アルバート・サクリエル編②
十六年前、黒い流星群が流れ人々に降り注いだあの日。王城敷地内にあるサクリエル家が管理管轄している魔力研究施設内に、アルバートとエリオットはいた。そこは表向き研究施設として存在していない場所だった。そこは、かつてこの世界に降臨し、王国を脅かし滅ぼそうとした魔王が、討伐され封印された場所で、表向き、魔王を屠ることができなかった勇者が、その責任をもって魔王復活を阻止するため、また復活の際はいち早くその脅威を食い止めるために建て監視することとなった塔だった。その実際は、封印された魔王の魔力を解析し、研究し、より永く封印を継続させること。そしてできる事ならば、魔王を普通の人として世に戻すことを目的に創られた施設だった。
かつて魔王と呼ばれる人を創ってしまったこと、その悲劇を繰り返さないため、より深い魔力研究は、魔王討伐後王国の政策として固く禁じられた。それを、禁じている王国側が行っていると世の中に知られるわけにはいかず、その場所の実態を知るのは代々、王家に連なる者と、そこの管理を一任されているサクリエル家、そしてサクリエル家が秘密裏に雇用している研究員達だけだった。その場所の研究員となる者のほとんどは、禁じられた魔力研究を行い捕縛された罪人だった。生涯の自由と引き替えに好きなだけやりたかった研究をさせてやる。そう条件を出されて、それを吞まない研究者はいなかった。断れば死。断らなければ世間的には死ぬものの、好きな事を好きなだけできる上に衣食住にも困らない。今まで王国の目に怯えながらも探究心には打ち勝てず研究を続け、そのための資金繰りやもろもろにも悩まされ窮して生きてきた研究者達にとって、その提案は願ってもない誘いで、誰もが喜んでその場所の研究員となってきた。しかし、魔王討伐から三百余年の時が経ち、人間と魔族の垣根が薄くなり、純粋な魔族も数が減り、より多くの人々が魔力を持つようになった傍ら、強大な魔力を保有する者がほとんどいなくなった現代。魔力というものが、使えるとちょっと便利なだけのありふれた力となってしまった現代。王国が求めているほどの魔力研究を行う者はいなくなり、新たにその場の研究者となる者は存在しなくなった。今のその場所は、先人達が生み出した研究の成果を元に、ただ魔王封印の機能を維持するに留めるだけとなった場所。散々研究が行われ、魔王封印を継続しているその機械のメンテナンスさえ怠らなければ、魔王復活もありえないだろうと、定期的に清掃管理はされるもののほぼほぼ放置されたその場所は、その秘密を知る子供達にとって格好の場所だった。人目を気にすることなく自由にできるその場所は、城内に居場所のない子供にとっての格好の逃げ場所だった。最初は逃げるために訪れたその場所が、しだいにエリオットにとって特別な場所となっていたことを解っていたから、アルバートはいつもそこに付き合って、彼の気の向くまま好きなようにさせて、彼がすることを手伝っていた。それが、幼い頃の二人の当たり前の日常だった。
だからあの日も二人はそこにいた。そして、魔王を封印していた黒水晶にひびが入り、それが割れて砕け散るのを。そこから黒い魔力の本流が溢れだし、世界に解き放たれるのを。二人はその瞬間を目の当たりにし、そしてその直撃を受けて生き延びた。そうして、純粋な人間でありながら、強大な魔力を保有することになった。あの日が、二人の悪夢の始まりだった。
子供の頃のアルバートは、王子であるエリオットの付き人だった。王家と縁深いサクリエル家の者が王子の世話役を申せつかることは不思議ではないし、アルバートはエリオットと年も近いため妥当なところだろうと、大人達に言いくるめられて押しつけられたその役が、ただの厄介払いだということをアルバートは子供ながらにちゃんと理解していた。付き人という名の遊び相手、そして彼の監視役。自分に与えられた役割がそういうものだと解った上で、アルバートはエリオットの付き人をしていた。王家に近い名門子息ともなれば、子供とはいえそういう大人の事情にもある程度精通し、自分の立場というものを理解していた。初めてエリオットと対面した当時、アルバートは、そのようにあれと言われるのならそのようにあるべきだと教えられ、それに倣うことしかできないような、まだ幼い子供だった。そして、エリオットもまた、王家の血を引く子供として生まれてしまった運命をただ受け入れるしかないだけの、ただの子供だった。
