始まり
「……本当に何も起こらないな」
碧と出会った翌日、トリガーを渡されたときにも来た演習場に再び集められていた。ただ今日は愛璃だけでなく、千紗に碧、刹那さんの姿もあった。
そして今は刹那さんの前でトリガーであろうと思う銃をどう使っても本能が発動しないという話をしていた所だった。しかし、刹那さんにしてもよくわかっていないのか困ったように眉をひそめている。
「どうしたもんかなぁ、こういうのは私より茂の方が詳しいんだが……一応聞いておくが、トリガーは合ってるんだよな?」
「あそこにあったもので可能性がありそうなのはほとんど試したし、間違ってることはないと思う」
「なら、そもそも本能を持っていないということはないのか?」
「それは……」
「大体の奴は本能が発現したときにそのトラウマの原因をどうにかしようと若干暴走してしまうものなんだが、今までにそういうことはあったか?」
言われて、ここに来るまでのことを思い返す。……考えてみれば、確かに発現したと言える根拠はなにもない。ただ、あそこで起きた事と愛璃が発現しているからという理由だけでそう思い込んでしまっていただけなのかもしれない。
「……その表情を見ると、なかったみたいだね」
「ね、ねぇ刹那さん、本能がないと何かまずいの?」
「まずいってことはないさ。不思議なことのない普通の人ってだけだ。ただ、私たちの目的を考えれば、少し考えなくちゃならないことがあるってだけだよ」
「考えなくちゃいけないこと……?」
隣で不安そうにそのやり取りを眺めていた愛璃が見ているだけではいられなかったのかそんな疑問を口にする。しかし、帰ってきた答えはその不安を払拭するには至らず、それどころかその不穏な言葉にさらに眉根を下げて刹那さんと俺とに交互に視線を送っている。
「なに、そんなに心配しなくても大丈夫だ。別に何かひどいことをするわけでもないんだからさ」
「それは……でも……」
「で、その考えることってなんなんだ?」
「あぁ、それはだな――」
そこで言葉を一度切ると、一気に真面目な表情になった。普段がかなり飄々としていることもあってその気迫に思わず後ずさりそうになる。
「君は、人間にはないはずの力を持っている奴らとその能力もなしに戦うことになるんだ。当然、他の奴らよりも厳しい思いをすることになる」
「……それは、わかっている」
「やめる、戦わない、という選択もある。もちろん愛璃にもだ。全員が全員戦いたいわけじゃないからね。本能を持て余しているようなやつの保護もしているんだよ、私らは」
戦わなければいけないと、どこかでそう決めつけのように考えてしまっていただけに、その新たな選択肢は十分魅力的に思えた。愛璃がそっちに行くというのなら一緒に行くというのも考えていただろう。
刹那さんの試すような問いに一瞬だけ逡巡する。しかし、答えはもうほとんど決まっているようなものだった。
「……私は、行かない。戦う。そうじゃないと心奈ちゃんにもう顔向けできないから」
すぐ隣から強い、覚悟を感じる表情でそう言い切っていた。そして腰に付けたナイフに手を伸ばすが、まだ恐怖が勝つのか、一瞬握りしめただけですぐに手を離していた。
昨日も聞いたような言葉だった。その覚悟を聞いていたからこそ、ここで一人だけ退くなんてことは考えられなかった。
「……自分で決めたなら、それでいい。けど、それに潰されるようなことにはなるなよ。それで、琉生はどうだ? すぐに決めなくてもいい」
「俺も戦う。愛璃を一人で戦わせるわけにはいかないし、助けられるなら助けたい子もいるんだ」
「そうか、じゃあ決まりだな。いやぁ、正直なところ人数が足りな過ぎて誰でもいいからやる気のある戦力が欲しかったところなんだ」
その答えに満足そうな笑みを浮かべてストレッチを始めた。なにやら不穏なことを口にしたような気がするが、今は気にしないことにしよう。
