暴走
「……琉生……やったよ……」
血の滴るナイフを力強く握りしめながら震える声でそうつぶやく愛璃の足元には真っ二つに切断されたボロボロのマネキンと、絶え間なく血を流して倒れている羅奈の姿があった。まだ息はあるようだが、もはや虫の息だろう。
「本当に、やったんだな……」
ゆっくりとこちらに歩いてくる愛璃を見ながらこれが現実だと受け入れるように自然と言葉が漏れる。一瞬、愛璃がやられてしまったようにも見えたが、羅奈が強かったからこそ最後まで油断せずに戦うことができたのだろう。なんにせよ、無事に勝つことができてよかった。
だがまだ終わったわけではない。もう一方、千砂が向かったものの未だに激しい戦闘音が響き続ける場所へと目を向ける。すぐに、せめて愛璃だけでも本能で先に送り込むことができれば全員生き残れる。厳しい戦いだったがこれでなんとか……。
「……愛璃、先に碧と千紗のところに――っ」
「琉生……? どうしたの?」
「愛璃、避けろ!」
振り返ると、愛璃のすぐ後ろに幽鬼のようにふらふらと、しかし音を立てないよう慎重に近づく羅奈の姿が見えた。だが、それに気づいた直後に羅奈が武器を振りかぶる。
気づかせなければ、避けさせなければ、止めれなければ、さっきまでのすべてが無駄になる。だが、叫ぶのも走り出すのもすでに遅く、愛璃が異変に気付いて振り返ろうとするのと、すぐ真後ろで大鉈が振り下ろされるのはほぼ同時だった。
「遅いの、よ!」
「え――」
「愛璃――!」
数歩、届かなかった。振り下ろされた大鉈は愛璃の肩口を切り裂き、胸の辺りまで鋭く入り込んでいった。――あれは、助からない。頭の中に一瞬浮かんだその言葉を振り払うように膝から崩れ落ちる愛璃の元へと駆け寄る。自分もやられるかもしれないなどという考えなど、今は想像する余裕すらなかった。
「琉生……ごめんね……。失敗、しちゃったみたい……」
「無理に喋らなくていい! まだ、助かるはずだろ! すぐにしずくと刹那さんのところに連れていくからな!」
「無理に決まってんでしょ。どうみてもその子は助からないの、誰でもわかることでしょ」
「っ、お前は……!」
「そんな怖い顔しないでくれる? あたしだってその子に殺されるかもしれなかったのよ? それとも何? 自分たちは死なないなんて勘違いしちゃった?」
溢れ続ける血を少しでも止めようとしながらも、さも当然のことのように軽い口調でそう話してくる羅奈を、今さっき愛璃に致命傷を負わせた羅奈を睨まずにはいられなかった。刃は恐らく心臓まで届いてしまっているだろう。助からないかもしれないのはとっくにわかっている。
そう考えて、疑問が浮かぶ。見れば、さっき愛璃がナイフを突き刺したときの痕が左胸の辺りに残っており、そこから今もなお出血し続けている。ならなぜ、羅奈は生きている?
「……何よ、人の胸ばっかり見てさ。こんなときでも魅了しちゃうぐらい魅力的なのはわかるけど、さすがにあたしでも引くわよ?」
「お前……なんで……」
「生きてるかって? まぁせっかくだし教えてあげちゃう。あたしね、心臓はこっちなの」
そういって自分の右胸をトントンと叩く。心臓が、右? だとしたら、さっき戦闘中に左胸を狙うようにアピールしていたのも、ずっと倒れていたのも、嘘だったのか?
