82.【B-狩猟】イースライ雪原④
アッシュは後ろの様子を伺いながら、速度を調整していく。アイリのおかげで滑れるようにはなっているが、初心者であるダンへの配慮は必要だ。
まだ安定しないようで、速くなったり遅くなったりを繰り返している。もっとも転倒は一度もしていないので、上々の出来と言えるだろう。
武器端末を開いてマップを見ると、南端の森の出口から東端の街の間の半分の位置に近付いていた。予定ではそこから北上することにしている。
アイリとレイも既に捉えきれていない位置まで行っているようで、マップには他にダンとキアラの分のアイコンしか映っていない。
マップを閉じてから少し進んだところで、アッシュはブースターを止めつつスキー板を進行方向に向けて停止する。すぐ後ろを付いてきていたキアラも、同じ様にアッシュの横で停まる。
ダンもそれを見て真似をしようと、その場で身体を傾けながら板を進行方向に向ける。
だがエッジを立て過ぎたようでスキー板だけが急停止してしまい、速度が落ちきっていなかった身体が前方に放り出されて転倒した。
「うぐぅ……スキー、難しいぞ……」
「いやいや、初めてでそこまで滑れてるなら十分だよ。もうちょっと練習は必要かもしれないけど」
「そうね。私も初めての時は、立ってるだけで精一杯だったもの。さすがの体幹ってところね」
「そうなのか」
アッシュとキアラに褒められて、ダンは嬉しそうな表情になりながら立ち上がった。
「真っ直ぐはもう問題無さそうだし、次は曲がる練習もしてみようか。今やったみたいに身体を傾けていけばいいんだけど、板を傾けすぎると止まっちゃうから、まずは身体だけ傾けるようにやってみてね」
「先に行かなくていいのか?」
「ここからは北に向かってゆっくり進むから、ダンには練習がてら辺りを周ってガラルドの跡を探してもらえるかな?」
「そういうことか。なら任せろ」
ダンはそう言うと、更に東の方へと滑って行った。
「あまり遠くには行き過ぎないようにねー」
「わかったー。……おおー! 曲がったぞ!」
ダンが身体を少し傾けて、北方向へと少しずつ曲がっていく。
「僕達はこのまま真っ直ぐ行くから、キアラは東側を集中的に見てもらっていいかな?」
「わかったわ。アッシュは西側ってことね」
「そういうこと。任せたよ」
そう言ってアッシュはブースターを弱く起動し、左側に目を向けながら滑り出す。
今でこそ自分の位置を把握出来る正確なマップがあり、ブースター付きのスキー板もあるからこそ、このように探索をすることも出来ているが、これが無かった頃はどうしてたのだろうかとアッシュはふと疑問に感じる。
歩きであっても丸一日掛ければ端までは辿り着ける距離ではあり、また西部は天気が崩れることもあまり無いというのであれば、力技でも乗り切れないことは無いだろう。
それでも例えば木杭を打って目印にする程度のことは、やっていたのではないかとアッシュは考えていた。
パンデムアースと繋がったのは300年前だが、衛星やマップなどが整備されたのは比較的最近のことである。
整備された後から使われなくなったとしても、この気温なら何かしら痕跡が残っていても良さそうだった。
だが少なくともアッシュの目に入る限りでは、それらしいものは見当たらない。
そんなことを考えながら辺りを見回していた時だった。アッシュは小物端末が振動していることに気付く。開いてるとダンから通信が来ているところであった。
「なんかあったぞ」
「了解」
アッシュは通信を切ると、すぐに武器端末のマップを開く。ダンとは距離にして数百メートル程離れている。思っていた以上に遠くに行っていたようだが、ブースターの性能を考えるとカーブの練習をしながらでも数分で離れてしまう距離と考えれば仕方がないと言えた。
「ダンが何か見つけたみたいだから、向かうよ」
キアラに声を掛けて、アッシュは東へと方向転換した。1分程で手を振るダンが見えてくる。