「さて、それじゃあ早速訓練だ! と、行きたいところなんだが……千紗!」
そしてストレッチをしながら俺と愛璃に交互に視線を向けて何やら考え始めたかと思うと、唐突に少し離れた場所で模擬戦闘だろうか、碧と二人でなかなか派手に暴れていた千紗に向かって呼びかける。
声がかかるとすぐにその戦闘が中断され、あからさまに不機嫌そうな表情を隠そうともしないままこちらに向かってくる。さらに、ある程度近づいたところでわざとらしく「チッ!」と舌打ちをしている。
「おい愛璃、千紗からの熱烈な歓迎のキスだぞ? ちゃんと返事しないとだめじゃないか」
「え、え? そうなの?」
「そうさ。千紗はあいさつ代わりにキスをするからな」
「そんなわけないでしょ!?」
「ねぇ琉生、キスの返事ってどうすればいいんだろう? 私こういうの初めてだから……」
「あんたも真面目に受け取ってんじゃないわよ!」
その不機嫌の意思表示を雑にあしらわれ、大きなため息をつきながらさらに眉を寄せている。なんとなく、呼ばれた瞬間から千紗が不機嫌になっていた理由がわかったような気がする。
「……で? 何か用なの?」
「お、話が早くて助かるよ。それで要件なんだがな、千紗に愛璃の訓練を任せようと思っただけさ」
「え!?」
「……なんで私なのよ。しずくにでも任せたら? あの子の方がそういうの得意でしょ。それに、その子も私よりしずくの方がいいでしょうし」
まさか名前が出てくるとは思っていなかった愛璃が驚きの声を上げる。しかし、さっきまでのこともあって、愛璃は千紗相手に若干委縮してしまっていた。それに、訓練を任せるということは、千紗が愛璃の教育係のような立場になるということで……正直なところ、あまり適任とは思えなかった。
「これで少しは千紗の性格が丸くなるかと思ってな」
「そういうことなら期待するだけ無駄よ。こんなことくらいで丸くなるわけないでしょ」
「まぁまぁ……千紗、ちょっとこっちに――」
「……はぁ、なんなのよほんと」
押し問答がずっと続くかと思われたが、その途中で刹那さんが少し距離を取って手招きをする。そして大人しくそれに従った千紗と二人でなにやら小声で話し始めた。
「な、なに話してるのかな」
「さぁ……全くわからん」
届いてくる声はたまに数文字くらいで、何を話しているのかは全く分からないが、会話をするごとに百面相のように千紗の表情がころころと変化しているのだけははっきりと見えていた。見えてはいたが、そのことが余計に理解を遠ざけてしまっていた。
そしてようやく戻ってくると、先ほどまでとは打って変わって、千紗の表情が楽しそうな、嬉しそうなのを必死に押し隠しているような表情になっていた。
「――と、いうわけで、今日から千紗が愛璃にいろいろと教えてくれることになったからな」
「そ、そういうわけだから、まぁよろしくね。せいぜい頑張ってついてきなさいよ」
「え……私の意志は……?」
「何、私だったら嫌なの?」
「い、いいいえそんな、ソンナコトナイヨ……」
「……だったらいいのよ」
すっかり小さくなってしまった愛璃とは対照的に、千紗はその返答に腕を組んでどことなく満足げだ。本当に、この数分の間に何があったのだろうか。
「ん~? あれは言ってもらわなくていいのか?」
「な、何よあれって……」
「いやさっき言ってたじゃないか、ほら、千紗お――」
「ああああああ!!? いい! いいから! ほら、いくわよ愛璃!」
「え!? ま、待って! そんな引っ張らないで――!」
何かを言いかけた刹那さんの言葉を遮って、奇声を上げながら走っていく。愛璃も一緒に引きずられって行ってしまったが、さっきの様子を見る限りでは少なくとも悪いようにされることはなさそうに思えた。




