66.収穫作業
パンデムはアースに比べれば発展は遅れている。それでも農業を全て手作業でやる程は遅れてはいない。
むしろ魔族は物に対する投資を積極的に行う傾向がある分、ほぼ同時期にアースと繋がったエデンと比べても遥かに進んでいると言える。
コンバイン等は地域の共有物としていたるところに用意されており、収穫期には予約でいっぱいになるそうだ。
それにも関わらず今アッシュ達が歩きながら鎌で稲を刈り取っているのは、この作業が祭事のための収穫だからである。
アッシュ達に任された作業は、指定された範囲の田を全て周って四隅に植えられた稲を収穫してくるというものだ。四隅の稲を神前に供えて収穫の報告とするとのことである。
作業の範囲は片道5キロメートル、往復で10キロメートルのあぜ道に接する分である。単純に歩くだけでも1時間半程度の道程に、刈り取り作業が加わって約4時間という計算だ。
田2つとあぜ道を1本 —— アッシュが復路で作業をする分 —— を挟んだ右隣にアイリ、更にその右奥にレイの姿が見える。
反対側に目を向けると、ダンがかなり先まで進んで刈り取りをしている。
無論、ダンが特別に作業が速いというわけではない。元々特訓のつもりで来ていたため、あぜ道の移動を全力ダッシュで行っているのだ。
むしろそれを考慮すれば、作業自体は遅いとすら言えるかもしれない。
アッシュはあぜ道を歩きながら、遥か遠くまで続く金色の絨毯を眺める。当然ではあるが収穫祭が終わった後は機械で一気に収穫を行うため、この見事な景色も直ぐに見納めなのだと言う。
勿体無い気もするが、それが営みというものだ。それに来年になれば再び見ることもできる。
まだレンジャーとしての生活が始まったばかりではあるが、最後まで駆け抜けて引退となった暁にはこういう所で暮らしたいなどと年寄り地味たことを考えつつ、アッシュは刈り取る稲へと手を伸ばした。
***
往路を終えたアッシュ達は、芝生の斜面に腰掛けながら休憩をしていた。
「なあ。もう行っていいか? 特訓したい」
「馬鹿者。休むことも訓練の1つだ。お前らは籠を使っているんだから、ここからが大変なんだ」
シャリィに嗜められて、ダンが若干不満そうに座る。
だがシャリィが言うように復路は更に大変になる。籠にはまだ半分程度しか入っていないが、それでも背中越しに重さを感じる程である。
次はスタートからこの籠を持った状態で、同じだけの作業をすることになるのだ。
紹介状持ちで加入したアッシュやレイには関係が無い話であったが、ギルドではDランク以下のレンジャーを対象とした講習を開いている。
シャリィを含む教官と呼ばれる者達は、その講習で指導を行っているらしい。
特訓したがるダンを止めたのは、まさにその教官としての仕事柄のようなものなのだろう。
「収穫祭もあるからあまり食わない方がいいが、多少は入れないと保たん。これを食っとけ」
そう言ってシャリィは端末から弁当箱を取り出しつつ、4人にフォークを渡す。
弁当箱の蓋を開けると、中には一口サイズに切り分けられた肉と卵焼きが入っていた。アッシュ達はフォークでそれを取って口に運んだ。
「美味しい……」
「だね……」
卵焼きは少しの調味料で味付けをされており、その加減が絶妙である。
続いて肉に手を伸ばす。こちらは脂身は少ないがパサパサしているわけでもなく、遅めの昼食を見据えた今食べるのにちょうど良いさっぱり感があった。
シンプルではあるが、それ故に腕前の高さを知ることができる。
アッシュは料理のプロではないが養成所の寮生活等も含めてそれなりにやってきたので、上手い方という自信はあった。だがシャリィの腕を前に、軽く自信を失いかけそうになる。
「シャリィさん、料理上手ですね」
アッシュからの称賛に、シャリィは自慢げな表情を浮かべる。
「当然だ。毎日ニーナのために腕を磨いているからな」
「えっ? ニーナさんに、毎日……?」