名門サクリエル家の子息とはいえ、男三人兄弟の末っ子で家督を継ぐ予定もなく、次兄と違い入隊前でまだ役割もなく、色々な意味で丁度良いからという理由でエリオットの付き人を押しつけられたアルバート。王子ではあるが、正妃の子ではないどころか、王が手付けにした下女の息子であり、王位を継ぐ以前に、城内でも厄介者扱いのエリオット。そんな二人は、そんな自分達の立場を、悲観することもなく、不満を抱くこともなく受け入れていた。名門子息でありながら、また王家の血を引く王子でありながら、跡目や国政に関わることを期待されない、むしろ望まれない。それは人によっては屈辱に思う所であったかもしれないが、そんなものに一切興味がなかった二人にとっては、それはとても気楽で好ましいことだった。そうやって幼い頃から一緒に過ごしてきた二人は、王子と従者という関係ではなく、とても気安い関係の、気心の良く知れた友人のような関係だった。当時の二人は、そんな自分達の立場が変化することがあるなど考えもしなかったし、自分達の未来は政治にたずさわる者達の邪魔にならない適当なところで、適当に扱われ、適当に終わるものだと思っていた。
「はぁ。僕のお姫様は今日もかわいいな。ねぇ、アル。彼女の髪が黒く見えるのはこの黒水晶の中にいるせいだと思う?僕的には絶対この中から出てきても綺麗な黒髪をしてると思うんだけど。この閉じた瞼が開いたら、その下の瞳は何色なんだろ。彼女の声はどんな感じかな。早く会いたいな。」
そう魔王が封じられた黒水晶に張り付いてうっとりとした様子で語るエリオットに、アルバートはうんざりしたような視線を向けた。
「こいつの髪や目の色がどうだとか、声がどうだとか、俺には死ぬほど興味ない。本当、飽きないよな、お前。見た目どうでも、実質三百歳越えのババァだぞ。見た目通りだとしても、俺達よりだいぶ年上な事には変わりないし。年上好きにも程があるだろ。」
「年を気にするなんてアルは度量が足りないな。それに見た目通りの年齢なら、アルが失恋した彼女とそう変わらないと思うんだけど。なのに僕のこと年上好きにも程があるとか・・・。あ、もしかして、ずっと好きだった憧れのお姉さんに、年の差を理由にフラれたのまだ引きずってるの?しかもその彼女が、一番上のお兄さんの奥さんになっちゃうとかね。それ、当たり障りなく年の差を理由にされただけで、年齢関係なく、もともと脈がなかっただけでしょ。そもそもその人がアルの家によく出入りしてたのだって、アルが知らなかっただけで元々お兄さんとそういう関係だったからじゃないの?それでそんな僻むようになるとか、カワイソー。」
そう茶化すようにエリオットに言われ、アルバートは忌々しげに彼を睨み付けた。それを見て、エリオットがおどけたように肩をすくめる。
「人は見た目だよ。アル。見た目さえ美しければ、年なんて関係ない。実際、僕みたいな子供相手に言い寄ってくるいい年したレディも沢山いるしね。薄幸の美少年はお姉様方の格好の獲物らしい。別に本気で僕を好きだとかそういうわけじゃない。ただ遊び相手にさせられて、あわよくば飼い慣らそうとしてくる。全くもって反吐が出る。」
そうどうでも良さそうに吐き出して、エリオットはまた黒水晶に視線を向けた。
「でも、ユーリは違う。僕のかわいい囚われのお姫様。僕がこの手で解放して、救い出してあげるんだ。彼女が絶対的な悪として消滅しない未来を、彼女が普通に生きられる未来をプレゼントして。そうしたら、ユーリは喜んでくれるかな?喜んで、僕と一緒にいてくれる?」
そう言って黒水晶の中を見つめるエリオットの瞳が哀しげに揺れているのを見て、アルバートは彼から視線を逸らした。
「実際そいつが他の女と違うかどうか解んないだろ。そいつがお前の嫌がることをしないのは、ただたんにそこで眠りこけてるからなだけで、そっから出てきたらどうなるか解ったもんじゃない。あまり幻想抱きすぎて、対面したとき落ち込むなよ。」
そうぼやくと、エリオットにクスクス笑われて、アルバートは不機嫌そうに眉間に皺を寄せた。
