87.【B-狩猟】イースライ雪原⑨
「よいしょっと。これでいいかな。アッシュー、スイッチ入れてー」
アイリの合図を受けてアッシュがスイッチを入れると、雪原の端に緑色のエーテル障壁で囲われたエリアが出来上がった。
その障壁の途中には、アイリが設置した換気装置が幾つか挟まっている。
エーテル障壁生成機は便利ではあるが、あくまでも外側からの影響をシャットアウトできる壁を作るという役割しか持たないため、中で一夜を過ごすには換気装置の取り付けが必須なのだ。
養成所で教えられたにも関わらず直前にニーナに確認されるまですっかり忘れており、慌てて買いに行ったこの換気装置は、そこそこ値段がしただけあって良い機能を持っている。
換気のために取り込んだ外側の空気を室温程度まで調整してから中に送ってくれるため、今回のような寒冷地や熱帯のようや暑い場所でも、障壁内を快適な環境にしてくれるのだ。
換気装置を動かして障壁内の空気を温めながらレイとキアラにテントの設置をしてもらい、その間にダンには森で枝集め、アッシュは調理場を作るための雪掻きを行うこととなった。
アイリはキャンプ地設営の総監督である。
「どのくらい掘ればいいんだろう」
「木の様子からして……そんなに積もってないと思う。50センチも無いと思う」
「意外とそんなものなんだ。じゃあ手で掘っちゃおう」
そう言ってアッシュは障壁に作った出入り口の脇の雪を掘り始める。だが20センチ程進んだところで、その手が硬い物にぶつかる。
「あれ。なんだこれ……」
だが掘った穴を覗いても、何かが埋まっているような様子は無い。不思議に思いつつ、アッシュは更に周辺の雪も掘り返してみる。
「あ、やっぱり硬い部分出てきた?」
アッシュが手を入れてモゾモゾしていたところで、アイリが訊ねる。
「うん。そういうものなの?」
「んーたぶんそうなんじゃないかと思ってたんだよね。この辺りって天気が悪くなることがあんま無いって聞いてたし、陽も当たるから雪原の割には気温が高めじゃん。となると、下の方は少し溶けたり固まったりを繰り返して、氷みたいになってるんじゃないかなって」
実物を見ながらそう解説を受けると、おそらくその通りなのだろうと思える説得力がある。
「なるほど。これは溶かして掘る?」
「いや、そこまでしなくていいよ。手で掘れる部分は安定しないから除いた方がいいけど、そこなら硬さも十分だし。そこまでで縦横40センチずつくらい掘っちゃって」
「えーと、こんな……もんかな」
アッシュは雪の上に線を引いて掘る範囲を決める。
「そのくらい。終わったら、これ組み立てておいて。じゃあ私はダンの様子見てくるから」
「わかった」
アイリが渡してきたのは折りたたみ式のエーテルコンロである。
アッシュはそれを自分の端末にしまうと、雪を線の外へと掻き出していく。
スコップのような物があれば楽なのだが、生憎今回は持ってきていない。安い物なので次までには買っておこうと考える。
範囲の氷が概ね見えるようになったところで、アイリから渡されたエーテルコンロを取り出して組み立てていく。
コンロの中にあるのはエーテル吸引と分解を行う装置だけで、点火装置は付いていないタイプだった。
ただしその分コンパクトになっているため、レンジャーが持ち歩くには確かにこちらの方が有用である。
脚を伸ばして固定して掘り出した氷面の上に置くと、加熱部分が腰より少し低い位置に来る。このままでは若干屈んで調理する必要があり、作業性が悪いとアッシュは感じた。
全体を見回しながらそう考えているうちに、アッシュはふと思い付いてコンロの手前をもう少し掘り進め、1人が余裕で立てるスペースを作った。
掘ってある分だけ低くなっているため、立つ高さを同じにしてやればその必要も無くなる。
出来栄えに満足しながらコンロを眺めていると、森から枝を採ってきたダンとアイリが目に入る。
「じゃあダンもここに……このくらいの穴を掘って。少し掘ると硬いところが出てくるから、そこはランスで砕いちゃって」
