序章
昔、昔のお話し。王国の統治の下平和だったこの地に魔王が降臨し、人々の安寧は脅かされた。魔王の放った魔獣達により王国の重要な拠点は制圧され、占拠され、それにより高い化学技術により繁栄を極めていた王国の人々の暮らしは一気に苦しいものへと変わった。当時の王は魔獣討伐のため軍隊を派遣したが、王国の兵士達は圧倒的な魔獣の力の前に為す術もなく敗れ去り、王国は衰退の一途を辿ることとなった。そして王は苦悩し、苦渋の選択の末、国中にお触れを出すことにした。望む全てを報償として与える事を明言し、人々に魔獣及び魔王の討伐を命令したのだ。それを受けた何人もの勇者が討伐に臨み、その全てが敗れ去り。そして誰もが魔王討伐は無理だと悟る事となった。
時が経ち、人々は魔王討伐を諦め、豊かな生活を取り戻すのを諦めた。最初の降臨侵攻以降、魔王はそれ以上の侵攻をする気配を見せず、人々が襲われることもなかったから。だから、民衆は王が示す報償よりも、自分達の新たな安寧を求めた。わざわざ身を危険にさらさなくても生きていける。平穏に過ごせる。だから、以前の豊かな生活を諦めて、前時代的な生活へ。そして、それも慣れてしまえば、どうということはなかった。国はまた活気を取り戻し、以前とは違った形で繁栄していくこととなった。
そして更に時は過ぎ、魔王討伐のお触れは、命知らずの腕試しのような催し物として人々の間で楽しまれることとなった。今年は何処の誰が挑戦するらしい。前回は何処の誰が挑戦して、魔獣の腕を切り落としたとか。今度の奴は何処までいけるかね。今年こそ魔獣討伐を果たし魔王の元までたどり着ける強者が現れるのか、なんて。そんな話題が王国の辺境の村でまで話題に上がるくらい、その話題は国中の誰もの興味を惹き、知られるものとなっていた。その冒険譚に憧れて、辺境の村に生まれた少年が勇者になる夢を持った。自分が勇者となり、魔王討伐を果たし英雄となる。そんな夢を追いかけて、少年は本当に勇者となった。バカな事はやめろと大人達には止められて、今は平和なのに魔王を討伐する意味はあるのかと、幼馴染みには諭されて。それでも夢に踊らされ勇者になった少年は、旅の先で現実を知ることとなった。仲間に恵まれ、運にも恵まれ、魔獣達を討伐し、魔王の元まで辿り着いた少年は、自分が求めた夢の先に、自分が求め憧れていた煌びやかな栄光がない事を知る。
勇者の到来により窮地に立たされた魔王は、最後のあがきとして王国を滅ぼすべく、根城を放棄し、単身王城へと攻撃を仕掛けた。魔王の猛攻により崩れ落ちる城壁。城内から逃げ出し、逃げ惑う人々。そうして城下に住む人々は魔王の脅威を目の当たりにすることになった。その圧倒的な脅威を前に誰もが絶望したその時、魔王を追って王都に戻った勇者一行の手により、魔王は倒され封印された。
そして人々の元にまた平和が戻った。魔王襲来により崩れた城は建て直され、勇者一行として参戦した第四王子が兄王子達を退けて新しい王として君臨し、王国は復興した。子供の頃憧れた英雄に実際になった少年は、勇者から騎士となり、共に旅をし戦った新しい王の傍に仕えることとなった。全ては約束を果たすため。これからの世界で、誰もが平穏に暮らせる本当に平和な世界を創るため。そのために、新たな王と成り上がりの騎士は、同じ秘密を共有し、互いに誓う。魔王と呼ばれたその人と同じ力を持つ種族も、人間も、分け隔てなく協力し助け合える国を創りあげ、国を纏め国力を上げる。人間の力だけでは魔王を倒すことはできないから。いつか魔王が復活し、また王国が脅かされることとなるその時に、今度こそ本当に魔王を滅することができるように備えるため。そして第二、第三の魔王を生み出さないように、自分達は全力を尽くそうと。
それがこの王国の成り立ち。魔族と人間が共存する王国ができあがるに至った物語。
魔王討伐が成されてしばらくの時が経ったある日。かつて勇者だった騎士、アルベルトと、現王エリックは魔王を封印したその場所にいた。
「魔王を滅せなくても平和なら、わざわざ殺す必要があるのかな。」
かつて勇者に憧れた青年は、かつて幼馴染みに投げかけられた問いを口にする。あの頃は解らなかった。かつては魔王を倒すこと、それが絶対的に正しくて、それが皆に幸福をもたらすことだと信じていた。魔王が封じられた今、誰が幸福になったのだろう。何もしないままの方が幸せだったかもしれない。少なくとも、自分は・・・。そう思う。
「それが約束だ。僕達は、それを成さねばならない責任がある。」