「僕が彼女と対面する時が来ることを信じてくれるあたり、アルは優しいよね。心配してくれなくても大丈夫だよ。僕は幻想なんて抱かない。それに、ユーリは絶対に他の人とは違う。だってユーリには僕しかいない。他に頼る人も、帰る場所もない。それでも僕を選んでくれない可能性もあることも解ってる。だから、ユーリが僕の見た目に惹かれて僕と一緒にいることを選んでくれるなら、僕は少しだけ、僕の見た目を美しく産んでくれた母親に感謝するよ。」
そんなエリオットの静かな声を聞いて、アルバートは胸が苦しくなった。
「また、なんかあったのか?」
そうきくと、エリオットは困ったような顔をアルバートに向けた。
「どうもね。僕の母親は良くない連中につけ込まれてしまったらしい。僕は望まれて生まれた子供じゃないし、母親が父親のことを恨んでるだけでなく、僕を疎ましく思っていることもよく知っているよ。だって、僕ができさえしなければ、王に手付けにされたとはいえ、母親がこの城に縛られる事なんてなかった。むしろ多額の口止め料を握らされて城を追い出されて、そのままそれを持って田舎に戻り婚約者と一緒になれて、母親にとっては幸せだったかもしれない。それを、僕という存在がぶち壊したんだからね。だから、僕は別に彼女からの愛情なんて求めていないし、僕も彼女を母として慕ってすらいない。それでもやっぱり自分の母親だから。彼女の身にこれ以上の不幸なんて訪れて欲しいとは思っていなかったよ。目を瞑れるところは目を瞑っていようと思っていた。でも、赦される範囲を超えてしまえば仕方がないよね。僕は、自分の母親を告発しなくてはいけなくなってしまったんだ。」
そう言ってエリオットは全てを諦めたような顔で笑った。
「僕の母親は、悪い連中に唆されて謀反を企ててる。幼い僕を王として祭り上げ、母親の後ろにいる連中が実権を握る計画だ。バカだよね。そんなことしても何にもならないのに。僕の事なんて本当はどうでもいいくせに、それが僕のためなんて嘯いて。自分が復讐したいだけのくせにさ。僕を子供だとバカにして、そんな言葉を鵜呑みにして騙されるとでも思ってるのかな?僕にペラペラとそんな話をしてさ。本当にバカ。僕がそんなこと許すわけがないのに。あーあ。これで僕の自由もお終いだ。運が良ければ幽閉されて、運が悪ければ処刑される。逃げ出せるなら逃げ出したいよ。今すぐ。全てを捨ててこんなところから逃げ出してしまったハンス兄さんが羨ましい。僕は立場上、そういうわけにもいかない。正妃の子であるハンス兄さんより、僕ははるかに立場が弱くて、なんの後ろ盾もない。誰も僕を護ってはくれない。ただ大人達に良いように振り回されて翻弄されるばかりだ。僕がなんのために今までこの見た目を利用して、嫌なものを我慢して立ち回ってきたのか。どれだけ苦労して今の安寧を手に入れたと思っているのか。それを全部、本当、全部無駄にしてくれてさ。僕はただ、本当にただ、平穏に暮らせるだけで良かったのにな。」
そう言うエリオットの声が震え、俯いた彼が泣きそうになっているのを感じて、アルバートはいたたまれない気持ちになって、自分はどうすれば良いのか解らなくて、何も言えず、何もすることもできず立ちすくんでしまった。
「ねぇ、アル。もし、僕が処刑されずに済んだら。僕の代わりに、僕の計画を引き継いで、実行して。それで、ユーリと一緒に僕のことも助けてくれる?」
そう顔を上げたエリオットに問われて、アルバートはそれに、もちろんだと即答した。それを聞いて嬉しそうに笑うエリオットを見て辛くなる。それしか自分にはできないのに、それくらいしかしてやれることがないだけなのに。そんな嬉しそうにしないでくれ。そう思って、アルバートはあまりにも無力な自分が嫌になった。
「じゃあ、アルにちゃんと全部教えとかないとね。」
そうエリオットが明るい声で言って、今まで自分がしてきた研究の成果を発表する。
「ジャジャーン。これが僕が創りだした魔獣一号。」
そう言ってエリオットが見せてきたのは、机上におく時計くらいのサイズの、どう見てもただの置物にしか見えない漆黒のドラゴンで、アルバートは思わず、ふざけてるのか?と口に出しそうになった。
