三分の一
「あら? ちゃんと大人しくしてるのね」
「お前は……」
愛璃が連れていかれてから十分ほど経った頃、部屋に入ってきたのは最初の頃に検査のときにも出会った女医だった。
何がおかしいのか笑いながら、未だに自由に動かすことができない右腕を興味深そうに眺めている。その仕草も含めて何か不気味な雰囲気を感じ、警戒を強める。
「……何しに来たんだ」
「そんな怖い顔しないで? 大事な大事な愛璃ちゃんが連れていかれちゃってピリピリしてるのはわかるけど、ね?」
「ふざけんな!」
愛璃が連れていかれてピリピリしている。それは間違いなくその通りだ。だが、ただでさえどうしようもない焦燥感を煽るような言い方をされて、この女にも、そしてこの状況で何もできない自分自身にもいら立ちが募っていく。
しかし、目の前で叫んだにもかかわらず、その女は飄々とした態度を決して崩さない。さらに腹立たしいことに嘲るように笑って見せた。
「そんなに焦らなくても、実験が終わったらすぐに戻ってくるわ」
「実験……? 実験って、お前ら愛璃に何を――」
「今回は愛璃ちゃんは怪我することはないわ。ただ、怖~い思いをしてもらうだけだから」
居ても立っても居られなかった。今すぐにでも愛璃を助けに行かなければいけない。そんな思いだけが頭の中を支配し始める。しかし、闇雲に探しても無茶だ。一年以上ここで生活して、この施設の広さが嫌というほど身に染みてる上、どこも同じような景色で探しても間に合うかわからない。
「琉生くんさえよければ、今から愛璃ちゃんと代わる?」
「……! ほ、本当か!」
「ええ、急いでいけば間に合うはずだから今から連れて行ってあげる。もう腕も自由になっているはずよ」
藁にもすがる思いだった。一体どんな実験がされるかなんてわからないが、それでも愛璃さえ助かるのなら、自分はどうなってもよかった。だからこそ目の前にちらつかされた、愛璃が助かるかもしれないその提案に飛びついてしまった。最後の言葉から微かに感じた違和感をも無視して。
__
「さ、ここよ」
いつまでも景色が変わらない道を、十分かニ十分か、それ以上にも感じるほどの時間歩き続け、ようやく一つの扉の前で止まる。着いてから、本当にここに愛璃がいるのか、なんていういまさらどうしようもない疑念が浮かび上がってくるが、それを捨て置いて扉が開かれるのを待つ。
そして扉の横にあるパネルを操作してようやくゆっくりと開き始めた扉の隙間に体をねじ込んで愛璃の姿を探す。
「愛璃! 愛……璃……?」
結果から言えば、愛璃の姿はすぐに見つかった。しかし、愛璃の周囲は血にまみれ、足元から伸びる蠢く影のようなものに包まれていて、その現状に理解が追い付かないうちにまるで初めから何もなかったかのように消え去った。そして、大量の血だまりと、磔にされて内臓が飛び散るほど胸の辺りだけぐちゃぐちゃになっている死体だけが残った。
「あら、間に合わなかったわね。残念」
「お前……!」
考えてみればおかしなところはあった。今時連絡手段の一つや二つは持っているはずだし、突然変わったというのならすぐに連絡すればよかったはずだ。それに、場所がわかっているにしては道中やけに時間がかかっていた。大方、わざと間に合わないようにしていたんだろう。
気が付けば、怒りのままに掴みかかろうと手を伸ばし――しかしその手は間に挟まれた長く、鋭い細剣によって阻まれた。
「舞彩ちゃん、ここで武器は出しちゃだめよ? それに、そんなもの出してあなたが暴走させたら私じゃ抑えられないわ」
「……はい、すみません」
割り込んできたのは、愛璃を連れて行ったあの鉄仮面女だった。舞彩は注意を受けると、一瞬何かを言いたげな表情をしたもののすぐに元の無表情に戻って細剣を腰の裏辺りの見えない位置にしまった。
「さて、それはそれとして……間に合わなかったのは残念だけど、実験は手伝ってくれるのよね?」
「いい加減にしてくれ! そんなことするわけないだろ! それは、愛璃の代わりにって話だったはず――」
さっき言ってたことも忘れたのかと、声を張り上げて訴えようとして、その訴えは耳をつんざくような響き渡る破裂音と右腕に感じる強烈な痛みによって遮られた。
「ぁ……ああぁぁあ!!」
「もう、うるさいわね。私は私に不都合な正論が嫌いなのよ」
見れば、女の手には銃が握られており、銃口からは煙が出ていた。どうやら右腕をあの銃で撃たれたらしい。ひどく理不尽な暴論が聞こえてきた気がしたが、未だかつて経験したことのない激痛に悶えてそれどころではなかった。
「……舞彩ちゃん、あの子たちを連れてきてくれる?」
「はい、了解しました」
何か指示を受けた舞彩が部屋から出ていく。そして数十秒ほどで再び、後ろに三人引き連れて部屋に戻ってきた。そのうちの一人は見覚えがないが、一人は愛璃の友人でもあった未莉、そしてもう一人は一年以上同じ部屋で過ごしていた夢だった。
三人ともすでに衰弱している様子が見て取れる上、手を後ろに回した状態で縛られてさらに目隠しまでされている。そして部屋の真ん中あたりまで連れてこられると、横一列に並んで座った。
「それじゃ、約束通り実験を始めるわね。琉生くんのために三人も用意したのよ?」
これから起こることに期待するような、どこか楽しそうな口調でそう言うと、並べられた三人の内、一番左に座らされた面識のない男の子の後ろに周り、手に持った銃を肩に向けた。
「まず一人目から」
そして、なんのためらいもなく引き金を引いた。