84.【B-狩猟】イースライ雪原⑥
「アイリ、レイ。ガラルドはこっち側にいるみたいだから向かってきて」
「みたい? まだ見つけてはいないの?」
「うん。アザラシを運搬してたソリを襲ったみたいなんだ。まだ食べてる可能性が高いから、今向かって……あ! いた!」
雪原のど真ん中で蠢く白い物体。まだアザラシを食べているようで、口元が赤い血で染まっているために顔を上げると非常によく目立つ。
「おっけー! じゃあ超特急で行くよ! レイ、アッシュ達がガラルド見つけたって!」
「ん。行く」
レイの声が少し入ったところで、アイリとの通信が切れる。
「スキー板は靴底にしまっちゃって。出したままだと、転んだ時にすぐに起き上がれないからね」
「わかったぞ」
アッシュは板を収納しながら言う。ダンとキアラもそうしたところで、アッシュは大きく息を吸うと、
「わああ!」
とガラルドに向かって叫んだ。ガラルドはちょうどアザラシの肉に牙を突き立てようとしていたようだったが、そこで動きを一瞬ピタリと止めてアッシュ達にゆっくりと顔を向けてきた。
「ど、どうしたんだ急に!? 気付かれたぞ!」
「気付いてもらったんだよ。この場所じゃ隠れて近づくなんて無理だしさ。それにガラルドが気付かずにどっか行っちゃう方が面倒だし、気付けば確実に向かってくるならその方がいいでしょ」
「作戦か。ならいいぞ」
そう言ってダンはガラルドの方へと向き直る。ガラルドはこちらを警戒するように、姿勢を低くしている。
「僕たちからも少し近付こう。ダン、先頭は任せるよ」
「おう!」
ダンはシールドを前面に構えてガラルドへと近付いていく。その左後ろをアッシュ、右後ろにキアラが続く。
「ガラルドは飛行能力は無いけど、跳躍力はかなりあるらしいから注意しててね」
「まさか。敵を前にして油断なんてしないわよ」
キアラはナックルを装着した左の掌に右手を打ち付けながら応える。アッシュはそれに頷きで返しつつ、再びガラルドを見る。
「グルルゥゥゥゥ……」
ガラルドは低い唸り声を出して威嚇してくる。アッシュ達は慎重にその距離を詰めていく。
「……」
「……ゥギャオゥ!」
数メートルの距離のところでガラルドがダンに向かって、その太い右前脚でラリアットをするかのように飛び掛かって来る。
アッシュとキアラはすかさずダンのシールドに潜り込むようにしながら屈む。
「ぐぬぅ!」
ダンはシールドを浮かせて斜めに傾け、攻撃の衝撃を後ろに受け流しながらランスの突きを入れる。アッシュは前脚を双剣で3度斬り付け、キアラは左側に回って脇腹に拳と蹴りを入れる。
だがやはり硬い鱗に阻まれて、ダメージを入れられた気配はほとんど無かった。
上を飛び越えて行ったガラルドに対して、アッシュは振り向きながらガムボールを端末から取り出して投擲しようとする。
しかし左方から迫ってきた来た影を目の端に捉えて、すかさず横に転がりながら避ける。
雪の上に叩きつけられたそれは、ガラルドの尻尾であった。尻尾の両側面には鋭い棘が生えており、直撃すれば致命傷にさえなり得ることが想像できる。
エーテル修復薬は持ってきているが、アイリが到着していないうちは回避を優先的に考えた方が良さそうである。
そこでアッシュはキアラの姿が見当たらないことに気付く。そして一瞬の後、雪に映る影を見つけて目線を上に向ける。
キアラは”髪”をガラルドの後脚に巻き付けて大きく跳躍していたのだ。そして狙いを定めると髪で身体を引っ張り、ガラルドの首の付け根へと蹴りを放った。
「ギャウ!!」
死角からの一撃にガラルドが短く吠える。キアラは反動で浮き上がると宙返りをしながらガラルドの首に髪を巻き付け、更に後頭部に踵落としを決める。
見るからに強烈とわかる打撃を2発立て続けに受けて、ガラルドは倒れ込むように雪の上を滑る。キアラはガラルドの背中を蹴って跳躍し、アッシュとダンのすぐ近くに着地した。
「凄いね。そういうことも出来るんだ」
「それがメデューサ流格闘術だから。腕と脚以外に自在に操れる”髪”があるんだから、使わないのは勿体無いでしょ」
たしかにその通りだ。攻撃に用いる四肢以外にこれだけ自在に動く部分があるならば、それを有効に使える能力は持って然るべきだろう。
とは言えアッシュには少しばかり気になるところがあった。
「でも髪……だよね? 切れたりしないの?」
「切れないってことは無いわ。でも強度は鉄以上、1本でもその双剣で切るには苦労するわよ」
「そ、そうなんだ……」
先端の蛇の部分はともかくとして、傍目にはとてもでは無いがそうとは思えない真っ直ぐな黒髪を見つつ、アッシュは驚くように呟いた。
「ガァゥ……」
短い咆哮にアッシュ達は正面に目を向ける。ガラルドは少し滑ったところで体勢を立て直し、再びこちらを向いて威嚇をしていた。
「僕達もしっかりとダメージを与えていかないとだね。キアラだけに頼るわけにはいかないし」