「小さいからと侮ることなかれ。素材はユーリの魔力を素に作られた、この黒水晶と同じ物。全てが魔力をもって創られた、これはれっきとした魔道具だ。収納の関係も考えて、起動前はこのサイズにとどまるようにしてあるだけで、起動させればこれのサイズは一気に膨れあがり、まさしく伝説上に登場するようなドラゴンが姿を現すことになる。もちろん、これの動力はユーリが生み出し続けている膨大な魔力だ。実際これは既に膨大な量の魔力を溜め込ませてある完成品。とはいえ、溜め込ませた魔力がどこまでこれの中で維持させておくことが可能か解らないし、定期的に魔力を補充するか、起動前にちゃんと補充するかしないと起動時ちゃんと役割を果たしてくれるのかという疑問はあるけれど。これを完成させるまで、ちょこちょこミニチュア版を創っては起動実験を繰り返したし、魔力の補充にはここにユーリという延々と魔力を生み出し続ける動力源が存在するから、なんの問題もなく起動させられるはずだよ。僕の計算が正しければ、魔力が満タンに補充された状態で起動して、一時間は暴れ続ける。かつて魔王が従えたと言われている魔獣達同様、生き物のように動き、そしてその役割を果たした折にはこれが生き物ではないという証拠が残らないよう跡形もなく消滅する。これはユーリの代わりに魔王として討伐するように創った物なんだ。魔王の化身って信じ込ませるに足るように、上手い具合に禍々しく、恐ろしくデザインできてるでしょ?ある意味、この形を作るのが一番大変だったんだから。」
そやって楽しそうに話すエリオットが、そのままの調子で、それの起動のさせ方や注意点を説明してくるのを、アルバートは半分右から左に聞き流して、それを見咎めた彼から、ちゃんと聞いてよねと注意されて苦笑した。
「ユーリに普通の生活を送らせるためには、これと同じようなものが最低三体は必要だ。しかもこれと違って、一時的に起動させるのではなく、半永久的に動き続け、延々とユーリが生み出す魔力を吸収し吐き出し続ける魔獣が。僕の自由が奪われたら、それを創るのはアルなんだからね。僕の代わりに僕の計画、魔王を普通の女の子にしちゃおう計画を実行してくれるって言ったでしょ。言ったよね?じゃあ、ちゃんと真面目に話し聞いてよ。まぁ、魔獣を創りだし、ユーリの魔力を消費させ続けるというのでは、大昔のアレと変わらないし、ユーリを普通の女の子にしてあげることとはほど遠いけどさ。実際、三百余年前、ユーリに普通の生活を送らせるために創られた魔獣達は、結局ユーリの生み出す魔力の量に耐えきることができなかった訳で。魔獣を創るだけでは一時しのぎにしかならないのは、既に実証済みだ。だから、それをただなぞるだけじゃダメだっていうのは解ってるよ。でも、たった三体でやりくりするのではなく、彼女の生み出す魔力を素に、じゃんじゃん魔獣を作っていって、どんどんそれを誰かに倒させて。そういう風な仕組みを作ればいいだけじゃないかなって思うんだ。だから、準備ができたらアルがこれを起動させて、こいつが暴れた騒動に便乗して僕とユーリを死んだことにでもして逃がしてさ。暴れるこいつを魔王の化身だって言ってアルが討ち滅ぼして英雄になって、そのうえでじゃんじゃんあふれ出す魔獣をひたすら討伐する指揮を執る。そうすれば万事解決、万々歳じゃない?」
「なんで魔王を倒したあとに魔獣がうじゃうじゃ出てくることになるんだよ。絶対おかしいだろ、それ。誰がそんな小芝居に騙されて魔王がいなくなったと思うんだよ。逆に復活して逃げられたと思われるだけだろ。しかも、お前はお前のお姫様と逃げ出して、俺はひたすらその尻ぬぐいって。やってられるか。」
そんなやりとりをして笑い合うと、ちょっと前までの重苦しい空気が吹き飛んで、アルバートはなんとも言えない気持ちになった。エルの方が辛いのに、苦しいのに、気を遣わせてしまったと思う。王子とはいえなんの後ろ盾もなくむしろ厄介者のエリオットとは違い、腐っても名門子息のアルバートは、彼が巻き込まれた謀反の計画が明るみになったところで、それに気付かなかったことをきつく咎められる事はあったとしても、その立場が危うくなるようなことも、命を脅かされるようなこともありはしない。それこそエリオットを連れて逃げるようなことでもしない限り。それが解っているから、エリオットはアルバートに自分の代わりに自分の夢を叶えてくれと言った。