73.【B-特殊】キレブル大黒森の捜索④
キレブル南部の街、ヤーヌスレーン。アイネスと接するこの街は、その反対側が大黒森への入り口となっている。
アッシュは飛行カメラのスイッチを入れて飛ばすと、アンドレアルファスに連絡を入れる。少し待っているとカメラの通信ランプが灯り、スピーカーからフォルネウスの声が響く。
「ふむ、思っていたより見えるな。操作はここを……こうか?」
途端、飛行カメラは急旋回しながら地面に向かって勢いよく落ちていった。
「な! どうした! 何も見えなくなってしまったぞ!」
「フォルネウス様、おそらくここを押せば良いかと」
慌てるフォルネウスに続いてアンドレアルファスの声が聞こえると同時に、飛行カメラは再びアッシュ達の頭上へと飛び上がる。まだ安定せずにフラフラとはしているが、地面に落ちているよりはいいだろう。
「おお、見えるようになった。でかしたぞアルファス。では操作はそなたに任せる」
「畏まりました」
操縦だけアンドレアルファスに変わったようで動きが安定する。それを確認してアッシュ達は森へと足を踏み入れた。
「キアラさんは少し前にこの道から入っていったから、まずは道なりに進んでみようか。最初は一本道だけど、その後に分かれ道が幾つかあるから、行き先のヒントになりそうな物を見つけたらすぐに言ってね。……道なりに進んでればいいんだけど」
もしキアラが道ではない森へと踏み入っていたら、かなり厄介なことになる。この森全体を探さなくてはいけないので、それこそ数日単位の捜索になるだろう。
森はアッシュの身長の何倍もの高さの木が無限に続いているようである。
「リーアさん、この森はどのくらい続いているんですか?」
「んーどのくらいって言われると困っちゃうんだけどなー。キレブルの南は全部こんな感じだよ。北の方はカラレンとの地続きで岩山になってるけど、ここからじゃ見えないかな」
北ということは今アッシュ達が進んでいる方角のはずだが、山は影も見えない。それだけ広いということしかわからなかったが、アッシュは思わず溜息が出てしまった。
キアラが道なりに歩いていることを願うしかないと考えながら早足でしばらく歩くと、最初の分かれ道に差し当たる。
「さーて、どっちかなー……なーんてね。さっきはああ言ったけど、この道はどこに行っても最終的に一本に戻るようになってるから、どっちに行ってもあまり変わらないんだ。まあキアラさんが行ったを選べたら御の字なんだけど」
リーアが笑いながら言う。するとアイリが左の道の方を指差して声を上げる。
「あれ、今なんか変な音した……何かの鳴き声と叩きつけたみたいな音?」
アッシュには何も聞こえなかったが、アイリが聞こえたというのであれば気のせいということはないだろう。
「……では左へ行け」
フォルネウスから指示に従い、アッシュ達は左の道を進む。
また道なりにしばらく進むと、途中で右方から別の道が合流してくる場所に出た。その交差点にヘリストが転がっているのが見て取れた。リーアが駆け寄って確認する。
「死んでるね、でもまだ温かい。ついさっきやられたみたい」
「さっきの音って、もしかしてヘリストへの攻撃だったのかな」
「断定はできないけど、その可能性は高そう。死因はここ、首の骨が砕けてる。しかも食べられた様子もなくて、それ以外に傷が無いってことは……」
そう言いながらリーアがアッシュの方を見てくる。どうやら問題を出しているつもりのようだ。
「道を歩いていた誰かに襲いかかったヘリストが、逆に返り討ちにされた」
「そう。しかもわざわざこんな所まで入ってきたのに獲物を持っていかないってことは、今日中には帰るくらいのつもりってところかな。こっちの道で合ってそうだね」
そこで今度はアッシュにも聞こえるような打撃音が響く。
「急ぎましょう。フォルネウス様、アンドレアルファス様、少々走ります」
「構わぬ」
リーアを先頭にアッシュ達は道を駆けていく。
そして少し行った先の道が右側に緩やかにカーブしているところで、前方に何やら動く影が見えてくる。
「止まれ」
フォルネウスの指示に、アッシュは急停止する。
「隠れて様子を伺え」
隠れる理由はわからなかったが、アッシュ達は木の間に入って道の先を伺う。
そこにいたのは背丈がやや高めの少女だった。
黒い髪を赤いリボンでツインテールで結んでおり、その先端は地面に着くほど長い。ただし先端は蛇となって蠢いている。キアラで間違いないだろう。
そしてキアラの数メートル前には複数のヘリストがいる。それぞれ散らばってはいるが曲がって見えなくなる道の先までおり、30から40匹程度はいるだろう。
更にその中に1匹、ムーンベアまで混ざっている。
—— ムーンベアはウルフベアよりは危険度が落ちる小型の熊で、危険指定が出る程では無いが気性は荒いため、定期的に駆除依頼が来る野生動物である。
ヘリストもムーンベアも非常に興奮している様子だ。
その前に立つキアラは両手に金色のナックル、両足にも金色の脛当てとブーツというレンジャーのような装備を身に着けている。だがそれ以外は装備らしきものは無い。
それどころか必要最低限の場所を必要最低限の面積覆っている他は、色が透ける程の薄い赤い布を身体に巻きつけている程度である。
