88.【B-狩猟】イースライ雪原⑩
狩猟2日目の朝。
テントの外から聞こえた物音でアッシュは目を覚ました。
顔の前にあった端末を開いて時間を確認する。普段よりも早めに寝たにも関わらず、起きた時間が変わらないようだ。
挙げ句、身体の節々に普段はない —— そして休日にダンの特訓に付き合った次の日に来る違和感があることに気付く。解除すれば消える肉体疲労も、同じエーテル体でいる間は蓄積されるようだ。
まだ少し眠い目を擦りながら、アッシュはテントの出入り口を開けて外に目を向ける。
聞こえていた音の出処はキアラであった。既に脛当てやナックルを身に付けて、格闘術の基礎的な運動を行っていたのである。
「おはよう。もう準備運動?」
「おはよ。日課みたいなものよ。これやっておかないと、ちゃんと動けないの。それに私は早い方では無いわよ」
そう言いつつキアラは、テントの並びの一番奥の方へと目を向ける。アッシュもつられて目を向け、そこで初めてレイが目を瞑って正座していたことに気付いた。
「蛇の眼で見て、いたことに気付いたの。てっきり私が一番早かったのかと思ったのだけど。あれだけ気配が無いと心臓に悪いわよ……」
おそらくそれがレイの朝の日課ということなのだろうと、アッシュは推測する。
「ほんとだね。……アイリとダンは?」
「アイリはさっきゴソゴソ音がしてたから起きてるはずよ。ダンはまだ寝てるんじゃないかしら」
たしかに隣のアイリのテントは薄っすらと明るさを放っており、起きていることが伺える。そしてダンのテントはそれらしい様子は無い。
「みたいだね。ならそろそろ朝ご飯にしようか」
「そうしましょ。私はレイに声を掛けてくるわ」
アッシュはテントから出る。換気装置がしっかり働いているようで、障壁の中は朝の雪原とは思えない程に心地よい気温である。
「アイリー。ご飯にしない?」
「ん? アッシュも起きたんだ。じゃあなんか食べよ」
テントの入り口が開いてアイリが出てくる。何故かその手には、いつもグラディエーターの時に使っている盾が握られている。
メイジは両手で持つロッドを使うことが多いため盾を用いるイメージはあまり無いが、実際にはロッド以外 —— オーブとスティックは片手で持てるため、反対側の手に盾を持つのが一般的である。
とは言えそれがテントの中で盾を出していた理由にはならないのだが、個人の朝の習慣にまでツッコミを入れることほど野暮な話も無いので、アッシュはそれを聞かないでおくことにした。
「レイはキアラに任せるとして、後はダンを起こせばいいかな」
「ダンならもう起きて外に行ったよ」
「あれ。そうだったの」
アイリの方を振り返りながらアッシュが言ったのとほぼ同じタイミングで、障壁の出入り口が開いてダンが入ってくる。
「ここは雪がいっぱいあって楽しいな。もっと居たいくらいだ」
見ればダンの肩や頭には少し雪が載っており、起きて早々に外の探検に行って一通り遊んできた後のようである。
「たぶんダンが一番最初だったんじゃないかな。私が起きてテントの外を覗いたら、ダンが外に出ようとしてたところだったし」
「そ、そうなんだ……」
競い合うつもりも無かったが、自分が最後だったという事実にアッシュは負けたような気分になるのであった。
***
朝飯を終えた後、テントや寝袋などを一通り片付けたアッシュ達はガラルドの狩猟へと出発する。
ガラルドは北西部にある山岳地帯に巣を構えているようで、マップ上の発信機の反応も昨日からほとんど動いていない。
このまま巣で死なれてしまうのが一番面倒なパターンではあるのだが、いずれにせよ近くまで行ってみるより他は無いので、まずは北上して麓まで来てみる。
雪原と接している部分は高さ100メートル程の剥き出しの岩の斜面となっており、木の一本も生えてはいない。登れないことは無い程度の勾配ではあるが、少なからず苦労はしそうである。
「こういう感じかー。登るのは無しだね」
「だね」
その岩山の上の方にガラルドがいるのは確実だが、アッシュは遠目で見た段階で登るという選択肢をほぼ捨てており、同じことを思ったのか呟いたアイリに同意する。
「なんでよ。この上にいるんじゃないの?」
キアラが若干不満そうに言う。
「もしこれ登ってる間にガラルドが降りてくるようなことがあったら、障害物も無い急斜面で戦うことになるでしょ。そうなれば、ここまで来たのに失敗する可能性が凄く高くなっちゃうよ」
「それに登った先が満足に戦える場所とは限らないしねー。狭い所だと私達の攻め手だけが無くなるし」
「……しっかり戦える場所を選ぶってことね。それなら仕方がないわ」
キアラも納得してくれたようなので、アッシュは次の作戦を考える。
「雪が振ってないから足跡残ってるかなーって期待したんだけど……」
