ニト・ラルム編④
「腹は決まったのか?」
そうハンスに尋ねられ、ニトは短くあぁと応えた。そして自分の荷置き場にある防具を身につけ、戦場に向かう支度をする。
「アルバートの首は俺が取る。サヤが俺の前に立ちはだかるなら、サヤのことも俺が殺す。」
自分の武器を手にし、暗く沈む瞳でそう宣言するニトを見て、ハンスが何かを悟ったように彼から視線を外し前を見る。
「幼馴染みちゃんと会ったんだな。急襲でも受けたか?」
そう言われ、ニトは手に持った武器をギリギリと強く握りしめた。急襲を受けたのなら、その方が良かったかもしれない。サヤはサヤのままだった。自分の知っているサヤのままで、でも、自分のサヤではなくなってしまっていた。幼い頃はいつも一緒だった。ずっと一緒にいて、そのままいつか大人になって、そして結婚して二人で家庭を築くんだと、あの頃は当たり前に思ってた。サヤもそう思ってたと信じてる。でも、村がなくなったあの日から十五年。十五年の年月が俺達の関係を変えてしまった。サヤは俺が生きているのを知っていたのに、俺と再会することよりも、俺が助けに来るのを願うことよりも、身近な、あんな男に籠絡されて。あいつのためと、自らの意思であいつに従事してきたなんて。サヤが操られていないと思い込んでいるだけで、本当はあの奴隷印に縛られてるだけなのかもしれない。アレのせいであいつに従順にさせられて、あいつらを大切だと思い込まされてるに違いない。じゃなきゃ、そうじゃなきゃ。サヤがあんな顔で、あんな風に、あんなこと・・・。俺を拒絶するサヤなんて知らない。俺を否定するサヤなんていらない。そう先日遭遇したサヤとの時間を思い出して、ニトはアルバートへの憎しみが溢れだし、ドロドロした感情に自分が呑み込まれていくのを感じた。
「サヤはもう、俺の知ってるサヤじゃない。サヤはもうあいつの道具だ。俺のサヤじゃない。アルバート・サクリエル。あいつだけは。あいつだけは、絶対に赦さない。俺から全部奪った。サヤをあんな風にしたあいつだけは。ぶっ殺してやる。俺の手で、あいつだけはぶっ殺してやる。絶対に。」
そう吐き出して、自分の頭にポンとハンスの手が置かれて、ニトはハッとした。
「吞まれんなよ。それに吞まれて周りが見えなくなったら、敵だけじゃなくて自分も、仲間も、皆、皆呑み込んで殺すぞ、お前は。お前にはそれだけの力があるんだから。復讐心を捨てろとは言わない。でも、絶対に吞まれるな。暴走するようなら、俺がお前を殺すからな。お前を仲間殺しにさせるわけにも、お前のせいで俺達の今までをパーにさせるわけにもいかないから。暴走するなら、ニト。お前は俺が殺す。覚えとけ。」
そう静かなハンスの声が降ってきて、ニトはギュッと目を瞑った。そして頭をぐしゃぐしゃ撫でられて、顔を顰めてハンスを見上げる。
「行くぞ、ニト。最終決戦だ。」
そう言うハンスがいつも通りニッと笑いかけてくるのを見て、ニトもいつも通りそれに短く答え前を見た。
最終決戦。これで全てが終わる。全部が終わったら、そうしたら・・・。ハンスに考えておけと言われたその先をニトは何も考えていなかった。今はただ、アルバートを殺すことしか考えられない。その先は、その先になってみないと解らない。だからただ。今はただ、自分にとっての宿敵であり、ハンスの反乱を成功させるにおいて最大の壁になるであろうアルバートを排除することが、自分にとっても、自分も所属する反乱軍にとっても益になるから。だから、俺はアルバートを殺す。今はそれだけ考えていれば良い。そう自分に言い聞かせて、ニトはハンスに連れられて、仲間達の中に入っていった。
拠点にしていた町を出て王都へと向かう。そして王都を目前とした荒野で、アルバート・サクリエル率いる王国軍が待ち構えているのを目にし、ニトは自分の感情が低く沈んで冷えていくのを感じた。最初から急襲できるなんて思っていない。王都に着く前に交戦することは予測されていた。でも、こんな風に万全の状態で進行方向に待ち構えていた王国軍を見て、ニトはサヤが町に現れた理由を悟った。サヤは反乱軍の動向を探るためにあの町に訪れて、そのついでに俺に会っていった。ただそれだけだったんだと思う。最初から俺の事なんてどうでも良かった。サヤはあいつのために偵察に来て、そこで俺を見かけて、それで。自分が捕まったり殺されるリスクを冒してまで俺に接触して、あいつらの命乞いをした。最後に俺に会っておきたかったとか、一目会って話がしたかったとか、そんな訳じゃない。全部、あの男のため。俺なら懐柔できると思った?だから、他の連中に見つからないように俺をおびき寄せて。俺に会っとけば、俺の手が緩むとでも思ったか。少しは躊躇いが生じて、少しくらいあいつの勝機が高まるとでも思ったか。どう足掻いたところでもう王国軍の敗退は目に見えているのに、それでも悪あがきして勝算をあげたかったのか?あいつのために。そのためにサヤは、俺の前に姿を現した。俺にだけは生きていて欲しいだとか、そんなの俺を惑わせるためだけの空っぽの言葉だろ。本当はもう俺の事なんてお前はどうだって・・・。