水着の方がまだ隠せるのではないかとすら思うレベルの薄着に、見ているこちらが恥ずかしさで目を背けてしまいそうになる。
ムーンベアはアッシュが以前アースの動物園で見たものと比較すると小柄なため成体では無いかもしれないが、それでもあの格好 —— 確実にインナーの類を着けていない状態 —— で相手にするのは無謀と言わざる得ない。
その時、1匹のヘリストがキアラに向かって突進し始める。それに釣られるように他のへリストも次々と走り出し、ムーンベアも咆哮と共に動き出す。
だがキアラは慌てることもなく、余裕の表情でそれらと対面していた。
そして先頭のヘリストが1メートル程の距離まで近づいたところで1歩踏み出し、鮮やかな回し蹴りをヘリストの首元に叩き込んだ。ヘリストは断末魔の鳴き声を上げて道端まで吹き飛ぶ。
キアラは地に脚を着けると同時に右腕を腰元まで引きつつ体勢を低くし、2匹目のヘリストの脳天にナックルの正拳突きを入れる。ヘリスト自身の勢いもあって頭蓋が大きく変形する。
3匹目の突進を躱しつつ2匹目の腹を蹴り上げ、また道端へと飛ばす。
蹴りの勢いで1回転したところに、今度は近づいてきたムーンベアの鋭い爪が付いた右腕が振るわれる。
キアラはそれを上半身を後ろに傾けて避けるが、元々の体勢が良くなかったためにバランスが崩れたのか、そのまま後ろに倒れそうになる。アッシュは思わず武器を手に取る。
だが助けは必要無かった。バランスが崩れたと思った脚は2本ともしっかり地面を捉えており、背中から落ちる前に蛇の髪を棒のようにして頭を支えつつ、ムーンベアの首にも巻き付けていたのだ。
そして身体を捻ってムーンベアの右脚に強烈な足払いを入れ、同時に反対方向へと首を引っ張る。
腕を振った勢いで右脚に重心が偏っていたのを的確に利用した崩しを喰らって、ムーンベアは頭から地面に落ち、口から泡を吹いて動かなくなった。
「そろそろだな。助太刀してやれ」
「はい!」
フォルネウスからの指示に、アッシュ達は武器を手に取ってキアラの元に走る。突然現れたアッシュ達に、キアラが驚いたような表情で見回す。
「なによあんた達!?」
「フォルネウス様の依頼で来たレンジャーです」
「え……。お母様ほんとにレンジャーを呼んでくれたんだ……」
どうやら本当に呼ぶとは思っていなかったらしい。リーアの推測通りであれば、適当に森を散策して、夜には帰るつもりだったのだろう。
「一緒に帰ってもらえますか?」
「まあ……レンジャー呼べば帰るって書いたのは! 私だしね」
突進してきたヘリストの頭を蹴り上げながらキアラが応える。
「でも話は先にこいつらを追っ払ってからにして」
そう言ってキアラは、再び腰を落として拳を構える。
その構え1つを取っても、非常に洗練されていることがわかる。養成所でナックルを専門に使っていた成績上位者と同等以上の練度はあるだろう。
メデューサ種は、呪術を中心とする遠距離系の法術をメインに戦うのが一般的とされている。
それと真逆とも言える超近接武器であるナックル、しかも興味で使ってみたというようなレベルでは無いことに、アッシュは興味を覚えた。
だがキアラの言う通り、まずは目の前のヘリスト達を片付けるのが先だ。そう考えつつアッシュはヘリストに向かって剣を構えた。
依頼の内容を考えればキアラは保護対象ということになる。
このため本来であればキアラを守るように4人が配置に着くというのが妥当ではあるが、アッシュはキアラの気持ちを考慮して戦闘も任せようと考えた。
「ダンを先頭に僕とアイリが両脇を固めて数を調整するから、レイとキアラに仕留める係を任せてもいいかな?」
「問題無い」
「……わかったわ」
キアラは少し驚いたような表情をしながら同意を返す。
「アイリ、ダン。行くよ」
「おっけー!」
「おう!」
アッシュとアイリは両脇へと進み、ダンが中央を先陣を切るように走っていく。
「私はどうすればいいー?」
「たぶんこの数だと3人でも捌き切れるかわからないので、リーアさんは様子を見ながら後ろから援護してもらえると助かります」
「了解!」
リーアの返事と同時に、ダンのシールドにヘリストが突っ込んでくる。それに振り向いた横を、別の1匹が抜けていく。
「早速だけど任せるね!」
「任せなさい!」
キアラは地面すれすれまで落とした拳を突き上げて、ヘリストの顎を下から殴りつける。身体を十分に捻った勢いも加わったアッパーによって、ヘリストとキアラの身体が浮き上がる。
「ふんっ!」
キアラは頭を後ろに下げると、地面に下ろした蛇の髪を軸にして空中で更に身体を捻り、ヘリストを道端まで蹴り飛ばした。
その前でアッシュはヘリストの突進を捌いていく。ヘリストのような相手こそアイリからコピーした返し技が役立つのだが、如何せん数が数なので盾と剣を別々に動かさないと間に合わない。
血の匂いも漂ってきて、ヘリストの興奮も更に昂ぶっている様子である。リーアの援護もあってどうにか維持出来ているが、ミスが重なれば一気に崩されかねない。
ただがヘリストではあるが油断は出来ないと、アッシュは気を引き締め直した。




