ニト・ラルム編②
「さてと。いよいよこれから王都に攻め込むわけだけど。その前にちゃんと用は済ませてきたか?まだならまだで、あと数日くらいなら時間をくれてやるぞ。後悔しないようにちゃんと済ませることは済ませてこいよ。」
そうニヤニヤ笑いながら話しかけてくるハンスに、ニトは顔を顰めて、済ませる用事なんて何もないとこたえた。
「またまた。あの酒場の彼女とはどうなのよ。お前が彼女目当てであそこに通ってんの知ってんだぞ。俺の勘ではあっちもお前の事そんなに悪くないと思ってると見える。あのことどこまでいってんだよ。ちゃんと挨拶してきたのか?」
そう言われて、ニトは顰めた顔を更に顰めた。
「彼女とはそんな関係じゃない。そもそも、お前が考えているようなものじゃない。」
そう言うと、ハンスがまたまたそんなこと言ってと茶化してくる。ニトはお堅いだのなんだのと、少しはほっといて欲しいと思う。今の世の中で、そんな気分になれるわけがない。自分は狩られる側の、虐げられる側の魔族の血を引く者で。その上反乱軍に加わって数多の王国正規軍を打ち倒してきた自分は、王国兵に見つかれば即戦闘になることが当たり前のお尋ね者。真っ当に生きている者と深く関われば迷惑になるのは目に見えている。それに、本当に彼女とはなにもないし、彼女の事はどうとも思っていない。ただ、初めて彼女を目にしたとき、彼女の姿がサヤと重なっただけ。サヤと同じ黄金色の瞳に惹かれ視線がいって、顔立ちがサヤと似ていて気になって。そして、髪の色などに違いはあるけれど、その笑い方や話し方も、自分の記憶の中のサヤと重なって。だからちょこちょこ酒場に行っては彼女を見ていた。そこにサヤを重ね。もしもサヤが生きていたらこんな風になってたのかな、なんて考えていた。そして、サヤからそんな未来を奪ったアルバートへの復讐心を焚き付けてきた。むしろそのために、彼女の元に足繁く通っていたと言っても過言ではないかもしれない。だからそれは、ハンスの言うようなものじゃない。自分の気持ちを萎えさせないための、自分が復讐をやり遂げるための、そのための行動。それ以上でも以下でもない。俺の中にいるのはサヤだけだ。それ以外なんていらない。最低でも、復讐を終えるその時までは。
「ニトはさ。いまだに幼馴染みちゃんが忘れられないの?」
そんなハンスの言葉を聞いて、ニトは彼に視線を向けた。
「復讐のために俺の反乱軍に参加して。俺としてはさ、助かったよ。ニトみたいな強い奴が味方になってくれて。ニトはうちの主戦力だし。でもさ。ニトが反乱軍にいる理由は今もそれだけか?復讐を果たしたらそれで満足で、その先はどうでも良いと思ってんの?ここまで俺達と一緒にやってきて、それでもまだそれ以外にお前が戦う理由は見付けられないか?反乱ってか、革命ってさ、王様倒してお終いじゃないんだよ。その先、倒した先の方が大切なの。そこをちゃんとできないと、結局、王様倒しても意味がない。だからニトにはさ。王都に向かう前にちゃんと一度考えてみて欲しい。自分が復讐を果たした先に何をしたいのか。何を成したいのか。俺は、決戦後もニトにうちの主力の一人として傍にいて欲しいと思ってるよ。そしてお前と同じ立場の奴等を救ってやって欲しい。あの黒い流星を浴びて魔力を手にはしたが、それでも俺は結局、お前と違って魔族の血を一切引いてない純粋な人間だからな。そんな俺が王におさまったところで、一回根付いちまった魔族達の人間に対しての不信感って拭えないと思うんだよな。だから、俺が創る新しい王国は、今の反乱軍のメンバーで、人間も魔族もごっちゃまぜのまま、このまま皆で創っていきたいわけ。ニトもそれに協力してくれると、スゲー心強いんだけどな。」
そう存外真面目な調子で話すハンスに真っ直ぐ視線を向けられ、ニトはそれを受け止めることができなくて視線を逸らした。復讐の先。そんなものは自分にはない。ハンスのような志はなにもない。自分がやっている事はただ、自分の後悔の清算なのだから。あんなに怯えていたサヤの言葉を軽く流してしまった。ちゃんと話しを聞いてやらなかった。真面目に受け止めてやらなかった。それで・・・。自分は何より自分が赦せない。本当は誰よりも自分の事が赦せない。だから本当に自分が復讐の果てに望んでいるのは、死なのだ。アルバート・サクリエルと刺違えて果てること。それを一番望んでいる。この戦いの果てに生き残りたくなんてない。全てを失ったこんな世界で生きていたくなんてない。そんな自分が誰かの上に立つだとか、誰かを救うだとか、そんなこと、できるはずがない。ハンスの期待には応えられない。自分はただの駒で良い。ハンスの武器として、彼の前に立ちふさがる敵を薙ぎ払うためだけの駒。その先のことは全部、その先をちゃんと考えてる奴に任せるから。だから、そこに自分を入れようとしないでくれ。ニトはそう思った。
