魔女は二度倒れる ―3
「……これで約束は果たしたぞ、サレナ・サランカ」
と、サレナが少しばかりぼんやりしているところへ、グラディオがそう声をかけてきた。
用事は済んだ、俺は帰る。
先程の神妙かつ殊勝な態度はどこへやら、嘆息しながら気怠げにそう言い放つと、踵を返して出て行こうとする。
「ちょっと待て、グラディオ」
そんなグラディオの前へ、アドニスがすっと立ちふさがった。
「君とサレナさんの間にどういう約束事があったのかは知らないが、まさかこのまま出て行くつもりか?」
そして、なんとも珍しいことに少し立腹しているような様子でそんな言葉を放つ。
「詳しい事情が知りたいならあいつに説明してもらえ。俺の口からお前らに話す義理はない」
そんなアドニスに絡まれたことを心底鬱陶しがっているような声で、グラディオはにべもなくそう返した。
「そうじゃない。サレナさんにあれだけのことをしておいて、お前はこのまま出て行くつもりなのかと聞いているんだ」
しかし、アドニスはグラディオのそんな態度を受けてさらに語気を強めながらそう言った。
そして、そんな風に思っているのは何もアドニスだけではないらしい。
気がつけば、ヒースもアネモネも、そしてロッサも、アドニスと同じくそれを咎めるようにグラディオを睨みつけていた。
どうやら全員、グラディオがここまでサレナを痛めつけてくれたことに対して何らかの落とし前をつけることを求めているらしい。決闘に際しての約束の履行とは別にして。
一応サレナの先輩や友人である立場として、あそこまでしてくれた人間を黙って帰すわけにはいかないという気迫が全員から立ち上っていた。
何かしらさせなければ気が済まないようであった。
「はっ、ならどうしろと? 『あんなに殴りつけてしまってどうもすみませんでした』と、そうあいつに謝れとでも言うつもりか? ばかばかしい。あの決闘は双方の合意の上のものだ。何をされても文句は言わないという合意のな。だから謝る必要などないし、そのつもりもない。悪いことをしたとも思っていない。そもそも俺だってあいつのおかげでこの有様だぞ。おまけに俺の方が敗者ときたものだ。それが、敗北した上で勝者に謝れと? ふざけるな、逆に俺の方が謝ってもらいたいくらいだ」
しかし、そんな全員の自分を咎める視線にまったく臆することもなく、悪びれもせずにグラディオはそう言い放った。
あまりにも傍若無人なその態度、むしろ全員を煽り返すようなその口振りに四人が殺気立ち、この場が一触即発の空気となるのを感じてサレナは焦る。
サレナ的には正直あの約束を律儀に果たしてくれただけでも十分だし、謝って欲しいとも思っていないのだが、外野がここまでヒートアップしてしまうとは完全に予想外だった。
それだけ親しい人達に心配をかけ、グラディオに対してこれほどの敵意を抱かせるほど自分のやられっぷりが酷かったということだろうか。
むしろ改めて不甲斐なさと自責の念がこみ上げてくる心地である。
そして、自分にもそんな風に責任がある以上、状況をこのままにしておくわけにはいかない。
どうにか自分のために怒ってくれているみんなを止めなければならないのだが、しかし今ここで自分が何か言ったところで止まるのかどうか。むしろ火に油を注ぐ結果になりやしないだろうか。
そう思ってしまい、おろおろしたまま動けないサレナ。
だが、そんな状況を冷静に見守っていた人物がもう一人いた。
その人物はそのまま何とも落ち着き払った表情と態度で、睨み合うアドニスのグラディオの間へすっと割って入ってきた。
「カトレア……」
アドニスが少しばかり驚いたような声でその名前を呟く。
グラディオも突然割り込んできたカトレアさまに訝しげな目を向けていた。
そんな中で、カトレアさまはアドニスと交代するようにグラディオの正面に立った。