かつて王位継承順位が低く誰にも期待されずただ暇をもてあまし鬱屈としていた王子だったその人は、強い意志を持った真剣な声音でそう口にする。何も責任をもたなかった王子時代。それは酷く退屈だったが、でも、とても気楽だった。しかし、今はこの国の全てが自分の手の中で、その全てが自分の背中に重くのしかかっている。自分が成すべき事のため、自分はその重圧に負けるわけにはいかない。その覚悟が、王となった今のその人の顔を引き締め凜々しくしていた。
「魔王は必ず滅する。例え代が変わっても、僕達は僕達の繋ぐ命に真実を伝え、使命を果たし続けなくてはいけない。それが僕達が選んだ道で、僕達がしてしまったことの責任だ。」
「わかってる。でも思うんだ。このまま封印し続ける事ができるなら、それでいいんじゃないかって。こんな姿になってしまっても生きていて欲しいと思うのは、いけないことなのかな。生きてさえいれば希望は繋がる。俺には解らないよ。わざわざ殺さなくても、皆が手を取り合って生きてきける国が創れたらもう、わざわざ皆で殺す必要は無いんじゃないかって。そのまま永い時を経て、皆が魔王の存在を忘れてしまったら。そうしたら自由にしてあげても良いんじゃないかって。研究を重ねていけば、その頃には・・・。」
「それでも。自分という存在をこの世界から消し去ること。それが彼女の意思で。そして、自分を自分と同じ種族の者達に人間と協力し滅せさせることで、彼らの立場を安定させることが彼女の願いだ。この世に魔王は必要ない。そう人々が思い、復活を心より疎まれて消滅させられる。そういう絶対的な悪として魔王という存在を終わらせると僕達は約束した。それに封印は百年と持たないと彼女も言っていただろう。君の言うような研究が完成するよりも、溢れ出る彼女の魔力に耐えきれずこの黒水晶が崩れる方が先だ。無駄なあがきはせず、彼女との約束のために僕達は全力を尽くすべきだ。余計なことに時間を割いて、その時成すべき事が成せないことの方が最悪。覚悟を決めろ、アルベルト。僕はもう、腹は決まってるぞ。」
そうエリックに窘められ、アルベルトは口を噤んだ。
そして二人して、そこにある魔王の封じられた黒水晶を仰ぎ見る。
約束は果たさなくてはいけない。絶対に。そのために自分達は今の立場に立ったのだから。
それでもアルベルトは思う。いつか彼女を殺さなくてはいけないとしても、それを避けることができないとしても。それでも生きていて欲しい。幼い頃から一緒の村で育った幼馴染みを殺したくない。また昔のように、他愛のないやりとりをして、普通に普通の生活を・・・。だから願ってしまう、せめて彼女にとどめを刺すのは自分の役割にしたくないと。彼女の封印を永く保たせることができたら、そうしたら自分はそれをしないですむんじゃないか。封印を永く保たせる術を生み出しさえすれば、その先で誰かが彼女を解放する術を生み出してくれるんじゃないかなんて。
「君が覚悟を決めきれないのなら、君は悪あがきを続ければ良いさ。僕は王として、彼女の意思を継ぎそれを成す。必要なとき必要なことを果たしてくれるのなら、君の行動まで制限はしないよ。でも、その時が来たらちゃんとしてくれよ。魔王を倒すのは、勇者の仕事だ。」
そう見透かしたようにエリックに言われ、アルベルトは情けない顔をした。
「ありがとう。エリック。俺だって、そのときはちゃんとするよ。ちゃんと。じゃないとまたユーリを悲しませてしまうから。もう二度とユーリを泣かせない。それだけは絶対、絶対、守るから。」
それを聞いてエリックは、どうだかねと苦笑した。
二人は知らない。そんな決めきれなかった覚悟が、それを許してしまった甘さが、後の世でどのような結果をもたらすことになるのか。
百年を過ぎても封印は解かれる事はなかった。そして三百年余の時が過ぎ、魔王を封じていた黒水晶はついにその役目を果たせなくなった。黒水晶の表面がひび割れ、その中から膨大な魔力があふれ出す。その勢いに呑まれ、耐えきれなくなったそれは砕け散りこの世界のあちこちに飛び散った。
その日、黒い流星群が世界を襲った。キラキラと輝く黒い結晶が降り注ぎ、それを浴びた者の多くが倒れ、そのうちの生き残った少数が強大な力を得ることとなった。それを受け死んだ者の多くは人間で、それを受け生き残り力を得た多くは魔族の血を引く者達だった。そして人々は疑念と恐怖に呑み込まれた。魔王が復活し、同族に力を与え、かつて自分を封じた人間達に復讐を果たそうとしているのだと。
時を同じくして城内では王が死に、正妃が産んだ王子二人も亡くなった。そうして幼くして王位につくこととなってしまった末の王子には、暴徒化した民衆を抑えることはできなかった。幼い王は為す術もなく、ただそこに君臨し、自分の治めるべき国が混沌に呑み込まれていくのを眺めていた。