74.【B-特殊】キレブル大黒森の捜索⑤
しばらく戦闘を続けているうちに、ヘリストが徐々に尻を向けて逃げ始める。駆除するために来たわけではないので、逃げていってもらうに越したことはない。
とは言え元の数が数だっただけに、最終的にアッシュ達の前から群れがいなくなった頃には周囲は酷い有様であった。
道の両脇にキアラとレイがそれぞれ仕留めた10匹程の山が2つ、更にアッシュ達3人とリーアで処理した数匹が道に転がる、文字通り死屍累々であった。
「うえぇ、ひっどい臭い……」
腐ってはいないにしても、辺りはアッシュですら顔を顰めてしまう程に血臭が充満している。鼻が利くアイリは尚更にキツいであろう。
「野生のヘリストが元々凶暴なのは知ってますが、ここまで興奮しているのは初めて見ました。これが闇属性エーテルの影響なんですか?」
「そうだね。でも途中で逃げたのがいたくらいだし、まだ軽い方だよ。それ大黒林は野生動物が多くて、今のでも群れとしては小さい方。沼地周辺の立ち入り禁止エリアは、今の比じゃないくらい強烈だよ」
遠くに走り去るヘリストに目を向けながら大黒林の規模の大きさを語るリーア。やはりアッシュの思った通り、闇属性エーテルの影響を受けなければ平気という話では無かったようである。
「それにしても......これどうしましょう」
「ムーンベアもいるしね。それ死んでないでしょ」
アイリが指差した先には、初っ端にキアラが気絶させたムーンベアが転がっている。
もしムーンベアが動いていたら戦闘はよりハードなものになっていたことは容易に想像出来るため、助かったのは事実である。
しかしウルフベアと同じく硬く厚い革に覆われているため、この状態からでも一撃で仕留めるのは困難を極める。ある意味一番厄介な存在である。
「ムーンベアは大黒林でも最近数が増えてきてるから、できれば駆除したいんだけどね」
リーアも困った様子で呟く。
「この中だと一撃で仕留めきれる可能性があるのは……」
「ん。私」
レイがわかっていたとでも言うかのように進み出る。
「待て。せっかくの機会だと思ってな。既に対処出来る者を呼んである」
だがフォルネウスが待ったを掛ける。突然のフォルネウスの声に、キアラが驚いた表情でカメラの方に目を向ける。
「お母様!? 見てたの……?」
「……見ていた。だが詳しい話は帰ってからだ。それ、デカラビアが来るぞ」
フォルネウスがそう言うと同時に、何かが這うような音と共に森の木が大きく揺れ始める。
何が起こったのかわからないアッシュ達が戸惑いながらその様子を伺っていると、見上げるような高さの木々の隙間から巨大な濃い緑色の鱗を持つ蛇の頭と、その上に乗った女性が現れる。
”五飢”デカラビア。ここキレブルを支配する八妃の一角である。
彫像のような美しさを持つフォルネウスよりは幾分か柔和で生物らしい雰囲気であるが、それでも十分過ぎる程の美貌を持っている辺り、最強の魔神ベルフェゴールの妻というだけはある。
銀の長い髪が蛇の頭から垂れ下がって輝いており、それもまたフォルネウスとは違った荘厳さのようなものが感じられた。
デカラビアは何かを探すように左右に顔を向ける。どうやら真下にいるアッシュ達が視界に入っていないようである。
「デカラビア様、こちらです」
リーアが呼び掛けると蛇の頭が下がって来る。
アッシュはそこでようやくデカラビアが蛇の頭に乗っているわけではなく、蛇の頭の上からヒト族のような上半身が生えている —— つまりこの巨大な蛇も合わせてデカラビアであることを理解した。
「フォルネウスに座標を指定されて来てくれと言われたのだけど、何があったのかしら」
「実は色々とあって駆除したヘリストの山と......このムーンベアをどうしようかと相談していたところです」
デカラビアはリーアの説明を聞いて、先端が割れた長い舌を揺らしながらニヤリと笑みを浮かべる。
「ふーん、そういうこと。つまり全部食べろってことよね、フォルネウス」
「うむ。まあ無理にとは言わんがな」
「ふふ、無理なわけが無いと知ってて呼んだんでしょうに」
そこまで言うとデカラビアは、ヒュドラ種の特徴である下半身と同じく濃い緑色の鱗を持つ小型の蛇を背中から数匹生やす。
