未知の知
「っ、緋縅の椿……?」
「そう、私たちの組織名だ。とはいってもまだ数え切れるほどしか人員がいないんだけどね。君らを入れても二十か……三十くらい?」
「……そんな人数で勝算はあるのか?」
「勿論勝てる! ……と、言いきれればよかったんだけどね。残念ながら簡単じゃない」
改めて椅子に座りなおし、背もたれに体重をかけてリラックスし始めた刹那さんに、一緒に行動すると言い切った、いわば仲間としての純粋な不安を投げかける。
安心できるような発言を期待していなかったといえば嘘になるが、しかし返ってきた答えは非情で現実的なものだった。
「でも、絶対に勝てないわけでもない。君らも見たはずだ。本能の、人智を超えた力を」
そう言われて最初に思い出されるのは逃げ出す直前、無数の化け物たちが突然現れて暴れまわっていたところだった。今になって思い返してみれば、部屋中を破壊していたにもかかわらず、一部、夢の周囲だけは奇麗なままだった。あれも本能の力、それも夢の持つ本能の力だったのかもしれない。
「そして琉生、愛璃、二人の話を聞いた限り、君らにも本能が使える可能性が高い」
「俺らが……? けど――」
自分の手のひらを見つめてみる。何か特殊な力が扱えるようになったという感覚もなければ、どうすれば発動するのか、そもそも本当に使えるようになっているのかすらわからない。なんとなく手を突き出して心の中でそれっぽいことを唱えながら振ってみる。……しかし何も起こらない。愛璃からの視線が突き刺さって心が痛い。
「あー……いや、そっか、知らなくても仕方ないか。二人は本能のことをどれくらい知ってるんだ?」
失念していたとでも言いたげに髪をかき上げながらそんなことを聞かれ、不意にキョトンとした顔をしている愛璃と目が合う。
そういえば、あのとき部屋に入った直後、影のようなものに包まれて姿を消した愛璃を見たことを思い出す。あれも、本能の力なのだろうか。だとすれば、女医の言っていたことが正しければ愛璃はあのときに――。
「わ……私は、本能っていうのも、ここで初めて聞いたから」
「……俺は、トラウマから身を守る力だってことは知ってる」
「そっかー……うーん……」
思考に沈みそうになったところに、それを遮るように愛璃の声が聞こえてきて現実に戻される。そして少し遅れて答えを返す。 しかし、その答えに不満なのか刹那さんは腕を組んで唸ったまま何かを考え込んでしまった。
一分ほどそうして沈黙の時間が流れていたが、唐突に何かをひらめいたのか「よし!」と言って膝を叩き、それに驚いてしずくと愛璃の肩が少し跳ねた。
「説明が面倒くさい! しずく、後は任せた!」
「……え、えぇ!? 私ですか!?」
「………………冗談だよ」
「冗談とは思えない間だったんですけど!」
出した結論はまさかの丸投げだった。冗談だと撤回こそしたが、どう見ても本気で丸投げしようとしていた。慣れていそうな雰囲気のあったしずくでさえ振り回されていて、まだ日の浅い俺と愛璃は全くその勢いについていけない。
「まぁなんだ、本来の本能の役割としては琉生の言ってることで合ってる。トラウマという、自分に害をなし得るものに対して対抗するため、人間が進化して得た力だ。例えば……しずく、できるか?」
「は、はい」
しずくが手振りで指示を受けると、肩から斜めにかけていた水筒を開けて腕を前に出し、その中に入っていた水を恐る恐る服の上からかけ始める。
「きゃっ!?」
「うわっ、なんだこれ!?」
すると、突然しずくの体から白い煙が噴き出し始めて一気に視界が覆われる。手でなんとか払おうとするも、一向に煙が晴れる気配がない。
それから一分ほど経ち、ようやく少しずつ煙が消え始めて若干息を荒げているしずくの姿が見えてくる。
「っはぁ、はぁ、はぁ……」
「やっぱり、まだ難しいか? 辛いなら休んでてもいいぞ?」
「い、いえ、大丈夫です……。自分で決めたこと、ですから……」
煙が晴れたところで、刹那さんがしずくに怪訝そうな顔で休むことを提案するが、息を荒げ、顔を青ざめさせながらもそれを断る。
「い……今のが私の本能です」
「本来の役割とずれるんだが、今みたいに条件さえ理解していればそれをトリガー――発動条件として任意に発動させることもできる」
「わ、私はまだ、扱い切れていないんですけどね」
謙遜、という感じでもなく眉を落としてそう言われる。扱えるようになるとどうなるのかは分からないが、何も知らない身としては任意のタイミングで視界を奪えるだけでも十分有用に思える。しかし、これではまだ不十分らしい。
「トリガーを知っておけば本能が暴発することも防げる。だから何か、トラウマを思い出すきっかけになりそうな物とか状況に心当たりはないか?」
「そういわれてもな……」
愛璃と目を合わせて考える。トラウマを思い出すきっかけ、と言われてもすぐには出てこない。そもそも俺の場合は発現している自覚すら持っていない。愛璃の方もどうすればいいのかと困っているようだった。
「……まぁ、思い出すのが辛いなら無理に思い出そうとしなくてもいい。拠点に戻ってからゆっくり調べればいいさ」
「拠点って、ここは違うのか?」
「ん? あぁ、ここはいわば仮拠点みたいなもんだな。目の前に丁度色んなものが流れてくるから時々こうして様子を見に来るだけだ」
……つまり、俺たちが助けられたのは本当に運が良かっただけ、ということだ。もしも二人がタイミングよくこちらに来ていなかったら、とあったかもしれない可能性を想像して背筋が凍る。
「でもまあ、琉生も目覚めたことだし明日か明後日にも戻ろうかと思ってるんだ。車で移動することになるんだが体は大丈夫そうか?」
「……多分、大丈夫だ。まだ痛いのは痛いけどな」
傷跡をさすりながら自分の状態を改めて確認する。さっきは不安になるようなことを言われてよく見ていなかったが、改めて見ると素人目に見ても初めてやったというような感じには見えないほどに丁寧に治療されているように思えた。
「よし! それじゃあ決まりだな。明日ここを発って拠点に帰ろうか。しずく、荷物をまとめるぞ」
「は、はい!」
その返事を聞くや否や一つ手を鳴らすと、しずくに指示を出して忙しなく準備を始めた。
見ているだけでは居心地が悪かったので何か協力できそうならした方がいいかと起き上がろうとしたのだが、その瞬間を刹那さんに見つかってしまい再びベッドに投げ込まれたのでその様子を大人しく眺めていた。