「これだ。でっかいのが食った跡って感じだろ」
「あーこれは……アザラシだね」
ダンが指差したものを拾い上げると、それはアザラシの革であることがわかった。肉は全て食われ骨と革だけになっており、血は既に乾き切っていることから最近の物ではないだろう。
「アザラシ?」
「海にいる野生動物。だからこんなところに残骸があるのも、おかしな話なんだよね。ヘリストならわかるんだけど」
「海で取ってきたのを、ここまで持ってきたんじゃないか?」
「うーん。でもここからだと海まで結構距離があるから、わざわざここまで運んで来たのかって言われると違う気がするんだよね」
この周辺では魚の他にアザラシやアシカを獲って、自分達で食べたり他の地域に売りに行ったりしているらしいというのは事前に調べた情報にもあった。
それを考慮すると、落とし物にガラルドがありついたという方が幾分筋は通りそうである。
「まあでも、とりあえず1つ収穫だね。ダン、ありがとう」
「えへへ。やったぞ」
ダンが照れるように頭を掻いているのを横目に、アッシュは雪を発熱の法術で少し溶かしながら、アザラシの革と骨の表面の汚れを洗浄していく。
「え……それ、持って帰るの……?」
それを見たキアラが、若干引くように聞いてくる。
「そうだよ。アザラシの革なんてなかなか手が出せない高級品だし、骨も何かしらには使えるからね。レンジャーはこういうのもしっかりと利用していかないと」
「う……ん。そういうもの、なのね……」
「帰ったらアイリにちゃんと綺麗にしてもらうから、大丈夫だよ」
納得は出来ていないという雰囲気のキアラにそう返しつつ、アッシュは革と骨を端末にしまった。
「じゃあ僕達はまた北上ルートに戻るけど、ダンは離れるのはこのくらいまでにしておいてね。もし突然遭遇しちゃった場合に、すぐに来れるギリギリの距離だから」
「わかった。もう少ししたら、向こう側にも行ってみるな」
ダンは西を指差す。アッシュ達が通る中央を跨いで、西の方も見に行ってくれるということのようだ。
「お願いするよ。でもダンの練習を優先でいいからね。ガラルドと遭遇しちゃったら本番に突入だから」
「曲がるのも結構できるようになってきたぞ。出来るようになると楽しいな」
「その調子。マップの見方は大丈夫?」
「おう。アイリに教えてもらったからな」
そう言いながらダンは武器端末のマップを開く。通信もダンの方から掛けてきているので、そちらも問題無く使えている。
少し前まで端末を見たことすら無かったというダンが、必要な機能を大凡使えているのは、実に喜ばしいことである。
「大丈夫そうだね。こっちも何かあったら呼ぶよ。じゃあキアラ、戻ろうか」
「はいはい」
アッシュはキアラに声を掛けて、元のルートへと戻っていった。
***
通常の道を歩くよりも少し速い速度で進んでいき、アッシュ達は東半分の中央、東の街と西の街の線上まで来ていた。時間は昼飯の頃合いである。
「ダンー。そろそろ昼ご飯にしよー」
「おーう。今行くぞー」
何度か往復して西から戻ってきたダンに声を掛けてから、アッシュは端末から折り畳み式の椅子を3つ取り出して広げる。
こちらはギルドからの借り物ではなく、チームとしての所有物だ。マカクエン狩りをした後に、アイリにせがまれてグループ人数上限の5つ買っておいたのだ。
アッシュは必要性をあまり感じていなかったが、結果的に雪の上に座らなくて済んだことで、今になって買っておいてよかったと感じる。
ダンが来るのを見計らって、アッシュは端末から更に乾パン、ハニービーの蜜、お湯を入れた断熱ポットを取り出して雪の上に並べると、乾パンを1枚手に取って蜜を垂らして口に入れた。
キアラもそれを見ながら、乾パンに蜜を慎重に垂らしていく。ふと見ると、座ると髪の先端の蛇が雪の上に広がってしまうためか、腰の辺りで折り返して肩越しに頭を覗かせている。