「わかったぞ」
ダンに任せる穴は用途が違うらしく、氷まで含めて全て取り除いてもらうらしい。ダンは持っていた枝を置いて、穴を掘り始める。それを少し見てから、アイリは再びアッシュの所に歩いて来る。
「あ、出来た? じゃあ中の様子見てきて、必要そうなら手伝ってきて」
「了解」
アッシュは換気装置同様に障壁に設置した入り口から中に入って、テントを組み立てているレイとキアラの様子を見に行く。既に3つ出来ており、問題は無さそうだ。
「遅れてそうなら手伝おうかと思ったけど、大丈夫そうだね」
「テントの組み立てはキアラも出来てる」
「これは結構練習したんですもの。出来て当然よ」
スキーブーツの金具は留められなくてもテントの組み立ては出来るようだと思いつつ、口にしたら怒られることはわかっているので黙る。
「じゃあ残りも頼むよ」
「ん」
アッシュは外に出てダンの元に向かう。ダンはランスを穴に向かって突き刺しながら、氷を砕いているところであった。砕いた氷をアイリが手で穴の外に放り投げている。
「テントは大丈夫そうだったから、こっちやるよ」
「おっけー。じゃあ私は先に組み立てるものが……」
そう言ってアイリは端末を弄りながら立ち上がる。氷がある程度砕けたため、ダンもランスをしまって外に出す作業に移る。
5分程ですっかり土が剥き出しとなった正方形の場所が出来上がる。アイリの方に目を向けると、何やらドームの頂上部分に脚が付いたような器具が出来上がっていた。
「掘れた? そしたら……」
アイリはロッドを取り出すと、法術で出した小さな火の玉を地面に数発撃ち込む。
「……最初からそうしたら良かったんじゃないの?」
「今のは地面を少し乾燥させるため。氷を溶かすために使ってたんじゃ、湿気が溜まり過ぎて火が付かないでしょ。てことで、そこに枝を置いといて」
「そういうことね」
木の枝を集めていたことからも、ここで焚火を作るつもりというのは推測は出来る範囲だった。アッシュは自分の早とちりを恥じつつ枝を組んでいく。
「そしたらここにこれを置いて……」
アイリは組んだ枝の上に金属の台と細長い容器を置く。容器の中には先程砕いた氷が入っている。そして台の下へとロッドを伸ばして枝に火を付ける。
「後はこれを被せたら完成!」
更に組み立てたドーム状の器具の脚を雪面に刺して、穴を覆うように被せた。よく見るとドームの側面には透明な管と容器も付いている。
「なるほど。蒸留水を集めるためだったんだ」
「そ。ここらへんの雪なら溶かすだけでも大丈夫だとは思うけど、念の為にね」
「じょーりゅーすい?」
ダンが首を傾げながら訊ねる。
「水を沸騰させて一度気体にしたのを、集めてから冷やして液体に戻すの。菌も死ぬし不純物も無くなるから、汚い水も飲める水に変わるんだ」
「うーん……よくわからない。けど飲める水が手に入るのは大事だな!」
傾げた首を戻しながらダンが応える。仕組みはわからなくとも、飲める水が手に入ることがわかっていればひとまずは十分だろうとアッシュは考える。
「味は酷いものだけどね」
「綺麗なのにか?」
蒸留水には理論上、沸点で気化しない物質は含まれない —— つまり通常の水に含まれているミネラルも無くなるため、味はかなり悪いのである。
「そう。後で試しに飲んでみる?」
「う……。飲んで、みる」
ダンは若干尻込みしながらも、興味の方が勝ったという様子だ。
「火を切らさないように扇いだり枝を追加したりは私がやるから、ダンはもう少し枝集めお願いね」
「おう!」
そう言ってダンは再び森の方へと入っていく。アッシュは湯気が出始めた容器を見ながら、ふと思い付く。
「そういえばこれ、エーテルコンロでもいいんだよね」
「まあね。けどあれはちょっと高いしかさばるから、私も1個しか持って無いんだよね。それに火を付けるだけなら色々と方法はあるし」
たしかに折りたたみ式で小さくなっていたとは言え、火を扱う器具であるため安全装置などが付いており、他に端末に入れて持ち歩く物と比べれば十分に大きい。
