プロローグ
何が起こったのか分からなかった。
一瞬の出来事だった。突如、立っているのがやっとなほどの強烈な熱風が吹いたと思うと、瞬く間に辺り一面が火の海になってしまっていた。
「なんだよ……これ……」
目の前で広がる惨劇を受け止めきれず、思わず呆然としてしまう。夢を見てるのかと思いたくもなったが、絶え間なく響き渡る悲鳴と燃えさかる炎が肌を焼く感覚に、これは現実なのだと思い知らされる。
「琉生!」
喧噪の中から自分を呼ぶ声がして我に返る。声がした方を振り向くと、幼なじみである月影愛璃が長く伸ばした黒髪を振り乱し、普段は強気な雰囲気を出していたつり目がちな目を不安げに歪ませて立っていた。
「愛璃! 無事か!?」
「大丈夫、だけど……一体何が起きてるの!?」
「俺もなにがなんだか……とりあえず、今はここから離れよう」
愛璃の手をつかみ、人の流れに従って走り続ける。せめて、愛璃だけでも安全な場所に連れて行かないと。とはいえ、見渡す限りの建物が燃えているし、どれだけ走れば安全な場所に着くのか全く見当がつかないが、今は火の手の回っていないところまで走るしかない。
そう考えて足を動かし続けていると、再び先ほどの熱風が吹き荒れ、あちこちからガレキや木片が飛んできてその衝撃ですぐ近くの家が倒壊し、思わず足を止める。
「……っ! 愛璃、大丈夫か?」
「…………お母さん……?」
念のため愛璃の様子を確認すると、先ほど倒壊した家の方を向いたまま立ち尽くしてそうつぶやいた。見ると、逃げ遅れたのか愛璃の母親が燃えさかる家の下敷きになってしまっていた。死んでこそいないものの、身動きがとれないようで苦悶の表情を浮かべて這い出そうと手を伸ばしている。
「お母さん!」
「待て愛璃! お前まで巻き込まれるぞ!」
「離してよ琉生! 早く助けなきゃ!」
つかんでいた手に力を込めて、母親の元へ駆け出そうとした愛璃をとっさに引き留める。助けたい気持ちもわかるが、今あそこに行っては愛璃も巻き込まれてしまうかもしれない。それでも、つかまれた手をむちゃくちゃに振り回し、なんとかして振りほどこうとしてくる。
「離してって! お母さん! お母さん!!」
「愛璃……? 愛璃! 来ちゃだめ! 速く逃げなさい!」
「やだ! お母さんも一緒に――」
「愛璃!!」
振りほどこうと暴れ、母親の方へと今にも駆け出そうとしていた愛璃が、その一喝で止まる。そして自分も相当辛いはずなのに、宥めるような、諭すような笑みをこちらへ向ける。
「……愛璃、大丈夫、お母さんは大丈夫だから。だから、早く逃げなさい!」
その直後、三度目の熱風が吹き、その姿は見えなくなった。
「お母さぁん! なんで……なんで……!」
「愛璃、今は逃げよう! 助けるにしても、俺たち二人じゃ無理だ!」
母親のいた場所を見つめ続ける愛璃の手を再び引いて走り出す。気づけば辺りを走っていた人波は見てわかるほどに減っていた。
とにかく安全な場所に逃げないと。学校……は人であふれているだろうし、建物が無事だとは思えない。かといって、この火の外まで今から走って逃げられるとは思えない。どこか、せめて身を隠せるようなところに……。
「……隠し通路」
「え?」
「何年か前に、秘密基地を作ろうとして見つけた地下通路があったはずだ。そこをたどっていけば安全な場所に出られるかもしれない!」
記憶を頼りにその通路があった場所へと走り出す。あそこならばわずかだが食料も持ち込んでいたし、最悪どこにもつながっていなくとも火が収まるまでなら隠れられるはずだ。
それから数分ほど走り続けて目的の場所、小さい地下鉄の入り口のような場所にたどり着き、かろうじて中の様子がわかるほどの薄暗い石造りの通路へと進んでいく。
「ぐすっ……。なんで……。もう、やだよ……。」
狭い通路をしばらく歩き続けていると、後ろから愛璃のむせび泣く声が聞こえてくる。ここまで堪えていたのだろうが、この静けさも相まって耐えられなくなってしまったのだろう。