「山からの風が強い。足跡は消える」
「だね。それに風のせいで雪も他の所より積もってるみたいだ」
アッシュは片足のスキー板をしまって1歩踏み出す。すると他の場所よりもブーツが大きく沈み込み、少し脚を取られるような形になる。
「そうなると、あまり戦わない方法を取った方がいいってことだよね。ということで……」
アイリが嬉しそうな表情を見せながら、端末から袋を何個か取り出す。
「なんだそれは」
「昨日ダンが取ってきてくれたヘリスト……の骨とか革とか内臓とか。おびき寄せるのに使えるかなと思って、雪の中で冷蔵しておいたんだ」
本当にそういう所でアイリは抜け目がないとアッシュは感じる。食べながらヘリストの余りを釣り餌に使おうとまでは、さすがに考えていなかったのである。
「この辺りで十分だと思うから、みんなはここに隠れられるくらいの雪の壁造っておいて。私は色々仕込んでから、もっと近い場所に置いてくるから」
「頼むよ。じゃあ僕達はここに壁を作ろう」
「おう!」
ダンの元気のいい返事と共に、アイリ以外で作業に取り掛かった。雪をやや薄く、かつ高く積み上げていく。そしてその手前に椅子を置き、それぞれの目線の高さに覗き穴を作る。
その間にアイリはヘリストの革と骨をそれっぽく調整し、腹の中に抜き取っていた内臓を詰めていく。そしてある程度出来上がったところで、アイリは腸を取り出して一部を切り取ると、一方を強く縛り付ける。
「どうするのそれ?」
見ながらアッシュは問い掛ける。
「色々仕込むって言ったじゃん。で、仕込むって言ったらこれでしょ」
そう言ってアイリが取り出したのは、先日のマカクエンの狩猟の際にも使った麻痺毒の瓶であった。
「この中に別で分けておいた血を入れて……一緒に毒も入れちゃって……後はこっち側も縛って……完成!」
つまりお手製の麻痺袋ということである。
「針で体内に直接入り込まない分、即効性は無いし効果も薄くなっちゃうけど、これだけ仕込んでおけば大丈夫」
「それを食べさせて麻痺したところで、一気に攻撃するってことね」
「そういうこと。これなら戦闘自体は少なく抑えられるでしょ。じゃ、私はこれを置いてくるから、壁の完成させておいてね」
そう言ってアイリは、ヘリストを引きずりながら山の方へと滑り出した。
いよいよ2日間に渡る、そして初のB難易度狩猟の大詰めである。
脅威的であった尻尾も取り除いた今となっては、成功も間近である。
だがだからこそ、ここまで来て油断で失敗しないようにしなければならないと、アッシュは自らの気を引き締めるのであった。
***
全員で雪の壁に隠れて、ガラルドが動き出すのを待つ。幸い風は山岳地帯から吹き下ろしてくる都合、壁が風除けにもなってくれるために寒さもあまり感じない。
更に唯一寒さに弱いキアラが発熱の法術で自身の体温を上げており、そのキアラを真ん中に置いているため実質的な暖房付きである。
そんな中でマップを見たり山の方を伺ったりしながら、30分程過ぎた頃だった。
「!! ガラルドが動いた!」
「来た!?」
壁に開けた穴から覗くと、岩の斜面を登った先の頂上にガラルドの白い鱗が見て取れた。
ガラルドは少しの間そこから雪原を見下ろしていたが、やがて崖から飛び立って岩の斜面を凄まじい勢いで駆け下りる。
「……あれはたしかに無理ね。あの速度の体当たりは避けようが無いわ」
「でしょ。単純な強さ以上に、場を整えるってのは大事なんだよ」
「魔族同士ではフラットな場が絶対だけど、野生動物相手にはそうもいかないものね。覚えておくわ」
今の時代に“魔族同士”という前提がある場合も考えている辺りは、キアラが魔族の中でも限られた存在であることを表しているのだが、アッシュはそこには気付かなかった。
ガラルドは更に周囲を見回した後、ゆっくりとした足取りでアイリが置いたヘリストへと近付いていく。そしてヘリストに顔を近づけて、しきりに匂いを嗅ぐような様子を見せる。
「毒に気付いちゃってるんじゃない?」
アッシュはアイリに小声で訊ねる。
「そんなこと無いはず。あれはほとんど無味無臭なのが特徴だし、匂いのきつい血の中に混ぜてるし。それよりも私達の匂いが残っちゃってる方が心配かな」
「……たしかに」
アイリの言う通り、匂いならばアッシュ達由来の方を気にするべきであろう。風下にいるので、今ここにいることを匂いから感づかれることはないが、ヘリストに残った匂いであれば別だ。
少し不安を感じつつアッシュは見ていたが、やがてガラルドはヘリストの死骸を前脚で抑えて腹に首を突っ込み始める。
「よし! 喰い付いた!」
「行く?」
「まだ。ちゃんと食べたのを確認してから」
ガラルドは更にヘリストを大きく開き、背骨を抜き取って放り投げて顔を深く突っ込んだ。