加えて値段も決して手が付けやすい程では無い。そう考えてからアッシュは、自分がエーテルコンロの購入に立ち会った記憶が無いことに気付く。
「……あれ? そういえばエーテルコンロなんていつ買ったんだっけ?」
「あそっか、言ってなかったっけ。あれは傭兵団の頃からの私物。私の所は何日か置きに移動が必要な仕事を請け負うことが多かったから、ああいうのを含めてそれぞれが端末に入る分の荷物を持って生活してたんだよね」
「そういうことね。……てことは、アイリの端末って物がもう結構入ってるってことだよね」
コンロやこの収集器だけでは無い。先程の換気装置などキャンプ設置に必要な物は、アイリ自身の要望もあって基本的に管理を任せているのだ。
「そうなんだよね。まだ少し空きはあるけど、素材とか入れるスペースは取っときたいから、帰ったらまた整頓するつもり」
そう言いつつアイリは端末を眺める。よく見れば端末自体が若干古い機種である。加えて整頓は大事だが、単純にアイリが管理している物が多すぎるのも事実である。
とは言えアイリの性格や傭兵団の話から考えると、必要ない物を入れているわけでは無い —— むしろ既に必要なものを厳選して入れていることは推測出来た。
そこでアッシュはふと、3日前のキアラとの会話を思い出す。
「そうだ。そしたらキアラが持って来た余りの端末はアイリが使いなよ」
「えっ。いい……のかな?」
アッシュに聞き返しながらも、アイリは表情を緩ませて期待に満ちた目をしている。
「うん。念の為にみんなにも言っておくけど、キャンプ用品を持ってもらってる分なんだからいいって言ってくれるよ」
「ありがと。キャンプ用品専用があれば凄い助かる。……さて。準備は大体終わったし、次はご飯の準備しよっか」
「そうしよう」
そう言ってアッシュとアイリはエーテルコンロの方へと向かった。
***
全員フォークと皿を持って、蒸留水を集める火を囲む。皿の上にはガラルドの尻尾を焼いた肉が載っている。
「……じゃあ、いただきます」
アッシュは肉に齧り付く。それを合図にするかのように、4人も肉を口に運ぶ。
「……」
硬く旨味が少ない。脂もほとんど無く、パサつきを感じる。臭みは無いため不味いわけでは無いが、もう一度食べたいかと聞かれたら首を横に振るだろう。
「……」
「……」
「……」
「……」
沈黙が流れる。期待が大きかっただけに、気分の落差も激しかったのだ。
「……ふふっ」
口の中の物を飲み込みながら、アッシュは逆にその沈黙に笑ってしまった。
「……びっくりするくらい特徴が無いわね。不味いとは言えないのがまた……」
次に飲み込んだキアラが感想を言う。概ねアッシュと感じていたことは同じようだ。
「僕はあんまり好きじゃないぞ。……こっち食べたい」
そう言ってダンは、横に置いてあったヘリストを指差す。枝採集のために森に入った際に狩ってきたらしい。
「そうだねー。このままご飯終わるのは、なんか嫌だし」
「……ん。私は嫌いでは無い。けどヘリストの方が美味しい」
「じゃ、焼いちゃうね。……と、その前にー」
アイリは布地を振って焚火に風を送りつつ表面を削った枝を放り込んでから、ヘリストを掴んでエーテルコンロの方へと運んでいく。
「うーん……まあ味はともかく、獣竜の肉を食べてみたってことが1つ貴重な体験になったってところかな」
「ほんと物は言いようね。でも今回はヘリストもあることですし、そういうことにしておきましょ」
そう会話しながら、アッシュはふと頭上で何かが光った気がして空を見上げ、その風景に心を奪われる。
夕焼け空は拠点も含めて何度か見たが、星空をじっくりと眺めるのはパンデムに来てからでは初めてであった。
D0はどこも —— 幼少期を過ごした施設の周囲も —— ここまで綺麗に見えた記憶は無い。
自分で選んだこの場所が本当に良かったのかと、不安を感じたことが無いと言えば嘘になる。だが少なくとも今だけは、この風景が見れたことに感謝しようとアッシュは感じた。




