アルバート・サクリエル編⑦
サヤをエリオットに預けっぱなしにして数日。様子をうかがいに赴いたそこで、長かった髪を短くしたサヤを目にして、アルバートは目を見開いた。
「お前、それ・・・。」
唖然としてそう口にするアルバートに、サヤが真っ直ぐその黄金色の瞳を向ける。もうそこに怯えた色も、悲観の色も何もなくて、アルバートは訳がわからなくなった。
「わたしはアルの武器だから。長い髪は邪魔。もう覚悟はできてる。わたしに戦い方を教えて。」
そうサヤに宣言されて、アルバートは思わずエリオットの方を見た。目が合ったエリオットが、諦めろというように笑う。
「エル。お前。サヤに何吹き込んだ?」
苛ついてそうエリオットに詰め寄るアルバートを止めたのはサヤだった。
「エルは関係ない。わたしが決めた。わたしが自分で考えて、そうすることにしたんだよ。エルはただわたしをずっと慰めてくれただけ。傍にいて、寄り添って。ずっと、ずっと、わたしを支えてくれた。わたしは沢山泣いたから。もう充分泣いたから。もう終わったことはどうでも良いの。解ってる。アルはわたしを護ってくれたんだって。解ってるから。ちゃんと解ってるから。だから、今度はわたしにアルを護らせてよ。」
そう言うサヤの強い瞳に、アルバートは何も返すことができなかった。
「アルはあの人達にわたしが武器だって説明した。ならわたしは武器にならなきゃいけない。わたしをちゃんと武器にしないと、アルは嘘を吐いたことになっちゃう。嘘を吐いたって思われたら、アルは・・・。わたしはここでアルとエルに護られて、安穏と過ごしてるわけにはいかないの。わたしはアルの武器になって、アルの言葉を証明して・・・。」
そう言うサヤの目から涙が溢れてきて、アルバートはたじろいだ。
「サヤは、君が嵌められて処刑される未来を視たんだよ。それが解ってるなら僕が何とかするから大丈夫だって言ったんだけど、意外と頑固だからさ。知ってるでしょ?サヤは強いんだ。きっと僕達なんかよりずっと強いから。だから、アルも諦めて言うとおりにしてあげたら?僕はもう説得するのは諦めたよ。」
そうエリオットにまで言われてしまうと、もうどうすることもできない気がして、アルバートは深く眉間に皺を寄せて重苦しい溜め息を長く吐いた。目閉じて、考える。考えて、考えて。でも、どうしたらそれをサヤに諦めさせることができるのか何も思いつかなくて、アルバートは目を開けるとまた溜め息を吐いた。
そうしてサヤは戦士になった。元々高度な魔力使いで、魔族の血が濃く身体も丈夫で身体能力の高かったサヤが、一人前になるのにそう時間はかからなかった。表向きアルバートの命令でしか動かないアルバートの飼い犬。そんなサヤの初めての戦場は、反乱軍が保護していた魔族の血を引く者達が暮らしていた、戦闘員のほとんどいない集落だった。アルバートに連れられる形で討伐部隊の一員として参戦し、飼い犬の実力をみせて見ろと意地の悪い連中に唆され苦悩するアルバートに、サヤは視線で自分にそれを命令しろと訴えた。それを受けて苦しみながら命令した集落の殲滅を聞くとすぐサヤが行動を開始し、さらっとそれを一人でやってのけたのを見て、アルバートは胸が締め付けられた。そして、遠征から帰って、エリオットの私室に入るなり堰が切れたように大泣きするサヤを見て、自分も泣きたくなった。サヤのそんな姿を見ていられなくて、泣き続ける彼女に掛ける言葉も慰めるための行動も自分には何も思いつかなくて、アルバートは目を逸らし、彼女を慰める役目は全てエリオットに押しつけた。
自分の持つ強大な力で人を傷つけることができなかったサヤが、自分の言葉一つで躊躇いなく人を傷つけるのが辛かった。自らの意思で人を殺すようになってしまったのが辛かった。本当はそんなことしたくないくせに、心を殺して、耐えて、それをし続けるサヤが辛かった。それを表では一切出さず、いつもエリオットの私室で泣くサヤが辛かった。サヤにそんなことをさせてしまっている自分が、そんなことをしなくてはいけなくさせてしまった自分が、アルバートは赦せなくて。苦しくて。自分達の死を予見する度、勝手に相手を殺してくるようになったサヤに苛ついて、辛かった。
こんなつもりじゃなかった。こんなことしたくなかった。いつだってアルバートの中にあったのは、自分がしてしまったことに対して言い訳にすらならないと解りきっている、そんな言葉だった。ずっとずっと、黒い流星群が流れたあの日からずっと、その言葉がいつだってアルバートの中に渦巻いていた。
そして現在。アルバートはサヤと二人、全てが終わった後に落ち合う約束をしていた場所でエリオットを待っていた。
エリオットはちゃんと来るのか。これでエリオットが来なかったら。どうしてもそんな考えが頭に過ぎってしまい、アルバートは苦しくなった。
エリオットを待つ時間が酷く長く感じる。ただ黙ってエリオットの到着を待つ時間が耐え切れなくて、アルバートは口を開いた。
