85.【B-狩猟】イースライ雪原⑦
「あれ? ガラルドは?」
数分後、到着したアイリがアッシュに訊ねる。
「キアラが良い感じに攻撃を加えてくれたおかげで逃げて行ったよ。発信機は付けてあるからマップで見てみて」
「……あのくらいは大したことじゃないわよ」
キアラは少し恥ずかしそうに横髪を弄って目線を逸らす。そう話していると、ふとアイリが鼻をひくつかせる。
「血の臭いがする」
「僕がちょっと怪我しちゃってね。でも修復薬で塞いだから大丈夫だよ」
匂いでわかってしまう辺りはさすがアイリだと思いつつ、アッシュは応えた。
「それは知ってた。でもそれとは別。もっと濃い匂い」
「……アザラシじゃないかしら?」
「あ、そうだね。すっかり忘れてたよ。せっかく買い取ったんだし、回収しておかないとね」
そう言ってアッシュは辺りを見回して、最初にガラルドがいた辺りへと近づく。そこには破壊されたソリの破片とアザラシの革が幾つか転がっていた。
「そういえばさっき、アザラシの運搬ソリを襲ったって言ってたもんね。これがその残骸ってこと?」
「そういうこと。ソリが壊されて困ってたから、キアラがアザラシの革を買い取るって言ってお金を渡したんだ」
「へーいいじゃん」
アイリは笑いながらキアラを見る。
「べ、別に。あれはただの取引だもの」
キアラは更に照れるようにそっぽを向いた。
「じゃあこれは持ってっていいんだね」
「うん。後これも。さっき拾ったんだ」
そう言ってアッシュは端末から、ダンが見つけたアザラシの革と骨を取り出してアイリの前に広げた。
「そしたらアイリにこれの整理をやってもらいながら、戦った感じを共有しようか」
「りょーかい。あ、ダンも解体は出来るでしょ? 骨と肉を分けておいてよ」
「おう。それなら出来るぞ」
アッシュはアイリとダンに支給品の小型ナイフを手渡す。
ダンはナイフを受け取るとアザラシの革を持ち、ガラルドが食べ残した肉を革から剥がすように前後に揺らしていく。
アイリはアッシュが渡した革の表面にナイフを当てて、雪を溶かしながら残った血糊を落とす作業を始めた。
「まずガラルドの特徴だけど、やっぱり全身を覆う鱗は硬かったね。それもあってキアラの打撃が一番有効だった」
「有効……有効って言われると難しいところね。あれは単に痛がってただけよ。骨にはダメージは入ってないし、筋肉を断ち切ったり出来たわけでもないから、時間が経てば回復しちゃうわ」
キアラが横から訂正を入れる。
「そうだったんだ。でも確実に攻撃の起点にはなってたし、キアラにはあんな感じで動いてもらおうと思う」
実際、アッシュがガラルドの背中に刃を入れるところまで出来たのも、キアラが正拳突きで転倒させたおかげである。あれが無ければ満足に攻撃も出来なかっただろう。
「そういうことなら問題無いわ。要は私が転ばせたりして、そこをアッシュとレイを中心に攻撃するってことでしょ」
「ん。なら隙を作るのは任せる。どこを狙えばいい?」
「それなんだけど、鱗は硬かったとは言えマカクエンの顔面みたいでは無かったんだ。僕が双剣で10回くらい斬り付けたら届いたし、レイなら2,3回で届くんじゃないかな。でも尻尾の近くは特に危ないから、胴を狙って消耗させながら可能ならば頭を狙って欲しい」
双剣は斬撃系統の武器では特に手数が多いが、その分刀身も短く一撃辺りのダメージも少なめである。
その双剣で10度で突破出来たのなら、敢えて柔らかいところを探して狙いに行くまでも無いというのがアッシュの判断だった。
「次に攻撃手段だけど、ある程度の距離から飛び掛かってくるのが基本みたい。ただそこから前脚で殴りつけてくるか、牙で噛み付いてくるかの2パターンがあった。勿論これ以外にもあるかもしれないけど、まずはその2つと考えておこう」
「最初のはあいつが浮き上がるから、シールドを斜めにして受け流せた。次のも噛み付きは大したこと無かったぞ」
鋭い牙はたしかに脅威であり、無闇に近付くのは避けた方がいいだろう。
だが実際にガラルドがそうだったように、シールドならば突き刺さることさえ無ければ表面を滑っていくだけなので大したことは無い。
口がシールドを上下から挟める程に開く相手ともなれば話が変わってくるが、ガラルドに関してはそういうことも無い。
だが重要なのはその”後”であることはアッシュもダンも認識していた。
