっくり迫ってくる中で真っ白になって固まってしまい動けない。
だが、あわやぶつかる寸前というところで、グラディオの顔の軌道は唐突に横に逸れた。
そして、サレナの耳元へとその口を寄せてくると、その距離でだけ聞こえるような声で何かを囁きかけてくる。
ただし、それはそのロマンチックな仕草に相応しい睦言などではまったくなくて――。
「――お前の身体が全快したら、いずれまた本気で闘り合おうじゃないか、サレナ。この借りは必ず返す。それまでカトレアはお前に預けておいてやろう」
それとはまるで正反対の、無骨で色気の欠片もない恫喝であった。
サレナがそんなことを耳元で聞かされているとは露知らず、他の面々は突然の衝撃的な光景に少しばかり頬を染めながら唖然としている。
言いたいことはそれだけだったのか、グラディオが耳元からゆっくり離れていくのをサレナは感じた。
しかし、このまま"はいそうですか"と帰すわけにはいかない。
行動の意味深さの割に言われたのがあんな言葉だったことで、サレナは一瞬で夢から覚めるように己を取り戻していた。
そして、心中にはそうやってからかわれたことに対する悔しさが渦巻いていた。
だから、サレナは離れていこうとするグラディオの胸ぐらをばっと掴むと、もう一度強引に自分の方へと引き寄せる。
そして、今度は自分がグラディオの耳元へと口を寄せた。
そのあまりに大胆な行動に一同が息を呑み、アネモネなんか小さく可愛い悲鳴を上げたりしているのが聞こえる中で、サレナはグラディオへ囁き返す。
「望むところです。いつでも相手になりますよ」
なるべくドスのきいた声を意識しながらそう言うと、サレナは突き飛ばすようにしてグラディオを解放した。
それでグラディオが一、二歩後ろへ下がり、距離を開ける。
そのまま二人はしばらく睨み合っていたが、やがてどちらからともなく笑い出した。
それは愉快さから生じたものではない、肉食獣のような好戦的な笑い。
何となく張り合う気持ちに火がついて、今ここでもう一度やるかといわんばかりの空気が二人の間に漂い始める。
周囲の人間そっちのけで再びグラディオが距離を詰めてきたのにサレナも負けじとガンを飛ばし合っていると。
「もう、いい加減にしなさい!」
怒ったような大声でそう言いながらカトレアさまが間に割って入ってきて、ぐいっと二人を引き離した。
「二人とも、これ以上喧嘩するつもりなら……」
そして、鋭い目つきで二人を順番に睨みつけてくる。
その迫力にサレナも思わず素でビビりながら、両手を上げて「もうしません」というポーズを取る。
グラディオも後ずさってカトレアさまから距離を取りつつ、サレナと同じポーズで無抵抗の意志を示していた。
「わかった。今日はここまでにしておこう。もう一発殴られたくはない」
グラディオはそう言いながら、そろりそろりと部屋の扉の方へと後ずさりで近づいていく。
その若干情けない姿と言葉に全員が呆れたような目を向けてしまうが、それも気にならないくらいにグラディオは怒ったカトレアさまに恐れを抱いているようだった。
「邪魔したな。だが、今日は久々に心から楽しかった。最後にそれだけ感謝しておこう、サレナ・サランカ」
それから最後にサレナの方を向いてそう言うと、グラディオはあっさりと部屋から出て行ってしまった。
あるいは、案外そういうおどけた振る舞いもグラディオは楽しんでやっているのかもしれなかった。
傲岸不遜で鼻持ちならない性格であることは確かだが、思えば意外と冗談が好きでノリのいいタイプだった。
去り際に残していったその言葉通りに、これまでの出来事全てを楽しめたからこそサレナにも誰にも遺恨を抱いているようなこともないのだろう。
今までは最低最悪の人間だと思っていたけど、少しは見直すべきところもあるのかも。
なんて、そんな風に思えるのは、直接拳を交えたことで何かが通じ合ったせいだろうか。漫画みたいな話だけど。
「……さて、グラディオだけじゃなく、そろそろ私たちもお暇しましょうか」
サレナがぼんやりとそんなことを思っていると、おもむろにカトレアさまの方もそうみんなに呼びかけた。
いつの間にやらカトレアさまが場を仕切る形になっているが、一同それに不満もないようだった。まあ、逆らうのも怖いし……。
呼びかけに応じて、全員が帰り支度を始める。
「あの……私は……」
そんな中で、サレナは自分がどうすればいいのかわからず、不安そうにカトレアさまへ視線を向ける。
「サレナは今日一晩はここに泊まるのよ。そして、絶対安静。わかった?」
サレナの疑問を正確に読み取ってくれたカトレアさまはそう答えた。
「……疲れているでしょう? 無理をさせたわね、ゆっくり休みなさい」
それからふっと微笑むと、不安そうにしているサレナの頭を優しく撫でてくれた。
「はい……」
それだけで何だか心がほっと落ち着いて、サレナは素直に頷きを返す。
カトレアさまも「よろしい」と言うように微笑みながら頷いてくれた。
それから、帰り支度を整えたみんなは「それじゃ、サレナさん」「大人しくしとけよ」などと口々に別れの挨拶を告げると連れ立って退出していった。
後に残されたのはがらんとした個室の医務室と、サレナ一人。
騒がしいにも程がある面会だったが、こうして一斉にいなくなられると何だか静けさに落ち着かないような、少しばかり寂しい気持ちになってしまう。
「…………」
サレナは自分がそんな心細さを感じていることに若干驚きながら、上半身を倒して再びベッドに横になる。
最愛のカトレアさまはともかくとして、友人や知り合いの先輩方にも自分はいつの間にかそこまで心を許してしまっていたらしい。
こうしてみんなから取り残されると寂しいと思ってしまうくらい。
小さな子供じゃあるまいし。……いや、年齢的には実際十分子供かもしれないけど。
それともこれは、まあまあの大怪我をしていることによってナーバスになっているだけだろうか。
身体中の痛みには大分慣れてきたけども。
……でも、まあ、出来るだけ早く戻りたい気持ちなのも確かなんだよな。
あの日常に。何よりカトレアさまの傍に。
「……疲れた」
サレナは何だか変に感傷的になってしまった気分を誤魔化すように、声に出してそう呟く。
もう寝よう。とんでもなく疲労していることは確かだし。
そう思って目をつぶると、割合あっさりとサレナは眠りへ落ちていった。