そうやって低く深く沈んだニトの感情は、あるところで一気に反動をつけて爆発した。もう止まらなかった。止めることなどできなかった。ニトの目にはもうアルバートの姿しか見えていなかった。アルバートを殺すこと、それだけを考えて、敵陣に突っ込んで。それを機にそれぞれの軍隊が動き、決戦が始まった。
一人で一個小隊を壊滅させると噂のアルバート・サクリエルの実力はすさまじかった。魔力を持たない普通の兵では到底彼に傷一つつけることはかなわなかった。鉄砲も大砲も、彼の強大な魔力の前には無意味だった。そのため、ニトを含めた反乱軍有数の強大な魔力を持った戦力がアルバート一人に集中する。そしてその空きを突かれて、王国の兵士達に反乱軍の兵士達を倒されていく。アルバート率いる王国軍の兵士達は皆、腐っても国を護る為に存在する王国の兵士。そこに居る一人一人全てが、数多の戦況をくぐり抜けてきた強者共の集まりだった。それに対し数では圧倒しているといえ反乱軍の兵は、いつもどこか力のある少数に依存していた節があった。自分達がどうにもできなくても、強い奴が何とかしてくれる。そんな普段の甘えた意識がこの戦況で浮き彫りになり、王国軍と反乱軍の一般兵の実力差を如実にした。そして反乱軍優勢と思われていた戦況がじわりじわりと覆されていく。
「ここまで来て負けるわけにはいかない。ここに来て、俺達の宿願を打ち破られるわけにはいかねーんだよ。」
戦況を見たハンスがそう忌々しげに吐き出す。そして大声でニトを呼んだ。
「ここはお前に任せる。全力であいつをぶっ殺せ。」
そう叫んで、ハンスは他のメンバーにここを離れ他の援護に行くように指示を出す。そしてニトは、仲間達の行動を阻止しようとするアルバートの動きを猛攻で封じ、その場を全員が離れたことを確認すると、今まで抑えていた力を解放させた。この時、この瞬間のためだけに蓄えてきた力。あまりにも破壊力が強く周囲に甚大な被害を巻き起こすため、ハンスに使用を禁じられていた自分の全力の力。それを解放し、アルバートに叩き込む。アルバートを目にした瞬間、アルバートと対峙することになったその瞬間、本当は頭に血が上りすぐさまこれを奴にぶつけそうになった。でも、ハンスが傍にいたから、視界の中に彼がずっといたから、この感情に呑み込まれずに冷静でいられた気がする。ここにサヤがいなくてよかった。もしサヤがここにいて、こいつの隣にいたりなんかしたら、きっと俺は自分が止められなかった。でも、いなかったから・・・。そう思って、ふと、何故ここにサヤがいないのか疑問に思う。そして、サヤが言っていたことを思い出し、少しだけ気持ちが揺れる。でも、今まで溜め込んでいた感情を爆発させようとしていたニトはもう止まらなかった。たとえ真実がどうだったとしても、アルバートを赦すことはできなかった。憎む心を止めることはできなかった。真実なんてどうでも良い。俺はこいつが憎くて、赦せなくて。そして、もうこれを我慢しなくていい。これで終わりだ。そう思う。
アルバートにぶつかった強大なエネルギーの塊が、本来、標的にぶつかってから更に周囲を巻き込んでの大爆発を起こすはずのそれが、小規模な爆発にとどまり消滅するのを見て、ニトは焦るような気持ちになった。自分の全ての魔力を注ぎ込んで放った攻撃がいなされた。そして魔力の尽きた状態で、あのアルバートと渡り合わなくてはいけない、そんな状況に嫌な汗が出る。自分の起こした爆煙のせいでアルバートの様子がわからない。なにも攻撃が仕掛けられてこないということはそれなりにダメージを与える事ができたのか。それともこちらを油断させる罠で、爆煙に乗じてどこからか仕掛けてくるつもりなのか。そんなことを考えながら、ニトは反撃に備え身構えながらじっと爆煙がおさまるのを待った。
煙が引いた先にアルバートが倒れているのが見える。気を緩めず、その生死を確かめるためにゆっくりと近づく。生きていたらもちろんその息の根を止める。めった刺しにして、原形を留めないくらいメチャクチャにして。お前なんて跡形もなく消えてしまえばいい。あの攻撃で、塵となって消えてしまえば良かったのに。どうして原形留めたままそこに転がってんだよ。そこに転がるアルバートに近づくにつれ、ニトの中にそんな言葉が溢れ、薄れることのない憎しみがまた湧き上がってきて、武器を持つ手に力が入った。そして、そんなニトの前に人影が立ちはだかり、彼の行く手を阻んだ。