アッシュは驚いてシャリィの顔を見る。アイリとレイも同じことを感じたのかシャリィに視線が集中する。ダンは何のことやらといった風に、肉にフォークを刺している。
「い、いや! 今のは忘れろ! 言葉の綾というか、その!」
シャリィは顔を赤らめて、慌てたように否定する。それを見てアイリがニヤリと笑う。悪そうな顔である。
「シャリィさんってニーナさんと”同棲”してるんだ」
「っ!!?」
言葉の選び方に意図を感じるが、要するにそういうことなのだろう。シャリィは更に顔を赤くし、目を泳がせて何と言えばいいのかを考えている様子だ。
だが少しの間を置いて、シャリィは観念したように溜息を付く。頭頂部の猫耳がぺたんと垂れている辺りは、ニーナと同じである。
「……そうだ。だが同棲というのは止めろ。色々と語弊がある。……ニーナは私にとっては、育ての親のようなものだ」
「育ての親……?」
アッシュはその言葉に、思わずドキリとする。
「ニーナと会ったのは今から400年くらい前、所謂『パンデム事変』が起きる少し前のことだ」
パンデム事変 —— それは当時の魔王を含む3名の魔神が戦争状態にあったエデンの将軍に立て続けに殺害されたことに端を発し、その後起きた小競合いや小規模な戦争、そしてパンデム史上最も長く続いた『百年戦争』を一括りにした騒乱である。
争いを好む魔族でも —— 或いは目的を達成するための手段として争いを好む魔族だからこそ、当時のことは思い出したくないという者が大勢いる、行き先を見失ったまま苦しい期間が続いたとされている。
この事変及び名前の通り大凡100年続いた戦争は、誰もが疲弊し切って泥沼化していたにも関わらずに手を引けないまま続けられていたが、最終的にアースによる初の文明次元との接触を機に終結となった。
その後パンデムが、アースとの友好的な関係構築やエデンとの終戦を速やかに行ったのも、この戦争を経て魔族の間にも平穏な暮らしを求める気風が出来たためと言われている。
「あの戦争以前から魔族は常に争いの中にいた。小規模なものなら毎年どこかで戦争が起きていた程な。それが寿命が無い魔族に課せられた運命なのかもしれんが。私は生まれてすぐ、顔も覚えていない両親を戦禍で失った」
「……」
アッシュの両親は事故が原因ではあるが、それを除けば同じ境遇である。
「だが私には兄がいた。兄はとても強くてな。軍で働いて得た金で私の世話をしてくれる者を見繕ったり、軍の防衛隊に私がいた街を優先的に守るように働きかけたりしていたらしい。その兄が軍の任務で死んだのが400年前だった」
アッシュにはそのような相手はいない。それでも、しっかり顔を覚えている肉親を失うことの辛さは想像できた。
「当時はほとんど顔も見せない上に、帰ってきては軽口ばかり叩く兄が嫌いだった。だから兄が死んだという報せを受けた時も、それを悲しむよりも自分がこの先どうなるかの不安の方が大きかったのはよく覚えている。そんな中で私を引き取ってくれたのがニーナだったんだ」
シャリィはその時を思い出すように空を見上げる。
「ニーナは私に戦い方を教えてくれた。ほんと厳しかったよ。失神させられた回数なんて覚えてもいない。でもそのおかげで私は百年戦争を生き延びたし、兄が私にしてくれていたことを知って弔う機会も得られた。だからニーナには感謝してもしきれないんだ」
「……」
4人は何も言えずにシャリィをジッと見つめることしかできなかった。と、シャリィがその場で立ち上がる。
「すまんな、つい思い出話をしてしまった。暗くなるな。そうしたくて話したわけではない。残しても仕方がないから、さっさと食って行くぞ」
そう言いつつ、肉を一切れ指で摘んで食べる。アイリとダンもすかさずフォークで残りを取っていく。
「だからその……一緒に暮らしてはいるが、特別な思いとかそういうのは……ない……わけで……」
良いようにまとめようとして完全に墓穴を掘ったシャリィが再び顔を赤らめる。これは”ある”なと思いつつ、アッシュはそれには突っ込まずに籠を背負った。




