71.【B-特殊】キレブル大黒森の捜索②
D8。第二魔界とも呼ばれるその次元は、現在魔族最強を誇る”怠惰の魔神”ベルフェゴールが支配している。
もっとも支配とは名ばかりで、次元の大半は彼の妻である8名の魔将”八妃”が統治しており、ベルフェゴール自身の領地であるアイネスは次元全体から見れば僅かである。
その上アイネスの大半も、学園都市という形でベルフェゴールとは独立した自治を行っているのだという。
このため表に出てくることはほとんど無く、面会を求めても余程のことでも無ければ拒否されるらしく、会えることは極めて稀らしい。
調べたところでは現魔王と並んで魔神となったのが新しく、以前シャリィが語っていた"パンデム事変"よりも後とのことだった。
ベルフェゴール自身に支配するという感覚があまり無いのは、その辺りにも関係があるのかもしれない。
D8の地理はアイネスを中心に置いた場合に、ほぼ左右対称になっている。
アイネスの南と北に海が広がっており、南東から北東と南西から北西の陸地を3分割した計6領地2領海が、それぞれ八妃に割り当てられている。
各領地領海の支配者は北東が”一騎”ブネ、東が”三姫”フォルネウス、南東が”八忌”ストラス、南が”四紀”アイム、南西が”六貴”マルバス、西が二祈アスタロト、北西が”五飢”デカラビア、北が”七奇”クロセルとなっている。
八妃を含めた所属魔将が20名と7つの次元で最も多く、また八妃も普段はベルフェゴールの城にいることが多いため、アイネスには常に10名程の魔将がいるとのことだ。
(……というのが調べてわかってることだけど、役に立ちそうなことはあまり無いかな)
収穫祭から帰ったアッシュは今後のためにD8についても調べておいたのだが、今回役に立ったのはせいぜいフォルネウスからの依頼を受けるために行くのがアイネスであるということに特段驚かなかったことと、今から会うアンドレアルファスも魔将であること程度である。
アッシュ達はアイネスのギルド支部で職員にポータルの行き先を設定してもらい、ベルフェゴールがいる”ヌルラン城塞都市”のフォルネウスの居城近くへと向かった。
ヌルランはベルフェゴールの居城を中心に八妃それぞれの支配地域の方向に合わせて8つの城が建てられており、更に各城の間は高い壁で繋がっている文字通りの城塞都市である。
城へと続く大通りは店が幾つも並んでおり、それなりには発展している様子である。
だがそれなりに自然も残されており、その最たる例が大通りですらコンクリートでは固められておらず、剥き出しの土のままであることだろう。
城塞とは反対側へと目を向けると、遠くに高層ビルが集中的に建ち並んだ場所が幾つか見える。それがおそらく学園都市なのだろうとアッシュは考えた。
ヌルランとの出入りには八妃の城の門を通らないといけないようになっており、辺りは少しばかり混雑している。
アッシュは辺りを見回す。
混雑はしているが、そのほとんどはどこかしらへ向かって歩いている。立ち止まっている上に魔将ともなれば相応に目立つはずだが、一見しただけではそれらしき姿は見当たらない。
アンドレアルファスはアッシュ達の顔を把握しているようなので心配はいらないだろうが、こんなことで余計な時間を使ってしまうのも悪い気がしてしまう。
ふと見ると、城門の隅の方に丈の長いスカートを履いたメイド服を着た濃い茶色のショートヘアの女性が立っているのを見つける。頭に付けたブリムの上から尖った獣の耳が見える。
ニーナからはアンドレアルファスが城門前で待っていると聞いたが、よく考えてみれば魔将自らアッシュ達を迎えに来るとは考えづらい。
アンドレアルファスの従者が来ていると考えるのが妥当であろう。
「あれ、アンドレアルファスさんの従者かな?」
「んーそうかもね」
アッシュはアイリはメイドの方を見ながら小声で会話する。するとメイドもアッシュ達に気付いたようで、顔を上げて近寄ってくる。
「お待ちしておりました。アッシュ様、アイリ様、レイ様、ダン様ですね。フォルネウス様の副官を務めているアンドレアルファスと申します」
そう言ってアンドレアルファスが深くお辞儀をする。
アッシュはその魔将らしからぬ格好と丁寧さに、驚きのあまり唖然としてしまった。
***
依頼の内容はフォルネウスから伝えられるとのことだった。アッシュ達に依頼するかどうかは、フォルネウス自身が見て判断するためだと言う。