「そうだな。でもあいつの鱗はマカクエンの顔面よりは柔らかい感じがしたから、どうにかなると思うぞ」
「やっぱりね。僕もそう感じた。弾かれはしたけど、何度も攻撃出来れば届きそうだよね」
マカクエンの顔面はレイの太刀でもほとんど攻撃にならない程に硬く、最終的には比較的柔らかい部分を狙って弱らさせていき狩ったという経緯があった。
それに比べるとガラルドの鱗は幾分か柔らかく、回数を重ねれば攻撃も通りそうだとアッシュも感じていたのだ。
とは言えマカクエンより素早く一撃も重い。そして飛び掛かりを避けた後を襲ってくる棘付き尻尾のおかげで、最後まで回避を意識しなければならない。
こちらが攻撃できるタイミングはかなり限られてくる。
ウルフベアやマカクエンとは格違いのB難易度というのを、改めて実感させられる厄介さである。
「とりあえずアイリ達が来るまでは、ダンに受けてもらって、その隙を僕とキアラが叩くって流れを継続で。……僕は次は発信機に専念するから、シールドに隠れさせてもらうよ」
「それなら任せろ!」
そう言ってダンはシールドを前面に構えてガラルドへと歩み寄る。ガラルドもまた右前脚を踏み出して、アッシュ達ににじり寄ってくる。
再びの睨み合い。しかしそれも長くは続かず、またもガラルドの方から飛び掛かってくる。ダンはシールドを持ち上げて衝撃に備える。
だが予想に反して、ガラルドはダンのシールドに2本の牙を突き立てるように噛み付いてくる。
当然ながら硬いシールドには傷一つ付かず、ガラルドは盾の表面を滑るように口を閉じながらアッシュ達の前に着地した。
何をしたかったのかよくわからないガラルドの動きにアッシュは一瞬戸惑うが、直後その巨体が勢いよく反転していく。
「ダン! 右!」
「ふん!」
ダンは素早くシールドを構えると、雪面に着けて肩を入れる。振り回された尻尾がシールドに当たり大きな衝撃音が響き渡るが、ダンはそれを受け切る。
アッシュはその間にダンの左側から飛び出て、雪の上を転がりながらガラルドに向かってガムボールを2つ投擲する。
片方は真っ直ぐに飛んで行って脇腹に、もう片方は少し上を狙ったために後ろ脚の付け根の辺りに着弾する。
「よし! 発信機は付いたよ」
そう言って立ち上がったアッシュの目に、キアラの頭の頂点がガラルド越しに映った。尻尾の下を潜って背後に回り込んでいたのだ。
ガラルドは身体だけを反転して尻尾を振り回していたためダンの方に目線を向けており、背後は見えていないようであった。
キアラは左脚を一歩前に出して深く腰を落とすと、目を瞑って息を吐いた。そして1秒にも満たない僅かな時間の後、大きく踏み込みながら右の拳をガラルドの脇腹に叩き込む。
「破ッ!」
これまでと違い、何の捻りも無い単純な正拳突きである。
「グギャァゥ……」
全く意識を向けていなかった方向からの強烈な打撃に、ガラルドは呻き声を上げながら蹌踉めいてアッシュの方へと横転する。
アッシュは後ろ向きに跳びながら下敷きにならないよう避けると、ガラルドの背中に向かって双剣を振るって斬撃を浴びせる。
するとその十数度目かの振りで、鱗を何枚か切断しながら肉に刃が届いた。
だがそれとほぼ同じタイミングで倒れて蠢いていたガラルドが、少し上体を起こしたかと思うと突然暴れるように身体を回す。
「うわっ!」
アッシュは慌てて双剣をクロスさせて、尻尾の直撃を防ぎながら後退する。だが棘が掠ってしまい、右前腕がざっくりと切れてしまう。
ダンはシールドで防ぎ、キアラは回避してやり過ごす。ガラルドはその間を抜けるように跳躍して距離を取ると、背中を向けて逃げ始めた。
「アッシュ! 血が出てるぞ!」
ダンとキアラが駆け寄ってくる。
「いたた……棘で切れちゃったみたい。掠っただけでもこんなだよ……。ダン、修復薬貰ってもいい?」
「えーと……これだな」
アッシュはダンからエーテル修復薬を受け取ると、半分を傷に掛けて残りを飲み干す。すると少し深めに切れていた部分も含めて、傷口が塞がっていく。
「へえ……本当にそんな簡単に治るのね」
「実物を見たのは初めて?」
「そうよ。エーテル体なんてレンジャーでも無ければ見る機会なんてほとんど無いしね」
そう言いつつキアラは、ガラルドが逃げて行った方へと目を向ける。
「追わなくていいの?」
「そうだね。発信機は付けてあるし、急ぐ必要は無いよ」
アッシュは武器端末のマップを開く。ガラルドは雪原中央 —— 南西方方向へと移動しているため、すぐに街に被害が出ることも無いだろう。
更にマップには、アッシュ達の方へと移動してくる2つの点も映っていた。アイリとレイもマップが捉えられる範囲に入ってきたのだ。目を向けると姿を確認することも出来る。
「アイリとレイも来てるし、一旦到着を待とう」
「わかったぞ」
ダンは持っていたランスとシールドを端末にしまいながら応える。アッシュは自分の傷が治ったことを確認すると、手で雪を掬って腕に付いた血を落とした。