満足がいくまで蜜を載せられたのか、キアラは笑みを浮かべて乾パンを口に運んだ。だがすぐに眉間にシワを寄せて、不満そうな表情になる。
「蜜は美味しい。けど口の中が乾きすぎるわ……」
「これ飲んで誤魔化して」
アッシュはコップにお湯を注いでキアラに手渡す。
「これも……ただのお湯……」
不満ながらも背に腹は代えられないといった様子で、キアラはお湯を口に含んで乾パンと蜜を流し込んでいく。
「悪いね。でも今回は体験って意味も含んでるんだ。もっとエネルギー効率が良くて美味しいものは用意してあるけど、そういうのが尽きて食べ物も採れそうに無いってなったら、非常食として持ってるこれを使うことになるからね」
「……まあ、最低ラインがこれってことなら、マシな方かしらね」
そう言いながらキアラは、乾パンをもう1つ手に取って蜜を載せていく。その横でダンが椅子に座り、乾パンを一気に3つ掴んで口に放り込んだ。だが案の定、急激に口の中の水分を取られたために咳き込む。
「乾パンを一気に食べるとそうなるよ。1個ずつ、蜜を掛けながら食べな」
アッシュは別のコップを取り出して、お湯を注いで渡す。
ダンはコップを受け取ってお湯を口にしながら頷くと、更に乾パンをもう1個手に取った。それを見てか、キアラは蜜のケースを雪の上に置いた。
しばらく口を動かした後にそれを飲み込んだダンは、手に持った乾パンに蜜を載せていく。
だがキアラのように器用には出来なかったようで、蜜が手に掛かってしまったところで慌てて口に放り込んだ。
「うん。美味いな」
口を動かしながら言うダンに、キアラは信じられないというような顔を向ける。アッシュはそれを見ながら、自分用のコップに注いだお湯を飲み干した。
「もういいかな? 休憩はもう少し取るけど」
「ええ、十分よ」
ダンもコップを口に付けながら頷いたので、アッシュは出していたものを端末にしまっていく。
「コップはそれぞれで持っておいて。夜は野宿の予定だけど、ちゃんとした物を作るから安心してね」
「嘘……こんなところで野宿……?」
キアラが絶望したかのような表情を浮かべる。
「どれだけ早く見つけられるか次第ではあるけど、ガラルドの情報から判断すると、5人掛かりでも野宿は避けられないかなぁ。キアラがどれだけ頑張れるかにも寄るんだけどね」
「くうぅ……そう言われたらやるしか無いじゃない。アッシュ! 休憩は終わり! 行くわよ!」
そう言いながらキアラが立ち上がった時だった。3人の武器端末が音を立てて鳴り出す。
「ビーコンからの発信だ!」
「アイリ達が見つけたのか!」
と、今度はアッシュの小物端末にアイリから通信が入ってくる。
「アイリ! すぐにそっちに向かうよ!」
「え!? ちょっと待って! 見つけたのはアッシュ達じゃないの!?」
アイリからの予想外の返答に、アッシュはダンとキアラを見る。だがどちらもビーコンは手に持っておらず、間違えて押したとは思えなかった。
「アッシュ! あっちだ! 僕達がいる所のもっと上の方から来てる」
ダンが指差した方角、そして上という言葉から、ビーコンが北の方から発信されていると判断する。そうなるとアイリ達では無いのは間違いない。
「僕達とは別のビーコンから発信されてるみたい。理由はわからないから、とりあえず僕達だけで向かうよ。念の為、アイリ達もこの発信位置の横線上に来てもらえる?」
「おーけー。何かあったら最短で行けるようにってことね。だってさ」
「ん。わかった」
レイの声も入ってくる。
「何も無くても連絡はするよ。また後でね」
「はーい」
通信が切れる。アッシュは即座に椅子を片付けて、靴底のスキー板を広げる。そして武器端末を操作して、双剣を構える。
「2人は少し後ろを付いてきて。何があるかわからないから、武器も出しておいてね。出来るだけ急ぐよ!」
アッシュはそう言ってブースターを起動し、一気に加速しながら雪原へと滑り出した。