もっとも下半身の蛇が巨大過ぎるというだけで、新たに生えてきた蛇も一般的に言えばかなり大きい部類ではある。少なくとも森で見掛けたら即逃げるレベルだ。
蛇達はヘリストの山へ近づくと、その骸を1匹ずつ飲み込み始めた。
更にデカラビアはムーンベアへと寄っていき、下半身の蛇で肩の辺りまで咥え込んで持ち上げる。そして頭を上に向けると、重さを利用して一気に口の中に収めてしまった。
サイズ感が桁違いの丸呑みに、アッシュは呆気に取られる。
と、蛇の頭の後ろ部分が膨らみ始めたところで、目を覚ましたのかムーンベアの咆哮が聞こえて来る。だが腕の関節までしっかりと咥え込まれているため、まともに暴れることすら出来ない。
「……うるさいわね。静かになさい」
デカラビアが少し苛ついたような表情を見せた途端、ムーンベアは急におとなしくなる。ヒュドラ種が持つ強力な毒を入れたのだ。
喉元を過ぎたのか、ムーンベアであろう膨らみが地を這う胴部まで落ちてくる。
気が付くと背中から生えた蛇達も、その腹を膨らませて数十あったヘリストの死骸を全て飲みこんでいた。
そのうちの1匹分と思われる膨らみがデカラビアのヒト部分へと送り込まれて腹部が急激に膨らんだが、すぐに下半身の蛇へと送り込まれて収縮する。
ものの数分でアッシュたちが困っていたヘリスト達は、全てデカラビアの腹に収められてしまったのである。
「ごちそうさま。フォルネウスも、狩ってくれた方々もありがとう」
「とんでもないです、こちらこそ助かりました」
アッシュが礼を返すと、デカラビアはニコリと笑って森の中へと消えていった。
「僕達も帰りましょうか」
「そうだね。まあキアラさんが帰るならば、だけど」
「……」
その場にいる全員からの視線を受けて、キアラは気まずそうに下を向く。
「一応、僕達もレンジャーだからさ。キアラ……」
そこでアッシュはふと迷う。
キアラは見た目だけなら年下で間違いないだろう。だがそれはあくまでもヒト族の基準であって、魔族はそうもいかない。
更に言えば魔神と魔将の娘なので、安易に呼び捨てにするのも憚られた。
「……ちゃん?」
迷った挙げ句に出てきた呼び掛けに、アイリが吹き出す。
「はぁ!? 私154歳よ! ヒト族のあんたよりも、遥かに歳上なんだけど!?」
「ご、ごめん……」
キアラは金色の瞳をカッと見開いて怒る。それに合わせるように髪の先端の蛇達も首をもたげて威嚇して来たため、アッシュは尻込みするように謝る。
だが魔族の時間感覚は大凡ヒト族の10倍程と聞く。つまり実年齢はともかく、精神年齢は15歳程度であろう。
「……せめて呼び捨てにしなさい。その方がまだいいわ」
アッシュの反応にキアラも少しばかり悪いと思ったのか、声のトーンを落として言う。
「わかったよ、キアラ。でもとりあえず。ここは野生動物も多いから、一旦街まで戻ろう」
「う……でも……」
キアラは横目でチラチラと飛行カメラの方を見ている。やはりフォルネウスのことが気にかかっているようだ。謁見した際のフォルネウスの怒り方を思い出すと、結構なことを言って飛び出してきたのであろう。
だが、
「フォルネウス様は今しがた『疲れたから3時間程昼寝をする。寝てしまったら大方のことを忘れてしまうが仕方がないな』と言って、ミシケの居城に向かわれました。では私も失礼致します」
フォルネウスの代わりにアンドレアルファスがそう言うと、飛行カメラの交信ランプが消える。アッシュは飛行カメラを手に取ってスイッチを切った。
「くうぅ……」
キアラが顔を真っ赤にして涙目になっている。明らかにフォルネウスから「今回は譲ってやる」と言われたようなものだ。
そしてわざわざ「3時間程」と言い残したのは、そのくらいの間に聞き出しておけというアッシュ達への指示なのだろう。
「仕方がないね。そうだキアラ、時間あるみたいだし、どっかでお茶して行こうよ。私達ミシケには行ったこと無いから行ってみたいな」
アイリの提案にアッシュは心の中で拍手を送る。正直この後どうやって時間を潰しながら話を聞き出そうか、何も案が無かったのだ。
「……いいわよ。じゃあ私のお気に入りの所に連れてってあげる」
キアラは少し落ち着いたのか、顔を上げて目を逸らして頬の横の髪を弄る。
一先ずの行き先が見えたことに、アッシュは安堵しつつ森の出口へと向かって歩き出した。