そして、あからさまに不備のある計画案を言ってみせ、場を和ませようとした。物心ついた時から危うい立場で生きてきたエリオットは、聡明で賢く、周囲の空気を読むのも、人の顔色を伺うのも得意だった。生きるため、平穏に過ごすため、心を殺し、言葉を呑み込んで、自分を偽りながらずっと過ごしてきたエリオットを、間近でずっと見てきたアルバートには、嫌と言うほどそれが解ってしまって。自分より二つ年下の、自分より小さなこの主に、自分は護られているのだと痛感して、アルバートは悔しくなった。それを見て取ったエリオットが困ったような顔をする。
「アル。お願いだからそんな顔しないでよ。僕のことを解ってくれるのは君だけだって解ってる。でも、君にそんな顔をされたら、僕の立場はないじゃない。だからさ、気が付いても、そこは知らないふりをしていて。僕のことを想うなら、それくらいしてくれても良いでしょ?」
そう言われてしまえばもう何も言うことはできなくて、だからといってどうすれば気が付かないフリのいつも通りの表情を取り繕うことができるのか解らなくて、アルバートは途方に暮れた。そしてエリオットに呆れたように笑われて、情けないような気持ちになった。
「アル。ずっとここに入り浸って、先人達が残した研究を引き継いでやってきて、僕には一つ懸念してることがあるんだ。」
そんなエリオットの言葉に、アルバートは疑問符を浮かべた。
「コレは本当に真面目な話しだから、ちゃんときいてね。」
そう釘を刺されて、背筋を伸ばす。
「三百余年前、この王国は発達した化学力に支えられ繁栄を極めていた。だけど、今は失われたその技術を支えるためのエネルギーの確保。それが追いつかなくなりつつあるところに追い打ちを掛けるように、化石燃料が枯渇し、王国は窮地に立たされることとなった。それに変わるエネルギー源として目をつけられたのが、魔族の持つ魔力。それまで主流だったエネルギーと違い、人体で生成されその上どのようなエネルギーにも変換可能なそれは、きわめて安全性が高く、且つ使い勝手の良い物だと思われ、王国はそれを新しいエネルギーとして活用することを考えた。しかし、魔力を生成し扱うことができるのは魔族のみ。その実態は不明瞭で、それまでのエネルギーの代わりとして活用するには、研究が足りていなかった。差し迫ったエネルギー不足の問題。それが明るみになれば民衆の暴動が起きるのは免れない。そこで王国は、秘密裏に魔族狩りを行い、捕らえた魔族達を解剖分析し、研究、実験を繰り返した。その研究の中で生まれたのが、今の世で魔王と呼ばれることとなった、ユーリだ。繰り返される実験の末、彼女の体内の魔力を生み出す器官は膨張し、暴走し、ひたすらに膨大な魔力を生成し排出し続けるようになった。その本流を止めることはできず、彼女の収容されていた施設は崩壊。しかし、自分でもどうすることもできない魔力の暴発に自分の意思で動くことさえできなくなってしまった彼女は、そのエネルギーを運用する手立てを生み出した王国に回収され、王国を支えるエネルギー源として保有されることとなった。そして差し迫ったエネルギー不足を解消した王国は、膨大なエネルギーを生み出し続ける彼女に、更に化学を発展させ王国を繁栄させる希望を見出し、第二、第三の彼女を作り出すために、魔族狩りと研究を継続した。だけど、その計画は、彼女の生み出す膨大過ぎるエネルギーに危機感を覚え、警鐘を鳴らした、一人の科学者によって妨害された。膨大すぎるエネルギーは世界をも滅ぼす。それが彼女を連れ出した科学者が鳴らした警鐘で、彼が彼女に言い聞かせ続けた教えだ。彼は彼女の魔力を使って魔獣を創りだし、王国の研究施設を壊滅させ、魔族達を解放した。そして、ひたすらに魔獣達に彼女の魔力を放出させ続け、自身が生み出す魔力で身動きがとれなくなっていた彼女を普通の生活ができる所まで回復させた。そして、ただの動力源であり彼女が自力では動けないと思い込んでいる王国の目を欺き、彼女を回収させないために、彼は彼女に護衛として犬の姿を模して創った魔獣を一体つけて、彼女を人里に紛れ込ませた。それからあとは、この国の誰もが知る、あの魔王討伐の物語がうまれることになった。」