「でもその後が凄く厄介でね。受け流した後に尻尾で攻撃してきて避けるしか無かったし、噛み付きも直後に身体を回しながら尻尾を振り回してきて、ダンがいなかったら何も出来なかったと思うよ」
「つまり尻尾が厄介ってことだよね。どうにかなんないかな」
アザラシの革をクルクルと巻いて畳みながらアイリが訊ねる。
「どうにかできればいいんだけど、言った通りその尻尾が危険でさ。棘が両脇に付いてるせいで、掠る程度でも怪我になるレベルなんだ。僕もさっきは掠った程度だと思ったのに、ここからここまでざっくり切れてて驚いたんだよね」
「近付くのも危ないってことかー。うーん……」
尻尾は取り除けるならばそうしたいところではあるが、かと言ってそれの除去のために危険を冒すというのも意味が薄い。
「尻尾も鱗で覆われてた?」
何かを考えていたような雰囲気だったレイが口を開く。
「そうだね。ただ靭やかに動かす分、身体よりは薄いかもしれないね」
「太さはどのくらい?」
「見ただけだから正確では無いけど……僕が両手で抱えて手が届くくらいだと思う。後、少し横方向に長かったな」
アッシュは両腕で輪を作って、ガラルドの尻尾の太さのイメージを形作る。
「ん。なら5回くらいで切れそう。……近づければだけど」
「その近付くのが問題だからねー。尻尾を切るためには尻尾に近づかなくちゃいけないけど、近付くには尻尾が邪魔……どーしよう」
そこでアッシュはふと、方法が無いわけでは無いことに気付く。尻尾を切ってしまおうという発想が無かった故に、今まで思い至らなかったのだ。
「……1つだけ、僕なら近付かなくても切れる手段がある……かもしれない」
「え? 何?」
「これなんだけど……」
そう言ってアッシュは武器を切り替える。それは一見すると何の変哲もないただの手袋だが、これも区分上は双剣や鉤爪と並ぶスレイヤークラスの武器なのである。
「なにそれ?」
「初めて見た。それ鋼線よね?」
「そう。鋼線って武器。指の先から小さな刃で出来た糸が出るんだ。斬れ味なら全武器中トップクラスだよ」
鋼線の糸は非常に小さな無数の刃が連結した構造となっており、刃になっていない面を向けて巻き付ければロープ代わりに、刃の面を押し当てれば太い木の幹すらも切断することもできる、極めて特殊な武器だ。
「これで上手くやれれば、遠距離から尻尾を切ることも可能だとは思う」
「ならそれでいいじゃん」
「でもこれ扱いが凄く難しいし、実戦で使うのは初めてだから出来るかは正直わからないんだ。それにみんなを巻き込む危険もあるから、僕用に広くスペースを空けてもらう必要もあるし。成功率を考えると、そうするだけの価値があるのかなって思っちゃうんだよね」
鋼線はその抜群の斬れ味と範囲の広さ故に全武器の中でも最高峰の火力が出るが、当然ながら相当に精密な操作を要求される。
そして下手をすれば自分自身どころか近くにいる味方を全員巻き込むことさえもあるため、特殊仕様武器に指定されている。
その癖の強さ故にまともに扱うことすら困難であるため、他の特殊仕様武器の中でも群を抜いて使用する者が少ない。
実戦で使うことがある者は、10万人以上いるレンジャーの中でも10人に満たないと言われる代物である。
アッシュですら特徴を掴むには1ヶ月を要した程であり、その分よく練習もしてはいるとは言え実戦で使うには不安が多いのだ。
「今回は色々初めてなことやってみてるんだし、それもやってみようよ。どっかで初めての実戦はやらなくちゃいけないんだしさ。何回かやってみてダメだったら、別の方法を考えればいいんだし」
そう考えていたアッシュを励ますようにアイリが言う。
たしかにアイリの言う通り、長いレンジャー生活の中でいずれは初めての実戦は来るだろう。それならば早い方が良いのは間違いなかった。
「……わかった。やってみるよ」
「よーし! そうと決まれば行こうよ」
そう言ってアイリは立ち上がると、手に持った小剣をクルリと回しつつアッシュに手渡した。
「もう終わったんだ」
「んー終わったっていうか、今ここにある道具だとこれが限界ってところかな。加工して使うにはもうちょい色々とやらないといけないけど、とりあえずはここまで」
「了解、助かるよ。それじゃあ出発しようか」
アッシュの掛け声に合わせて、5人は再び靴底からスキー板を出す。目指すはガラルドが逃げて行った南西である。