「あのさ・・・。」
ニトの沈黙をどう受け止めたのか、ハンスが気まずそうにそう口にする。
「もう一つ。お前に話しとかないとって思ってることがあってさ。お前にはずっと言い辛かったんだけど。でもな。やっぱ。王都に攻め込むとなると絶対、魔族狩りの聖騎士、アルバート・サクリエルと戦うことになるだろ。お前にとっちゃ、それが目的で、奴との戦いを心待ちにしてるって解ってるんだけどさ。でもな。だからこそ、やっぱ、ちゃんと話しとかなきゃいけないなって思う。お前には受け入れがたい事かもしれないけど、でも、これ以上は隠しておくわけにはいかないから。だから、ちょっときいてくれるか?」
そう言うハンスの瞳が、酷く後ろめたそうで、そしてとても自分を心配しているような色をしているのを見て、ニトは眉根を寄せた。
「お前の幼馴染みちゃん。サヤ・バルドのことなんだけど。」
どうしてここでサヤの名前が出てくるのか、ニトには理解することができなかった。サヤは死んだ。あの時。なのに、どうして決戦の前に、いや、アルバート・サクリエルとの戦いの前に知るべき話しとして、サヤの名前が出てくるのだろう。その先が気になる気持ちと、その先を聞きたくない気持ちが混在し、ニトは何もこたえることができず、ただ自分を見るハンスを眺めていた。
「お前の幼馴染みちゃんは、黒髪金目で、年はお前と同じ。そしてあの黒い流星を浴びて強大な力を手に入れた者の一人で間違いないんだよな。」
そう真剣な顔で確認されて、ニトの中の嫌な予感が膨らんだ。この先を聞きたくない。聞きたくないと思うのに、ハンスの言葉を遮ることができず、自ずとその先が耳に入ってくる。
「同姓同名で、お前の言う幼馴染みちゃんとよく似た特徴を持った魔族の血を引く女が、アルバート・サクリエルの側にいる。同族殺しの、サヤ・バルド。俺達の間じゃ有名な名だ。お前が知らないだけで。お前が仲間に入ったときにはもう、俺達の間じゃ有名人だった。何人もの仲間がそいつにやられてる。俺達が倒すべき相手の一人。サヤ・バルドは強敵リストの中に入ってる。」
そんなハンスの声が、現実感のない物としてニトの中を通り過ぎていった。同族殺しのサヤ・バルド。なんだそれ。サヤが敵?しかも反乱軍の仲間を何人も殺してて、ブラックリストに載っている。バカな。そんなわけがあるか。サヤはあの時死んだ。それに、サヤに人殺しなんてできるはずがない。あんなに臆病で、優しいサヤが、同族殺しなんて・・・。
「信じられない気持ちも解るけど。でもな。アルバート・サクリエルと戦うなら、サヤ・バルドとも交戦することは避けられない。もしそれで、そいつが本当にお前の幼馴染みちゃんだったとしたら。その時に、ニト、お前はちゃんと戦えるのか?」
そんなハンスの覚悟を確かめるような厳しさを含んだ静かな声を聞いて、ニトは思わず彼の胸ぐらを掴んでいた。それに全く動じず自分を真っ直ぐ見る彼を睨み付ける。そして彼の服を掴む手に力が入り、ニトはギリギリと彼の首を絞めていた。
「十五年。お前の村が襲われてから、それだけ経った。お前は生き延びて、世間から隠れ一人力を蓄えていた。いつか復讐を果たす、それだけのために。だからお前は世間のこと何も知らないんだろ。お前が引き籠ってた間のこと、お前は何も知らないだろ。お前は幼馴染みちゃんが死んだことを確認してない。なら、幼馴染みちゃんの傷は致命傷じゃなくて、生き延びてたかもしれないだろ。そして、アルバート・サクリエルの奴隷にされたのかもしれない。アルバート・サクリエルの側近、サヤ・バルドの顔面には、奴の署名が入った奴隷印が施されてる。魔族を強制的に服従させる、魔術印だ。幼馴染みちゃんは、お前と同じあの黒い流星を浴びた生き残りだろ。なら、死んだっていうのがお前の思い込みで、彼女の持つ強大な魔力を武器として利用するために、生かされてても不思議じゃない。奴隷にされ、使われてても不思議じゃない。彼女が生きていたとして、武器のようにアルバート・サクリエルに使われ続けてきたとして。十五年だ。十五年、そんなことしてきて。それでも彼女がお前の記憶の中の、子供の時のまま、純粋なままの幼馴染みちゃんでいられてるとでも思うのか?今のサヤ・バルドは敵だ。例え操られてるだけだとしても敵だ。強制されてかもしれない。でも、それでも彼女は、あまりにも多くの仲間を、罪のない魔族を殺してきた。それを、反乱軍の仲間が、虐げられてきた者達が赦せると思うか?なによりも、彼女自身がそれをしてきた自分を赦すことができると思うのか?」