そう考えている間にも、羅奈は腕ごと愛璃に刺された場所を切り落とし始める。そして数秒後、まるでさっきまで何もなかったかのように奇麗な腕が生えてくる。
「もう……服に穴空いちゃったじゃない。さ、第二ラウンドを始めましょっか。一人でどれだけできるのかは知らないけど」
「……ぁぁあああ!!」
怒りに身を任せて闇雲に銃を乱射する。だが、この近距離であってもまともに狙ったところに当たらない自分の腕が憎い。愛璃を守ることすらできない自分の力のなさが憎い。目の前で愛璃に致命傷を負わせた羅奈が憎い。
だが、そんな思いだけでもどうにもならず、一発も狙った場所に当たらないまま弾が出なくなってしまった。すぐに次の弾を取り出そうとして、その手を止めるように手が添えられる。少しでも力を込めれば簡単に振り払えるほどの力しかなかったが、それでもそんなことをしようとは思えなかった。
「琉生……もう、やめて……」
「やめれるわけがないだろ! ここでこいつに勝てないと愛璃が――」
「私はもう、ダメだと思うから……せめて、私の本能で琉生だけでも……」
「そんなことできるか! 愛璃もまだ助かるはずだ! 絶対諦めるか!」
こいつだけでも倒しさえすれば、と愛璃の手を押し返して弾を込め直し、再び羅奈に向ける。しかし、余裕の表れか何かを警戒しているのかその場から動く様子がない。それならとゆっくり狙いを定めて――その視界の端で愛璃が血塗れのナイフを拾いなおすのが目に入った。そしてその瞬間に足元の影が蠢き出す。
「愛璃……? 何をする気だ?」
「千紗ちゃんなら、きっとわかってくれるから……琉生にまで、死んでほしくないの」
「待て……まだ、助かる方法が、何か……」
「じゃあね、琉生……ずっと、大好きだったよ」
影に自分の体が飲み込まれていく。それでも諦めきれず、そのナイフを取り上げようとして愛璃に触れた瞬間――また、頭の中に映像が流れ込んでくる。それも、今までとは違う鮮明な映像だった。
『あっ……あ、あぁああ!! 痛い!! 痛いぃ!!』
目の前で泣き叫びながら血を流す少女……研究所に居たときに愛璃と仲が良かった心奈だった。それが、磔にされてナイフで何度もめった刺しにされている。助けを求めて泣き叫びながら、しかし抵抗することも許されず、何度も何度も。
これはなんだ……?
疑問を声に出そうとして、自分の声が出ないことに気が付く。代わりに出てきた音は今までよく聞いた愛璃の声だった。そこに気が付いて、この視点が愛璃の視点であることに思い至る。研究所に居たときの、愛璃の記憶……ということだろうか。
『やだ……私じゃ……私じゃ、ない…………琉生……』
最後に救いを求めるように自分の名前が呼ばれ、ゆっくりと足元の影に全身が飲み込まれていく。そして映像が途切れた。まどろみから浮上してくるような、不思議な感覚に包まれながら現実へと引き戻されて行く。
だが、まだ奇妙な感覚は終わらなかった。確かに現実に戻ってはいるものの、まるで自分の中に自分以外の何かが入り込んでいるような異物感が残っていた。そしてそれ以上に奇妙なことに、愛璃の本能であるはずの影、それの使い方がまるで自分のもののように扱えるような気がした。
これがあれば、あいつを倒せるかもしれない。そう思って羅奈の方へ向き直ると、さっきよりもはるかに距離を取ってこちらを警戒している、というよりも何かに怯えているようだった。
「……今、何をしたの……?」
「……は? 何って……なにがだよ」
「とぼけないで! 今、本能を暴走させたでしょ!? じゃないとあんなバカげたこと、出来るわけがない!」
本当に何を言っているのか分からなかったが、そうしてにらみ合っていると、少しずつ周囲の違和感に気が付く。さっきまであれほど散らばっていた瓦礫の山が、この周囲だけ初めからなかったかのように消失してしまっていた。
「これは……?」
「そっちの子が本能を暴走させて影でその辺のものを全部飲み込んでったのよ! なんなのよ! 暴走するような条件なんて揃ってなかったはずじゃないの!?」
言われて愛璃の方へ目を向ける。だが、もう力なく倒れて動かなくなってしまっていた。最後の力で、少しでも抵抗してくれたのだろうか。だったら俺がここであいつを倒して、少しでもそれに報いるべきだろう。
そう考えて愛璃の手から血塗れのナイフを拾い上げる。不思議と、まだ愛璃と繋がっているような気がして、本能の力さえも体になじんでくるような気がした。
「……何言ってるのか知らないが、お前だけは絶対殺してやる」
「あたしはもう嫌よ! 本能の暴走なんて見せられて、戦う気なんてとっくに失せたの! これ以上刺激しないから殺さないでよ!」
武器を捨て、そう訴えられるが、もはやそんなことなどどうでもよかった。この愛璃が持っていた力をどこまで使えるのかは分からないが、握りしめた血塗れのナイフに意識を向ける。すると、さっきまで頭の中に流れ込んできていた映像が再生され、ここから逃げなければいけないと警鐘が鳴らされる。
さらに、頭痛がするほどの激しい生きたいという欲求が沸き上がってくる。そしてそれに呼応するように足元の影が蠢き出し、抑えきれないその力の矛先を逃げようとする羅奈に向けて解放する。
その瞬間、辺り一帯が闇に飲み込まれた。