「サヤ。今頃何しに来た?そいつを殺した、俺を殺しにでも来たか?」
そこに立っていたのはサヤだった。そこに立つサヤの顔にはもう奴隷印はなかった。つまり、アルバートは死んだ。そして、サヤはもう解放されてる。でも、それなのに、サヤは自分の前に立っている。自分のしようとしていることを阻むように自分の前に立っている。つまりそれは、サヤは今まで奴隷印の呪力でここに来れないように拘束されていて、それが解き放たれたからここに来れたということじゃないのか?サヤが言っていたとおり、こいつはサヤを最終決戦に巻き込む気がなくて、自分が死んで解放されたら、生きて逃げ延びられるようにしていたってことなんじゃないのか。だけどそれでもサヤは、解放された後、自分の意思でここに来た。つまり、それは・・・。その事実がニトを打ちのめし、膝を突かせた。
「わたしがニトを殺すわけがないよ。殺せるはずないじゃない。ニトがわたしの大切な人達を殺す未来を視ても、わたしはニトのことは殺せなかった。ニトだって、わたしの大切な人だよ。本当に、大切だと想ってるんだよ。今でも。ずっと。ニトはわたしの大切な幼馴染みなんだから。わたしを敵だと思うなら、わたしのことも容赦なく殺して。でも、あなたは生きて。これからも、ちゃんと生きていて。お願い。死なないで。」
そう膝を折りニトの顔を覗き込んで、泣きそうな顔でサヤが言う。
「ニト。わたしの魔力をあなたに分けてあげる。まだ戦いは終わってない。終わってないのに、このままじゃ、どうしようもないでしょ。わたしにはいらない。こんな強大な魔力、わたしには必要ないから。だから、わたしの魔力のほとんどを、ニトにあげる。」
そう言うサヤに優しく頬を撫でられて、自分の中に彼女の魔力が流れ込み回復していくのが解って、ニトはなんとも言えない気持ちになった。そして、自分に触れる彼女の手を取って、その手を引いて抱きしめる。
「サヤ。サヤ。俺は。俺は・・・。」
色々思うことはあるはずなのに何も言葉が出てこなくて、ただ縋るようにニトはそんな言葉を繰り返していた。
「解ってる。解ってるから。」
そう言うサヤの優しい声にニトは涙が出そうになった。でも、腕の中のサヤが、ただ自分に抱き寄せられているだけで、自分を抱きしめ返すことも何もしないことを感じて、ニトの中に絶望感が膨れてくる。
「ニト。最後のお願い。」
そんなサヤの言葉を耳に、その先を聞きたくないと思う。最後だなんて。そんな。これが終わったら、全部終わったら、今度こそ二人で、サヤのこと、サヤがしてきた全てを誰も知らないような遠い所へ行って、一から人生をやり直させてはくれないのか。サヤが居てくれるなら、俺はそれでいい。最後なんて言わず、これからいくらでもお前の願い事きいてやるから。死んだ奴のことなんか忘れて、俺のとこに戻ってこいよ。そんなニトの思いは、続けられたサヤの言葉に打ち砕かれる。
「わたしのことは忘れて。わたしは沢山の罪を犯してきた。そしてニトは、反乱軍の人達と新しいこれからを創っていくべき人だから。だから、わたしはニトとは一緒にはいられないよ。もう子供の頃みたいに一緒にはいられない。だから、わたしのことは忘れて、ニトはここを乗り越えて生きていて。新しい世の中であなたが頑張ってるって思えたら、きっと、わたしもこれからを生きていける。だからお願い。お願い。ニト。もう、自分を赦してあげて。ちゃんとこれからを生きて。そして、もう二度とこんなことが起こらないように、平和な世界を創って。あなたたちの手で。ニトはそこにいるんだから。そっち側の人なんだから。だから、最後までちゃんと。お願い。」
そんなサヤの言葉を聞いて、ニトは苦しくなって、彼女を潰しそうなほど強く抱きしめた。そしてバッと引き離すと、彼女を転がるアルバートの方へ突き飛ばした。
「行けよ。」
呆然と自分を見上げるサヤから視線を逸らし、ニトは叫んだ。
「そいつの死体と一緒にとっとと俺の前から消えてくれ。俺の気が変わる前に。早く!」
認めたくない。認めたくないけど。サヤは絶対にもう俺のものにはなることはない。そして、これ以上、必要以上アルバートを傷つけられたくないし、こいつを弔ってやりたいんだ。それが痛いほど解るから。だから・・・。
「ニト。ありがとう。」
そう言うサヤの声がどことなく嬉しそうな響きで聞こえてきて、ニトは胸が締め付けられた。そしてサヤが魔力を使ってその場を離れたのを認識し、ニトは顔を上げた。
サヤの言うとおりまだ戦いは終わっていない。俺にはまだやらないきゃいけない事があるんだ。そう自分に鞭を打って、ニトはまだ戦い続ける仲間の元へと走った。