愛のために剣を持て ―5
それから何とも朗らかな笑顔で、談笑の延長であるかのようにグラディオは話し続ける。
「俺自身、戦いにおいては今この世界の誰にも負けない自信はあるが……それでもより強力な子孫を残すことは自分の務めであると思っている。一族の繁栄のためにもな。それに、己の血を分けることでどれだけの魔力と魔術の才を持った子供を生み出せるものかという興味もある。だからこそ、子を成す相手は厳選しなければならない。その点、カトレアは合格だ。文句のつけようもない、俺ですら認める優秀な魔術士だ。俺達の間に子が出来たならば、間違いなく二人の才能を受け継いだ最高の魔術士となるだろうさ。実際、こっちの実家もそれを期待して俺達の婚約を取り決めたのだろう」
そして、唖然とした表情で固まっているサレナを見ると、グラディオはようやく何かに合点がいったというような顔つきになる。
「ああ、お前を愛人にしようと誘ったのもまったく同じ理由だよ、サレナ・サランカ。子供を産ませるためだ。特殊な魔力を持ち、才能に溢れた魔術士だと聞いたからな。俺とお前なら、カトレアとのそれと同じくらい優秀な子が生まれるのではないかと思ったのさ。まさか、俺がお前に気があるとでも勘違いさせてしまったか? ははっ、だったらすまんな。そして、改めて断言しておくがそんな感情は一切ないぞ」
相当失礼なことを面と向かって言われているのだが、今のサレナにはそれに対して反応している余裕がなかった。
そんなことよりもよほどサレナにとって優先されるべきことへの感情に支配されていたからだった。その感情が大きすぎて思わず固まってしまう程に。
だが、そんなサレナの様子にもお構いなしに、グラディオはなおも言葉を続けていく。
「なるほどなるほど、ようやくわかったよ。お前は不貞に抵抗があったんだな。それも、婚約者の目の前で俺がそれを行おうとしていると思ったわけだ。普通であれば信じがたいことかもしれんな、確かに。だが、さっきも言ったように俺は最初からカトレアを愛してはいない。今後もそうするつもりはない。だから、向こうでも同じようにしてくれていいと思っている。つまり、カトレアの方でも俺を愛する必要はないということだ」
グラディオの言葉は、サレナのその感情をどんどんと膨れ上がらせていく。風船に空気を入れ続けるかのように。
「もちろん、結婚した以上表向きは一般的な夫婦を装ってもらう必要はある。そこは俺も努力しよう。互いに頑張って演じるべきだ。だが、それ以外は自由にさせてやる。俺を愛さずともいいというのもそうだ。まあ、今の時点で愛されているとも感じていないしな。ずっとそのままでもいいさ。そして、愛してもいない男が勝手に愛人を作ったところで、それは不貞として成立しえないだろう? 逆も然りだ。俺も愛していない女が何をしていようがどうとも思わん。卒業すれば俺も当主としての仕事にかかりきりとなるだろうから構ってやる暇もない。一人が寂しかったら愛人でも囲えばいいさ。それこそ何人でも。全てを寛大に許してやろうじゃないか」
そこまで話し終えた後で、不意に「忘れていた」とでも言うような表情をしながら、グラディオはカトレアさまの方に向き直ると最後にこう付け加えた。
「ああ、それでも子供を産むことだけは忘れてくれるなよ、カトレア。それが俺の婚約者としてのお前の最大の務めだからな。だが……まあ、お前はそのためだけの機械のようなものだからな、機械が役目を忘れるはずもないか」
その瞬間、限界まで膨れ上がったサレナの感情が破裂した。
感情の名前は『怒り』。
世界で一番大事な、愛する人を目の前で散々に侮辱されたことに対するあまりにも巨大な怒りだった。
それがサレナを冷静な思考ではなく、完全に激情と衝動のみで突き動かす。
声一つ発さず、目を剥き、臨界を越えた怒りによる無表情で。そのまま座っていた体勢から即座に体を縮めてバネを溜めると、机を飛び越えてグラディオへと襲いかかっていく。
頭の中はもはや"目の前のクソ野郎を殴り殺す"という決意で塗りつぶされている。
だが、そんなサレナの身体は机に足をかけて飛びかかろうとする寸前でピタッと動きが止まってしまった。
「離せええぇぇぇ!!」
それが誰かに後ろから羽交い締めにされているせいだと即座に気づいたサレナは、反射的にそう喚き散らす。
喚きながら、その拘束を引き剥がそうと滅茶苦茶に手足をばたつかせる。
