アルバート・サクリエル編⑥
遠くない未来で、自分達は絶対悪として滅ぼされる。そんな結末を迎えるという目的を持ってから、アルバートは少しだけ楽になった。沢山酷いことをした。相手は悪くないと解った上で、容赦なく敵をなぎ倒し、殲滅し、沢山の罪を重ねてきた。それでも、どうしてそれを自分は成さねばならないのか、それが解らず、ただ流されるままにそれらをするよりマシだった。相手は悪くない。当たり前だ、自分達が悪なのだから。全ては絶対悪として滅ぶために、自分達は人に恨まれる悪として存在しなくてはいけない。だから、情けなんていらない。容赦なんてしなくていい。俺を恨んで、恨んで、恨み抜いて、そしていつか、場が整ったその時に殺しに来い。そう思えば迷うこともなく、非情にもなれたし、強くもあれた。
覚悟が決まり、迷わなくもなり、非情に振る舞うことも、非情な行いを繰り返すことに慣れてしまっても、戦場から戻り気を抜くと、アルバートの心は重苦しく沈んだ。切り捨てた者のことを考えるのはやめた。自分が犯してきた罪を数えるのもやめた。それでも、拭いきれない罪悪感に、時々アルバートは押しつぶされそうになった。それでも、押しつぶされずにいられたのは、一人ではなかったからだと思う。同じ目的で、同じ場所を目指して進むエリオットと、彼にすっかり懐いて笑顔を見せるようになったサヤ。王城に戻り、王の私室で、外の悪夢と切り離されて和やかに過ごす二人を見ると、いつも少しだけアルバートの心は癒やされた。でも少しだけ、私室内でだけとはいえサヤを猫かわいがりしているエリオットを見ると苛ついた。それが特別扱いであると解っているから、サヤはちゃんと外では奴隷らしく振る舞っていた。ただ黙って、主人に従って、笑顔も見せないし、必要以上に話しもしなければ言われた以上のこともしない。きっとエリオットがよく言い聞かせているんだろうなと思う。それがサヤを護る為で、私室での猫かわいがりも、彼女にできるだけ悪夢をみせないためだと解っている。でもサヤを、僕達のお姫様とエリオットが称するのを聞く度に、何を言っているんだこいつはとアルバートは思った。僕のお姫様。かつて封印された魔王ユーリのことをエリオットはそう称して愛でていた。エリオットがサヤをお姫様と称するのが、それと重なって、彼がそういうつもりでいるのではないかと感じて、アルバートはなんとも言えない気持ちになった。サヤを連れて王城に戻ってから五年。サヤももう小さな女の子ではなくなった。自分達ももう子供とは言えない年になった。エリオットが自分に懐いている身近な彼女をそういう扱いするようになったとしても、それは仕方がない気はする。でも、自分達は近い将来絶対悪として反乱軍の手に堕ちて滅ぼされる予定なんだから。そこにサヤを巻き込むべきではないと思う。あまり特別扱いして、特別な感情を持たせてしまって、そうしたらサヤは・・・。そう思うとアルバートは辛くなった。でも、その終わりが来るまでは、その時が来るまでは、サヤにはこのまま、この王の私室という箱庭の中で悪夢から切り離されて、仮初めの幸せの中で生きていて欲しいと思ってしまう。ここが彼女にとって居心地の良い場所であればあるほど、それが失われたときの彼女の絶望が大きくなることが解っているのに。それでも、この束の間の幸せを彼女には満喫していて欲しいと思った。そしていつか自分達が滅ぼされたその時は、捕らえられ奴隷にされていた可哀相な女の子として保護されて、自分達のことは忘れて生きていって欲しいと、アルバートは思っていた。
「サヤ。お茶にしよう。厨房に行って、適当に茶葉と、サヤが食べたいお菓子とってきてくれる?」
そういつものようにエリオットに声を掛けられて、いつもなら二つ返事でそれに従うサヤが、俯いて、行きたくないと言うのを聞いて、アルバートは怪訝そうに眉根を寄せた。そして、それをただのワガママだと思い込み、とってこいって言われたんだから行ってこいと彼女を部屋から追い出して。サヤが何故そう言ったのか、その時の普段とは違う彼女の様子を何故おかしいと思えなかったのか、ということを、アルバートは後で散々後悔することとなった。
あの時、行きたくないというサヤを無理矢理行かせなければ、彼女はあのまま幸せな箱庭の中で、ずっと安穏と過ごすことができていたかもしれないのに。気が抜けていた。王城内は安全だと思い込んでいた。エリオットの騎士となり、自分の地位も盤石となり。一度落ちぶれたサクリエル家の復興を快く思っていない者達がいたことを、こんな荒れた世の中で、滅び行くだけの王国の中で、それでも覇権争いをしようという者達がいたことを、当時のアルバートは気付くことができなかった。王城内でこの王国は終わりなのだと思っているのは、この国を終わらせるつもりで動いている自分達しかいない事を、アルバートはちゃんと認識していなかった。そしてサヤに、自身や身近な者に起こる危険を予知する能力があることを、アルバートは失念し、行きたくないという彼女を無理に行かせてしまった。そこには、少しの苛立ちがあった気がする。いつも自分は外で悪夢の中戦っているというのに、安全な場所で、エリオットに甘やかされて安心しきって過ごしているサヤに少し苛ついた。そんなアルバートが抱いた嫉妬心に似た何かのために、彼女を幸せな夢から引き離し、自分のいる悪夢の中に落とすことになるなんて、その時の彼はつゆほども考えていなかった。