「なぁ、サヤ。」
そう声を掛けると、サヤが振り返り、その黄金色の瞳で自分を真っ直ぐ見上げてくる。
「エルが来たら。お前はあいつと二人で逃げろ。」
そう言うと、サヤが自分を真っ直ぐ見つめたまま、なんで?ときいてきて、アルバートは苦しくなった。
「俺には、お前等と一緒にいる資格はない。お前等と逃げ延びて、普通の生活を手に入れる資格なんか。だから、お前はエルと二人で逃げて、お前等は・・・。」
「アルの言ってる意味。よく解らない。」
言葉の途中でサヤにそう打ち切られて、アルバートは苛ついて、だからと大きな声を上げた。でも、その続きをサヤの言葉に遮られる。
「アルに資格がないのなら。わたしだってそんな資格ない。アル。わたしも同じだよ。わたしも、アルと同じ罪を背負ってる。自分で決めて、自分でやった。わたしも許されることのない沢山の罪を犯してきた。」
そう言うサヤの強い瞳に、アルバートは言葉が出てこなかった。
「アル。覚えてる?アルはわたしに、赦すな、恨めって言ったの。でも、わたしはアルのことを恨まない。アルがわたし達にしたことが正しかったとは思わない。それを赦すつもりはない。でも、アルのことは恨まない。憎みもしない。アルはずっとわたしを助けてくれた。護ってくれた。それにいつだって苦しんでた。アルは悪い人じゃなかったよ。悪い人じゃなかった。今までずっと一緒に過ごしてきた。アルもエルも、わたしの大切な家族だよ。わたし達はきっと、これまでのことを忘れることはできない。なかったことになんてできない。そしていつか報いを受けるときがくるのかもしれない。でも、それまでは生きていこう。一緒に生きて。それで、皆で人生やり直そう。皆一緒に。」
そう言うサヤの言葉を肯定するように、遠くから、二人ともお待たせとエリオットの声が聞こえてきて、彼が合流する。そしてサヤがそれまで自分に向けていた顔を一変させて、とても嬉しそうな顔をしてエリオットを出迎えるのを見て、アルバートは、女って奴はと思った。俺の前とエルの前じゃ本当態度が違う。まぁ、ずっと猫かわいがりしてたエルと違って俺は、サヤに懐かれるようなこと全くしてないからな。俺はいつだって目を逸らして逃げて、サヤのことエルに押しつけてきた。そりゃ、エルの方が特別になるのは当たり前か。そんなことを思って苦笑する。エルの言うとおり、サヤは強い。きっと俺よりずっと。いや単に、俺がどうしようもなく弱いだけだな。きっと、この三人の中で俺が一番弱い。いつだって二人に支えられ、護られてるばっかりで。こん中で最年長で、図体も一番でかいくせに情けないな。そんなことを考えて、アルバートはさっきサヤに言われた事を頭の中で反芻した。俺達は俺達の罪から逃れられない。いつか報いを受ける時が来るかもしれない。でも、その時まで・・・。そうだよな。折角こうして作戦が成功して生き延びたんだ。だから、人生やり直して、生きていこう。三人で。そしてこれからは、少しくらい最年長らしく、二人を護れる存在になれるように努力しよう。そんなことを考えて、アルバートは二人に視線を向けた。
「エル。その髪と目の色どうしたの?」
「あー、これ?一応変装?上手く入れ替わったのは良いんだけど、結界張られちゃって全部終わるまで抜け出せなくてさ。どさくさに紛れるにも紛れにくくなっちゃったっていうか。それで、魔力使って、ちょちょっとね。髪と目の色変えるだけでもだいぶ印象変わるでしょう?見つかってもこれなら別人ですって言い張れるかななんて思って。どうせ死んだことになってるし、完全同じ見た目の人間がいるのもアレだから、ずっとこのままでいようかな。」
そんなことを言うエリオットに、アルも髪と目の色変える?なんて言われて。自分の答えを待たず、二人が勝手にどんな色が良いかで盛り上がり初めて、アルバートは、お前等な、と渋い顔をした。
「でも、ま、これでめでたく、僕達全員逃亡者だし。名前は変えるべきだよね。どんな名前が良いかな?」
そんなことを言いながら、エリオットが悪戯を思いついた子供の様な顔をする。
「そうだ。こうしない?僕が、エリックで、アルがアルベルト。それで、サヤはユーリね。」
そんなエリオットの言葉に、サヤが反論する。
「全部よくある名前だけど。二人はもとの名前の名残もあるし、ご先祖様の名前で、自分と関わりある名前なのに。なんでわたしだけ縁もゆかりもない全然違う名前なの?」
そう言うサヤに、アルバートとエリオットが二人して、そんなことないという趣旨の言葉を返す。
「どういうこと?ユーリって誰の名前なの?」
そうサヤが首を傾げ、二人が同時に答えを返した。
「魔王の名前だよ。」
「エルの初恋の相手の名前だ。」
それを聞いてサヤがポカンとした顔をする。
「アル。それ、サヤに言う?」
「間違いじゃないだろ。」
そんなやりとりをしながら笑い合って、自然に笑い合える自分達がいて。アルバートは少しだけ、三人で生きていくこれからに前向きになることができた。




