男と義娘 No.7
第1章完結です。
医師からの言葉を聞いた時、彼女の言っていた意味が分かった。ミサトは明日の朝が限界だそうだ。つまり、今日中に俺が死なないとミサトは助からない。そう、俺に自分の人生を思い返している時間なんてない。急がなければ。
そう決断してからの俺の行動は早かった。ミサトの医療代など、もろもろの手続きを済ませ、これから、ミサトが1人でも生きていけるように必要な事は紙にまとめた。遺書は書かなかった。書いてしまえば、行方不明になる意味がない。俺はどれだけミサトに憎まれようと、ミサトが助かればそれでいい。自分でも驚くほどのスピードでやる事を終わらせた。そして、夜の23時、病院の屋上に到着した。そこにはあの少女がいる。
「待っていましたよ。別れはすませましたか?」
昼間とは違い落ち着いた雰囲気で聞いてくる。
「ああ、全部済ませたよ。」
「そうですか…。それは良かったです。」
本当に別人だと思うぐらい、しおらしい。
「1つ、冥土の土産として話を聞きませんか?」
彼女は真剣は表情で聞いてくる。それに俺は静かに頷いた。
「ありがとうございます。では……、昔昔、遥か昔、16歳の1人の少女がいました。」
彼女は昔話風に語り始めた。
「その少女には優しい恋人と面倒見の良い友人がいました。友人は言いました。少女と少女の恋人はお似合いだと。恋人は良いました。少女のことが大好きだと。その2人は少女にとって大切な心の支えでした。ある日、少女と恋人は初めて夜をともにしました。少女は人生の幸せはここにあるのだと思いました。次の日、少女は友人に呼び出されました。すると、その隣には恋人もいました。そして少女がくるなり恋人はキスをしました。隣にいた友人に。少女が混乱していると2人は言いました。ゲームをしていたと。少女を落としきれるかの賭けをしていたと。そして2人は手を繋いで去っていきました。少女はその日に自殺しましたとさ。めでたしめでたし。」
長話を終えて彼女は一息ついた。けっこう重たい話だった。何がめでたしなのかは分からなかったが、その主人公の少女は目の前にいる彼女なのではないかと思った。最後に自殺したのに何故生きているのだろう。そんな疑問が頭に浮かんだが、今さらな気がした。ふと、彼女が口を開く。
「自殺っていうのは、本来自然界の中では起こり得ないんです。それは人間の知性が生んだバグみたいなもの。そのバグが起こるのは、人の心が壊れた時。失いたくないものが無くなり、世界の空虚さに気付いた時。あるいは、逃げ道が塞がれた時。よく、逃げれば良いと言うけど、逃げた先にも嫌なことがあるか、見えなくなっている時、人は自殺を決意する。
ハンプティ・ダンプティが塀に登った
ハンプティ・ダンプティが落っこちた
王様の馬や家来が全員でかかっても
ハンプティを元には戻せない
これはハンプティ、すなわち卵が塀から落ちて壊れてしまったのを誰も戻すことができず、どうにもできなかった話。人の心もこれと同じで一度壊れてしまえば元には戻らない。だから私は自殺する人を止めない。止めても同じことを繰り返すから。その代わりに少しでも死に際を良いものに出来るよう手助けをする。これは、私の贖罪…。長話を聞いてくれてありがと。独り言みたいなものだから気にしないで。」
俺は何も返す言葉がなかった。彼女の苦しみが分かるなんて言わない。本人にしかそれは分からないから。すると彼女は口を開いて、
「もうそろそろ0時を回るわ。時間がないから早く飛び降りて。」
と、辛辣なことを言ってきた。だが俺は空中と屋上の際まで歩きそして彼女の方に向き直る。
「最後に名前を教えてくれないか?」
今さらだが俺は彼女の名前を聞いた。恩人と言えるかは分からないが、ミサトを娘を助けてくれる人の名前を知らないのは失礼だろう。彼女は『ルミ』だと答えた。そして俺は別れの挨拶をする。
「じゃあ、ルミさんありがとう。あんたのおかげで俺もミサトも救われたよ。あんたの喋り方、今の方が素なんだろ?俺の本心を引き出して整理させるためにあんな挑発的な言葉にしてたんだろ?おかげで今俺はとても気分で死ねるよ。」
彼女は驚いたようにして、そして顔が赤くなっていた。初めて本当の彼女に触れた気がした。そして彼女はありがとうと笑顔で返してきた。見惚れるようなその笑顔。もっと昔に出会っていたら惚れていただろう。
そうして俺は笑いながら後ろに重心を傾けた。
私は落ちていく彼を見て羨ましいと思った。心が壊れてなお、あそこまで美しく笑って逝けることを。最後に彼が言った言葉は合っていて間違っている。確かにふわっとした喋り方は素ではないが、彼を挑発していたのは彼が羨ましく、いらいらしたからだ。あんな風に健気に誰かを思える気持ちを私はとっくの昔に失ってしまった。──と、そんな事を考えている暇ではない。仕事をしなければ。まず、彼の死体を消すことにする。自殺した人はバグだとこの世界に認知され、世界に申請すれば消える。本当に不思議だ。自分でもよく分からない。最後に寿命もミサトさんに譲渡してと、これで終わりだ。どういう風に運命がねじ曲がるのだろうか。1人の運命を変えると、周りの運命も変えてしまう。願わくば良いように転がりますように。私はそんなお願いをして朝まで寝ることにする。別に寝なくても支障はないが。
朝、看護師達が話をしていた。
「鉄骨の下敷きになったっていうミサトさんのドナーが見つかって助かったそうよ。」
「本当?よかったですね。っていってもドナーなんてそんなすぐに見つかるものなんですか?」
「それが、交通事故で脳死状態になった子が運ばれてきたらしく、奇跡的に適合したからその両親に頼んだら了承が得られたらしいの。なんでもそのミサトっていう子の幼なじみのアキっていう子が運ばれてきたらしくて…」
1章 男と義娘 完
ここまで読んで頂きありがとうございます。
次からは主人公のルミの話になります。