なかなか戻ってこないサヤを不審に思い、彼女が向かったはずの厨房の方へ足を向けたアルバートが見たのは、鎖に繋がれ数人の兵士に囲まれて連行されていくサヤの姿だった。魔力を封じる枷を嵌められ、繋がれた鎖を強引に引かれ引きずられるように歩かされているサヤの顔が赤く腫れていた。着ていた服もボロボロで、体中痣と傷だらけで。いったいこれはどういうことだ?いったいなにがおきた?目の前の現実を処理しきれず立ちすくむアルバートを見咎めて、サヤを連行していた兵士が立ち止まり口を開いた。
曰く、サヤが魔力を使って使用人数名を殺害し、捕縛することになったとのこと。こういうことが起きないように奴隷には自分の意思で魔力が行使できないよう枷を嵌めなくてはいけないのに、何故それを怠っていたのか。こんな危険な奴隷を王の傍においていたとは。王の命を狙っていたのではないか。そう次々糾弾を受けて、自分も拘束されそうになって、アルバートは高笑いをしていた。
頭がおかしくなったかのように高笑いするアルバートを見て、その場にいた兵士達が一瞬ひるむ。
「いったい何がおかしい。」
そう睨み付けられて、アルバートは、お前等がやってることだよと叫んだ。
兵士からの糾弾を受けている間、アルバートはずっと考えていた。サヤが理由もなく人を殺すはずがない。考えられるとしたら魔力の暴走で、魔族の血も濃く魔力への適性も高く、また高度な魔力コントロールができるサヤがそんなものをおこすとしたら、彼女の身に余程のことが起きたとしか考えられなかった。どうしてそれが起きたのか、どうしたらサヤを助け、自分に掛けられた嫌疑を晴らすことができるのか。それを必死に考えて。鎖に繋がれたサヤをよく観察し、取り押さえるためにつけられたのではない傷を多数確認し、そして、彼女の光を失った暗く沈んだ瞳を見て、アルバートは彼女の身に起こったことを察した。確証はなかった。でも、そうとしか考えられなかった。そして、表には出すわけにはいかないどうしようもないほどの憤りを心の中で叫びながら、アルバートは高笑いをしていた。どうしようもなく自分が嫌になる。本当に久しぶりにどうにもならないくらいの後悔が自分の中に押し寄せてきて、それでもアルバートは、今はそれに押しつぶされてる暇はないと気を保った。
兵士の制止を振り切り、鎖を奪ってサヤを乱暴に引き寄せる。そして、これから自分が彼女にすることを考えて、アルバートはただ祈るように、今は空気を読んでおとなしくされるがままになっていてくれと願った。
「国王陛下も知っている。こいつは俺が兵器として育てている特別な奴隷だ。それを知らない不届き者に、ただの奴隷だと思って雑な扱いを受けて壊されたら困るんだよ。だから、こいつには、こいつの意思に関わらず俺が命令してある条件を満たした相手を殺すようにコレを使って縛ってあるんだよ。」
そう言いながらサヤの顔を掴み、その頬に刻まれた奴隷印がそこにいる者達にハッキリと見るようにアルバートは乱暴に彼女の顔を横に向けさせた。
「こいつをどうこうできるのは、俺か国王陛下だけだ。それ以外の奴が下手に手を出せば、お前等が見た被害者と同じような目にあうことになる。」
そう言って、アルバートは反論しようとする兵士達に、証拠を見せてやるよと宣言して、既にボロボロになっていたサヤの服を引き裂いた。サヤの肩が小さく跳ねる。彼女を抑え付ける腕に温かい雫がしたたり落ちてきて、彼女が涙を溢れさせていることを察して、アルバートは苦しくなった。でも、今は。こうするしかない。こいつらを黙らせるにはこうするしかないんだ。だから耐えてくれ。耐えて、後でエルに慰めてもらえ。そう思う。
サヤの肌が晒され、服に隠されていた酷い暴力の跡が顕わになる。強い力で掴まれた跡。殴られ、叩かれ、抑え付けられ締め付けられて。下半身には身に着けていたはずの下着がなく、股の間から腿に流れるように血の跡があって、サヤの身に何が起きたのかは一目瞭然だった。それでもアルバートは、相手に反論の余地を残さないために、サヤの足を片方掴んで股を開かせて、そこにハッキリと彼女が陵辱された痕があるのを兵士達に見せつけた。サヤの悲痛な叫び声が上がる。泣き喚き暴れるサヤを力尽くで抑え付けて、アルバートは、おとなしくしろと低く彼女を恫喝した。それでぴたりとおとなしくなったサヤに自分の上着をかけ抱き上げると、アルバートは兵士達を睨み付けた。
「これで解ったろ。こいつは俺や国王陛下には何されようと何もできない。俺の命令には絶対に逆らえない。ちゃんと枷は嵌めてある。こいつが誰かを殺すのは、俺が命令してある範囲の中だ。それが解ったら、二度とこいつに何かしようなんて輩が出ないように、よくよく周りに言い聞かせとけ。」
そう告げて、アルバートはその場を去った。
エリオットの私室に戻って、サヤを彼に預けて外に出る。扉を閉めて、息を吐いて。アルバートはどうしようもなく自分を呪って、拳をキツく握りしめた。そして、部屋の中から聞こえてくるサヤの咽び泣く声をずっと、ただずっとそこで聞いていた。