我儘な相手というのは骨が折れるが、受けてしまった以上は仕方がないとアッシュは諦める。
一方でアンドレアルファスは、何から何まで丁寧に接してくる。アッシュ達を”主であるフォルネウスの客”として、最大限に饗すと決めているような雰囲気だ。
しかしながら魔将というパンデムにおける支配者階級の者からそのような待遇を受けるのは、それはそれでどうにも落ち着かないものがあった。
城内へと入ったアッシュ達はエレベーターで城の最上階へと上がり、アンドレアルファスに促されるように降りる。目の前には大きな扉が構えていた。
後から降りてきたアンドレアルファスが、その扉へと歩み寄る。
「アルファスです。アッシュ様御一行をお連れいたしました」
「うむ。入れ」
少し低めの女性の声が響くと同時に扉が開いていく。アッシュ達はアンドレアルファスを先頭にして部屋へと入っていく。
赤い絨毯が敷かれた部屋には、いたるところに彫像や額縁に入った絵画、白磁の壺などが飾られていた。中にはその手の美術品には疎いアッシュでも見たことがあるものも幾つかある。
そのうちの1つは1年程前にオークションに掛けられ、パンデムの貴族が史上最高額の数百億ディルで落札したとニュースになっていた、アースのとある芸術家の絵画作品だ。
どうやらその落札者がフォルネウスだったようである。
そして部屋の奥、少し高くなった場所の中央にある大きな玉座に腰掛ける女性。
豪奢な真っ赤なドレスを身に纏い、玉座の手すりに頬杖をついてアッシュ達の方を見ている。
周囲に置かれた芸術品のどの人物ですら見劣りする整った目鼻立ち。切れ長の目に輝く黄金色の瞳は、見た者の心を決して逃さないであろう。正に完璧と言える程の美しさがそこにあった。
だが何よりも目立つのがその髪。
ストレートの金色の髪は玉座から溢れて周囲に敷かれた白い布に達するどころか、その上で更に広がって輝きを放っており、そこに黄金が積まれているかのようにさえ思える。
アンドレアルファスは段差の少し前で止まってアッシュ達の方を振り返る。
「こちらにお並びください」
アッシュ達が言われた通りに横一列に並ぶと、アンドレアルファスは段差の手前の端へと避ける。
「そなたらが依頼を受けるつもりのレンジャーだな」
フォルネウスが口を開く。
「はい」
「ふむ……」
フォルネウスはその縦に長い瞳孔でじっくりとアッシュ達を眺める。
空気が張り詰める。
今まで見てきた魔将の中でも、最も魔将らしい雰囲気を持つフォルネウス。
セーレやブネが上から重石を乗せられるかのようであったのに対して、フォルネウスは剣先を喉元に突き付けられているかのような感覚である。
蛇に睨まれた蛙とはこのことだろうかとアッシュは感じる。
冷や汗が落ちて首筋をなぞり始めたところで、アッシュ達はフォルネウスの”観察”から開放される。
「よかろう。ではそなたらに任せることとしよう。内容は単純だ。吾の娘を探してもらいたい」
(娘を探す……?)
あまりにも予想外過ぎる内容に、アッシュは戸惑いを隠せなかった。
人探し —— 今回は魔族だが —— というのは警察の仕事であり、事情があるにしても探偵などに依頼することだ。レンジャーの仕事としては聞いたことは無かったのだ。
「今朝方、書き置きを残して家出した吾の三女のキアラだ。最近何かと口答えが多くてな。今日も朝から……ああ、思い出しただけでも腹が立ってくる!」
フォルネウスが感情を剥き出しにするように声を荒げる。
それに合わせるかのように、布の上に広がったフォルネウスの髪がざわざわと蠢き始め、その先端が次第にと鱗を纏っていく。
アッシュ達が見ている前で、フォルネウスの髪の先端が蛇となったのだ。
蛇の髪を持つ女性のみの種族、メデューサ種。
”見る”という行為だけで相手に様々な呪い系統の法術を行使することができる、極めて強い力を持つ魔族である。
美しい物を好む特徴があると書かれていたが、周囲の調度品を見ればたしかにその通りなのだろうとアッシュは考えた。
「フォルネウス様、気をお鎮めください。御髪が乱れております」
「むぅ……」
アンドレアルファスに言われたフォルネウスは、ハッとしたような表情になって再び玉座の手すりに頬杖をついた。フォルネウスの髪もその動きを止めて元に戻っていく。
フォルネウスはアッシュ達から少し目を逸らして、胸の辺りまで伸ばしている横髪の先を指でクルリと巻いた。