「落ち着けサレナ!! ここで殴りかかったらヤバいのはお前の方だぞ!!」
サレナを羽交い締めにして止めているのはヒースであった。
ヒースごと引きずってでも向かっていこうとするサレナをどうにか取り押さえながら、焦りを滲ませた大声でそう呼びかける。
「ははっ、怒ったか。それとも愛人はやめて手合わせ希望に変更か? 俺はどちらでも構わんぞ。そこのデカいのも離してやれよ、折角の盛り上がりに水を差すな」
サレナが今にも襲いかかってこようとしているというのに身構えもせず、悠然と座ったままそう言うと、グラディオは心底愉快そうに笑う。
それは初めて出会った時と同じ、狂気と冷たさを帯びた笑顔。
だが、あの時と違ってサレナはそれに微塵も恐ろしさは感じなかった。
代わりにその全てを見下した笑いと態度はサレナの怒りを更に煮えたぎらせる。
「がああぁぁあぁぁ!!」
言葉の体を成していない獣のような唸り声を上げながら、サレナはヒースの制止も構わず必死にもがき、グラディオへと手を伸ばす。あいつの髪を掴んで、顔面を机に叩きつけてやるんだ。
何がオレ様系だ。何がゲームと同じく本当は優しい一面もあるのかもしれない、だ。
暢気にそんなことを考えていた自分の顔をはり倒してやりたいくらいだ。
目の前の男に限っては、あのゲームの中のキャラクターとはまるで違う。
あれよりももっと凶暴で、暴力的で、横暴で、傲慢で、尊大で、不遜で、何より人を人とも思っていない、自分以外の全ての人間を見下している、最低最悪のクソ野郎だ。
こんな男を一時でも恐れた自分が許せない。
こんな男がもしかしたら自分に好意を持っているのかもしれないと一時でも考えた自分が許せない。
そして、何よりも許せない自分は――。
「――――ッ!?」
サレナがそんな激情に支配されたままもがき続けていると、横から唐突にダンッと何かが卓を思いっきり叩きつける音が響いた。
「…………っ」
その音を聞いた瞬間、サレナは驚いて思わず動きを止めてしまう。
頭の中を塗りつぶしていた怒りも、それで一旦静まりかえる。
そして、その音に静まりかえったのも、驚いているのも、サレナだけではなかった。
ヒースも、アネモネも、さらにはグラディオまでも、目を丸くしてその音を出した張本人の方を見ている。
「…………」
音の出所はカトレアさまだった。
カトレアさまが突然その両手で円卓を思いっきり叩きながら、勢いよく立ち上がったのだった。
そのカトレアさまは円卓に手を叩きつけた姿勢のまま、無言で俯いていた。
深く伏せられたその顔は今一体どんな表情をしているのか、サレナからは窺い知ることが出来なかった。
「――私……申し訳ないけれど、先に戻らせていただくわね。ごめんなさい、三人とも、後片付けをお願いするわ」
そして、絞り出すような声でそう言うと、そのまま急に背を向け、誰にも顔を見せないままでそこから走り去っていく。
誰もそれに対して何も言えず、制止すら出来ないままで、呆気に取られたように遠ざかっていくその背中を眺めることしか出来ない。
「――――っ! もうっ! いい加減離せ!」
その中でいち早く我に返ったサレナが、思いっきり手足をばたつかせてヒースを振りほどく。
先ほどと違い、カトレアさまの行動に気を取られていたヒースの拘束は驚くほどあっさり解けた。
さて、そうして自由になって果たしてどうするのか。
「――カトレアさまっ!」
しかしサレナは一瞬も迷うことなく、カトレアさまを追って駆け出した。
今は、それ以外のことは考えられなかった。
「あっ! おい! サレナ!」
「ちょっと、ヒースさん! 待って、片づけ!」
「あーっ!? ったく、チクショウ!」
しかし、遠ざかる背後からそんな友人二人の慌てた声が聞こえて、サレナは一瞬躊躇しそうになる。
二人だけをあの場に残していって大丈夫だろうか。片づけを全部任せてしまって申し訳ない。
何よりグラディオまであそこに残ったままなのも不安だが。
……ごめん、二人とも!
それでも、心の中で何度も謝りながら、罪悪感を振り切ってサレナは駆けていく。
やっぱり今一番放っておけないのはカトレアさまだ。何よりも、誰よりも、カトレアさまが心配だ。
追いついて、様子を確認して。
そして。サレナは思う。
そうした上で、自分には知らなければならないことがある。
だから、サレナは追いかける。
今は全てを振り捨てて、とにかくカトレアさまの元へ。