苦しそうに顔を顰めながら自分に語りかけるハンスの言葉が、ニトの中に入ってくる。生き延びて、奴隷にされ、武器として望まない殺しをさせられ続けている。サヤがそんな扱いを受けてきたなら、そんな扱いを受けながら生き続けているのなら、俺は。俺は・・・。
「なんで。なんでもっと早く教えてくれなかったんだ。サヤが。サヤが、そんなこと。呪印で縛られてるだけなら、アルバートを殺せばサヤは解放されるだろ。もっと早く知っていれば・・・。」
「お前は無茶と解っていながら単身アルバート・サクリエルを殺しに行って、みすみす無駄死にしてただろ。そんなことさせられるわけがないだろ。今、この時になって俺達は、ようやく奴と渡り合えるだけの力を手に入れた。今だからこそ王都に攻め込める。現実を見ろ。早く知っていたところで、お前に幼馴染みちゃんは助けられなかった。無理だったんだ。そしてここまできてしまった以上、彼女を救い出す手立てなんかない。最終決戦となるだろう、アルバート・サクリエル率いる王国軍との戦いで、確実に彼女は敵として我々の前に立ちふさがる。敵ももう後がない。この状況で、敵将であるアルバート・サクリエルを暗殺し、幼馴染みちゃんを解放させて、うちの連中にも気付かれず何処か遠くに逃がすなんてことできるわけがないだろ。幼馴染みちゃんは敵として倒すしかない。運良く、アルバート・サクリエルを殺した後で生き延びてたら、逃がしてやることもできるかもしれないけど。そんな幸運まずありえない。そして作為的にそんなことする余裕なんてないからな。そんな配慮してたら、こっちが全滅させられちまう。だから、戦うしかない。戦うしかないんだ、全力で。」
そんな冷静なハンスの言葉にニトは打ちひしがされ、彼を掴んでいた手の力が抜けた。俯き、彼の胸に額をつける。そして、自分の中に生まれたどうすることもできない衝動が、ニトの口から叫びとなって吐き出された。
「少し時間をやるから。よく考えろ。さっきも言ったとおり、俺はお前に最後までついてきて欲しい。そしてこの戦いの後も傍で支えて欲しいと思ってる。でも、現実に耐えられないなら、ここで抜けても良いぞ。アルバート・サクリエルという強敵との戦いを前に、お前ほどの戦力を失うのは痛いが。それでも、お前が無理だっていうなら仕方がない。落ち着いて、これからのことをしっかり考えろ。いいな。そうだな、三日だ。三日間だけ時間をやる。その間よく考えて、それでも俺達と一緒に戦ってくれるって言うなら、その時は俺のとこにきてくれるか?」
そんな強くも優しいハンスの声が頭の上からふってきて、ニトはギュッと目を瞑った。自分がどうするべきなのか。そんなことは解らない。アルバートの側近が本当にサヤだとして。サヤが生きていたとして。戦うしかないのか?殺し合うしかないのか。そんなこと。そんなことできるわけ・・・・。でも、俺がやらなければ、サヤは他の誰かに殺される。他の誰かに殺されて、俺は、そいつを赦せるのか?仕方がなかったと言って、赦すことができるのか。それと同じようにサヤのことを、サヤがしてきたことを、仲間達が赦すことができるのか?ハンスの言うとおりだと思う。でも、今すぐに答えを出すことはどだい無理な話で。だからニトは、ハンスに言われたとおり考えることにした。一度冷静になって、ちゃんと自分を見直して。現実を見て考える。これから自分がどうするべきなのか。どうしたいのか。ただ、今、自分の目の前にある選択肢があまりにも絶望的すぎて、ニトは吐きそうになった。運命というものがあるのなら、それを呪いたいと思う。それでも、絶望的な選択肢しかなくても。サヤにはそれを切り抜けて生きていて欲しいと思う。どうにか逃げ延びて生きていて欲しいと思うのは傲慢だろうか。生きていることが苦しくて自分も死にたがってるくせに。きっと、自分がさせられてきたことに苦しめられているサヤに、それでも死んでほしくないなんて。例え彼女自身が死を望んでいたとしても、死んでほしくない。死んでほしくないんだ。同族殺しのサヤ・バルド。それが本当にサヤで、サヤが生きていたのなら。二度も失いたくない。どうしたら。どうすれば・・・。考えれば考えるほど自分の中の想いは混沌とし絡まって、ニトはどうしようもなく苦しくなって、自分の胸にあるペンダントをギュッと握りしめた。