「ねぇ、琉生? これって夢だよね? こんな、熱いのも痛いのも辛いのも、全部そういう夢なんでしょ? だから……もうすぐ目が覚めて、そのときには全部忘れて、お母さんが作ってくれたご飯を……」
なんと声をかければいいのかわからなかった。今の愛璃の苦しみは愛璃にしかわからないだろうし、気休めを言うような場面でもない。ただ、それでもなんとか安心させたくて、気づけば抱き寄せていた。愛璃も突然のことに驚いたように一瞬身をこわばらせたが、すぐに再び、抱えたものを全て出し切るように泣き始めてしまった。
「愛璃」
「……琉生は、いなくならないでよ、ずっといてよ……!」
消え入るような、とても小さな声でつぶやく。幼なじみだとか、腐れ縁だとか、そんなこととは関係なく、ただ自分の意思で愛璃のことを、愛璃の母親の分まで守らなければいけない。そう感じて抱きしめる腕にわずかに力を込める。
「……もう、大丈夫」
そうしてどれだけの時間が経ったのか確認する術がないせいでわからないが、軽く背中をたたかれながらそう言われて愛璃を解放する。目元は真っ赤に腫れてしまって、未だにすんすんと鼻を鳴らしているものの大分落ち着いたようだった。
「……それじゃあ、早くここを抜けよう」
「ちょっと待って」
また手をつかんで歩き出そうとしたが、するりとそれを抜け、愛璃の方から手を握り直される。突然のことに驚いていると、「ほ、ほら! 早く行こうよ」と逆に引っ張られながら歩き始める。
それから数十分ほど歩き続けていると、出口らしき光の漏れてくる階段が見えてきた。ようやくかと安堵しそうになるが、まだ外が安全とは限らないと気を引き締め直して外へ向かう。
「うわーっ! ……って子供? え? 君たち、いまどこから出てきたの?」
外に出ると、まるで幽霊でも見たかのような叫び声で歓迎される。慣れていない目をこらしてみると、どうやらそれは救急隊の人のようだった。……ずいぶん頼りないが。そして周りを見れば、そこはすでに鎮火が終わっていて安全な場所に出てきたようだ。
「どこって、この地下道を通って逃げてきたんです」
「へー、こんな道が……。親御さんとか……は、一緒じゃないみたいだし、ちょっと待ってね。……向こうのほうに子供たちを保護してるって人たちがいるらしいから、そこまで連れてくよ」
無線機に向かって少し話した後、手招きして歩き始めたので、その後をついて行く。遠目に少し場違いさを感じるスーツ姿の男たちが見えた。その男たちもこちらに気づくと、一人がこちらに向かってきて救急隊の人に話しかける。
「この二人も避難してきた子か?」
「そうみたいです。地下から出てきたのでここの子ではなさそうですが……」
「構わん。避難してきた子ならばこちらで保護しよう。では二人ともついてきなさい」
その短い会話だけで二人の行き先は決まったようで、とりあえずはさっさと歩いて行ってしまうその男の後をついて行く。そして言われるままにいくつか止まっていたバンの一つに乗るよう促される。
「あの……これからどこに連れて行かれるんですか?」
「うん? ああ、大きいちょっとした研究施設みたいなところだ。どっか怪我してないかとか調べないといけないからな。安心しろ。寝食も整えるし、それにほかにも避難してきた子たちがいる。だからそう身構えてくれるな。彼女も限界のようだぞ?」
言われて愛璃を見ると、もう限界のようで立ったままうつらうつらし始めていた。第一印象に感じた違和感から少し警戒してしまったが、どちらにせよほかに当てはないので、愛璃と一緒にバンに乗り込む。
「疲れただろう。着くまで時間がかかるから眠っていなさい」
窓から外を見ると、すでに日が落ちかけていた。せめてどこに向かうのか見るまでは起きていようと思っていたが、少しして愛璃がこちらへ体を預けて寝息を立て始め、それから数分もたたずに疲れに耐えきれず眠りについた。




