日常が終わる日
この施設に来てから、気がつけば一年以上が経過していた。
あの検査のときに出会った四人はどうやら同い年だったらしく、愛璃とその四人とで普通の中学校のような教育も受けさせてもらえていた。
「ねえ琉生、私たちって普通に生きてたらもう来年には高校生だったんだよね」
「そうだけど、どうしたんだよ急に?」
「ううん。ただ、いつまでこの中だけで生活するのかなって、心奈ちゃんと話してたから考えちゃって」
最初に来た時とほとんど何も変わっていない部屋でくつろいでいると、愛璃がそう話しかけてきた。
心奈というのは検査のときに出会った四人の、最初に文句を言いながら入ってきた女の子の名前だ。それを宥めていたのが気弱そうな子が未莉、質問に答えていたしっかりした雰囲気の眼鏡をかけた男の子が翼斗、そしてもう一人、あのときは喋っていなかった中学生にしては恰幅のいい男の子が成樹という名前だった。
愛璃と心奈、そして未莉の三人は、ここで過ごす中でいつの間にか仲良くなっていたらしく、時折一緒に離している姿を見かけていた。
「私も、せめて一回でいいからお母さんに会いに行きたいな」
「……そう、だな」
ここでの生活に不満があるとすれば、最初に来た日から今日まで、一切外に出させてもらえないうえに、今どうなっているのかという情報すらわからないということだった。
あのとき、倒壊した建物に下敷きになってしまった愛璃の母親も、今どこで眠っているのか、もしかしたら奇跡が起きてどこかで生きているのか、それすらも未だに知ることができていない。
「……なあ愛璃――」
「月影愛璃さん、来てください」
ここから逃げ出さないか、そう言おうとしたところを突然入ってきた人物の淡々とした言葉に遮られる。
他の職員と同じ、研究者のような白衣に白手袋を身にまとった、人形のような長い黒髪の無表情のその女は入ってくるなりそう一言だけ言うと、機械のような何の感情も感じられない目でただまっすぐに愛璃のことを見つめ続ける。
「え……っと、わ、私だけ? 琉生は……。それに、今は自由時間じゃ……」
「月影愛璃さん、来てください」
ここの生活は基本的には時間で決められており、時々急に呼ばれることはあってもここまで有無を言わせないという感じはなかった。そしてそれ以上に何かただならない雰囲気を感じてひたすらに戸惑っていた。
「早くしてください。皆さん、待っています」
「……せめて、何をするかぐらい教えてもいいじゃないんですか」
しびれを切らして愛璃を連れて行こうとしたところを二人の間に割り込んで制止しようと試みる。
「邪魔です。今あなたが知る必要はありません」
「そんな言われたって引き下がれるわけないだろ」
「あなたがどう思おうが関係ありません。これ以上邪魔するようなら強硬手段をとります」
ただ目的を果たすことしか考えていないような冷徹な目を、固い意志を持って睨み返す。しかし最初入ってきた時と変わらない無表情で流されてしまう。
「……仕方ありません」
それでも愛璃が連れていかれないよう間に立ちふさがっていると、手袋を外しながらそうつぶやきながら、ゆっくりこちらに向かって手を伸ばしてくる。
その行動に何か悪い予感がしてとっさに腕を前に出して次に来る何かに備えるが、その構えた腕に触れると、それ以上何かをするわけでもなく再び手袋をつけなおし始めた。
「……一体何を――」
「守光琉生、月影愛璃を差し出しなさい」
「だからそんなことするわけが――っ⁉」
懲りもせずに今度は命令してくるのを当然のように突っ返そうとするが、意志に反して腕が愛璃の方へと伸び、そのまま自分でも信じられないほどの力で愛璃の腕を掴みかかる。
「痛い! 何するの琉生⁉ やめて、離してよ!」
「わ、わからない! 腕が勝手に動いて……!」
何とか抑えようとするも、そのまま意志に反して一人でに動く腕に引っ張られるようにして愛璃を引きずり、命令されるがままに差し出してしまった。
「ご協力ありがとうございます。あなたもすぐに呼ばれますから、それまで大人しくしてください」
「ぐっ……待て!」
去っていく後ろ姿を何とかして追いかけようとするも、腕がその場に固定されたように動かず、ただただ眺めることしかできなかった。
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「……ね、ねえ、これから何するの?」
琉生から離されて鉄仮面の女に一人連れられて行く途中、腕の鈍い痛みをこらえながら不安を口にする。
口にした後でさっきまでの言動を思い返して答えてくれるはずがないと気づいて聞いたことを少し後悔する。きっと、軽く流されてこのまま淡々と連れていかれるだけなのだろうと。
「……全ては、教えるわけにはいきませんが」
「えっ」
しかし、帰ってきた反応は予想外なものだった。足を止め、考え込むようにじっと顔を覗き込むと鉄面皮を少し崩して、わずかに心配するような眼をした気がした。それも本当にわずかな間だけで、すぐに元の無表情に戻ると慎重に言葉を選びながら話し始めた。
「これから、愛璃さんにとって非常に辛いことをします」
「辛いこと? それって……」
「詳細は私も知りません。ただ、死にたくなければ何が起きても正気でいる覚悟をしてください」
「死……」
死なないための覚悟、と日常で聞くはずのない言葉の羅列を聞いて背筋に寒気が走る。頭から血の気が引いていく感覚を味わい、倒れそうになる錯覚を再び手を引かれる痛みで現実に戻される。
「これ以上は話せません。予定より遅れてしまっています。急ぎます」
今すぐにでも逃げだしたいところだが、意志に反して足が動き、体が動く。今自由になっているのは思考と言葉ぐらいだ。
正しく感覚があるのに思い通りに動かすことができない不気味な感覚を味わいながら、なすすべなく後ろをついて十分ほど歩き、一つの扉の前で足が止まる。
扉が開かれると、そこは周囲がガラスに囲まれた薄暗い、不気味な雰囲気の妙に広い部屋だった。ガラスの向こうの部屋からは何人もの白衣の人間がまるで実験動物を見るような目つきでこちらを値踏みしている。
「遅ぇ! すぐ連れてこいっつったろ」
「申し訳ありません」
ガラスの向こうから怒号が飛んでくる。聞こえてすぐ、横で頭を下げる気配がする。それからまた何かを言ってきそうな気配がしたが、結局それ以上の言葉は飛んでこず、大きな舌打ちを一つして、
「……もういい。んじゃ月影愛璃、今から目の前にいるそいつを殺せ」
そういわれた直後、足元に大きな金属音を立てて何かが飛んでくる。その音に驚いて思わず飛び上がりながらも足元を見ると、丁度片手で持てるほどの大きさのナイフが転がっていた。
そして今言われたことを思い返し、薄暗い中正面に目を凝らして初めて、この部屋の中にもう一人がいることに気が付く。
「心奈……ちゃん?」
「愛璃⁉ あんた、なんで……」
衣服を乱し、無造作に磔にされている心奈ちゃんがそこにいた。