そしてアドニスへ向けて首を少し動かすことで「下がっていて」と指示をする。
何が何やら。そんな困惑の表情をしつつも、とりあえずその指示に従って脇に退くアドニス。
こうして先程と同じく、再びカトレアさまとグラディオが向かい合うこととなった。
「グラディオ……」
「なんっ――」
そして、カトレアさまがグラディオの名を呼ぶ。
グラディオもそれに応じようとしたが、その言葉が最後まで発されることはなかった。
その途中で、カトレアさまがその左頬を自分の右拳で思いっきり殴りつけたからであった。
恐ろしく速い、そして見事な右ストレート。
無防備かつまともにそれを受けたグラディオがたまらずその場で尻餅をつくほどの。
殴ったカトレアさま以外の全員が一様に度肝を抜かれた表情になり、呆然と言葉を失う。
いや、ヒースだけが小声で「グーでいきよった……」と驚愕の呟きを発していた。
その呟きに心の中でサレナは大きく頷いて同意する。カトレアさま、豪快過ぎる。
殴られた頬を押さえながら、呆けた顔でカトレアさまを見上げるグラディオ。
そんなグラディオをカトレアさまは冷たい目で見下ろしながら、言い放つ。
「サレナをこんな風にしてくれたことについては、これでチャラにしといてあげるわ。みんなも、それでいいわね?」
顔を向けてそう問いかけてくるカトレアさまに、全員がぶんぶんと首を縦に振って同意を示す。
流石に今のカトレアさまに逆らってまでこれ以上グラディオに報復しようとする胆力は誰も持ち合わせていなかった。
「グラディオも、それに文句があるなら、今度は私が相手になるわよ」
そしてもう一度グラディオに視線を向けると、拳を構えながらカトレアさまは凛々しく、毅然とそう告げた。
その言葉を聞いて、その姿を見て、グラディオは一瞬呆気に取られた顔をした後で、何と大声で笑い始めた。
一体何がそんなに面白いのか。
全員が目を細めて不審がる中でグラディオはひとしきり笑い続けると、それからゆっくりと立ち上がる。
「いや、お前と戦うのはやめておこう。一日に二度も敗れるような馬鹿にはなりたくないからな」
そして、なおもくっくと笑いながら、カトレアさまにそう告げた。
「そう、それは良かったわ。ああ、それと、婚約破棄の件については、また今度二人で詳しく話し合いましょう。もちろん私もそれを受け入れてあげるつもりだけど」
一方、グラディオのその言葉を聞いてカトレアさまは構えを解くと、何とも素っ気ない声でそう言った。
「ああ、わかったよ。しかし……」
グラディオの方もそれに快諾を示すが、不意に笑うのをやめると、何とも神妙な顔つきになる。
「それが果たすべき約束であるとはいえ、今更猛烈にお前との婚約を破棄することが惜しく思えてきたな。今みたいなお前であれば、俺も初めて女というものを愛せるようになっていたかもしれん」
それから冗談とは思えない、本気で惜しがっているような声でそう言った。
「あら、奇遇ね。私の方も、今みたいなあなたなら結婚してみてもいいかもしれないって少しは思えるわ」
それを聞いたカトレアさまの方でも、何を思ったか冗談とも本気ともつかない様子でそんな言葉を返したので、サレナ達はぎょっと目を剥いた。
一体二人とも何を言い出すのか。グラディオなんて"ほほう"と満更でもなさそうな顔をしている。
「でも、残念」
しかし、それはやはりカトレアさまなりのお茶目な冗談であったらしい。
カトレアさまは優雅にサレナの方へと近づいてくると、その両肩に優しく手を置き、グラディオの方へと向かせながらきっぱり言い放つ。
「この子がこんなにも体を張るくらい、私とあなたの婚約を望んでいないみたいだから、私はそれに従ってあげることにするわ。どうしても私を振り向かせたかったら、いつかこの子に勝利してみせることね」