そうやってエリオットは公には隠されているこの国の歴史を語り、その視線を黒水晶に向けた。
「彼女は知っているんだ。自分が世界の脅威であることを。だからこそ、自分は消滅しなくてはいけないと思っていた。彼女の生み出すエネルギーはあまりにも膨大すぎる。アルは気が付いてた?彼女の生み出す魔力がここ数年増しているんだ。そしてそれに呼応するように、彼女の姿が薄くなっている。まるでこの水晶と一体化するように。彼女は言った。この封印は百年と持たないと。だから本来、そこで打ち止めにして彼女を解放し、彼女を消し去らなくてはいけなかったんだ。でも、アル。君のご先祖様は、彼女に生きながらえて欲しいと望んでしまった。そして、封印を保たせる術を見出してしまった。そして今までこうして封印は保たれてきたわけだけど。研究者がいなくなり、その技術をより高める事がなくなった今、増幅する彼女の魔力にこの黒水晶が耐えきれなくなりかけてる。僕は将来、ここの研究者になりたかった。そしていつか本当に、君のご先祖様が願ったように、ユーリを普通の女の子にして、それで一緒に平和に暮らしたかった。でも、もう、それは絶対にかなわない。僕がその方法を見つけ出すよりはるかに早く、予言された魔王復活は起こる。これが後どれくらいその機能を果たせるか全然予測が立たないけど、そんなに遠くない未来に確実にその時はくる。僕は間に合わなかったんだ。」
そう言って、エリオットはアルバートに向き直り、彼を真っ直ぐに見つめた。
「誰もこの封印が解かれることがあるなんて想像すらしていない。そんななか、それが起きたら大変なことになる。だからアル。覚悟はしておいて。平和な世の中が続いている今、種族の垣根を越え人々が手を取り合うのに彼女という絶対悪の討伐は必要ない。でも、僕達のご先祖様が彼女とした約束を、彼女をちゃんと消滅させるという約束を、果たすべき時がじきにくる。」
そうエリオットに宣言されて、アルバートの背筋に緊張が走った。予言された魔王の復活。永遠に訪れる事がないと思われていたそれが、自分達の代に訪れる。この安穏とした平穏な時代にそれが起きて、一体自分達にどうすることができるのだろう。そう思って、アルバートは自分がやるしかないのかと思った。今は廃れた魔力研究。それをエリオットはここにある資料をもとに独学で身につけてきた。そしてそんな彼に付き合って、ここに入り浸り、彼の研究を手伝ってきたアルバートも、彼ほどではないが魔力に対する知識も、その対策も豊富に持っていた。だから、今の世でそれに対応できるとしたら、自分達しかいないと思う。そして、魔王を殺すのは、やっぱり勇者の血を引く自分の役目だと思うから。いや。それがエルにとってただの現実逃避の術だったのだとしても、エルに、エルが懸想していた相手を殺させるわけにはいかないから。だからそれは俺がやらないと。そう思って、アルバートは自分の中の決意を固めた。
その時の二人には、それがいつ来るのか、どんな風に訪れるのか予測することもできなかった。二百年以上前に訪れるはずだったその時を、ここまで引き延ばしてしまった弊害がどんな形で現れるのかなど、知るよしもなかった。ただたんに、近々予言されていたとおりの魔王復活が訪れる。そのようにしか思っていなかった。魔力をもって創られた黒水晶に魔王と呼ばれたその人が溶け込んでいくという現象が一体何を意味しているのか。それが大昔約束が交わされたときには想定されていなかった現象だということを、今の時代の彼らは知ることも気付くこともできなかった。
そして、二人の想像よりもはるかに早く、あまりにも早く、早すぎるほど早く、その時は訪れた。
決意を固めエリオットに視線を向けたアルバートの目にそれは入って来た。
「エル。後ろ。」
黒水晶に入った小さなひび、それを目にしたとき、アルバートから出てきたのはそんな間の抜けた声だった。それを受けてエリオットが振り返り、黒水晶に視線を向ける。そして、二人は、魔王の消滅をその目で見た。アルバートが見付けた黒水晶に入った小さなひび。それが大きくなるにつれ黒水晶の中の彼女の姿が薄れていき、最後には溶けるように消え去って。そして、それははじけ飛ぶように砕け散り、二人は溢れ出る黒い本流に呑み込まれた。