喪失
後に残されたのは煮え切らないニーナと若いヴァンパイア達。ヴァンパイア達は怒咆竜が去った空を呆けたように眺めていたが、やがて気力を振り絞るようにニーナに迫った。
「おい、貴様。偵察部隊の者だな」
ニーナは黙って相手に視線だけを向ける。
「我々クラウス様に忠誠を誓った者達は、明日には叛逆の罪で全員が処刑されるだろう。だが我々にも意地がある。叛逆に加わった以上、少しでもデレッドの戦力を削ってやる」
まだ戦い続けるという宣言のようだ。とは言え怒咆竜の言った通り、クラウスや側近ならともかく配下の若いヴァンパイア達ではニーナの相手にはならない。向かってきたところで首を掻き切って終わりである。
放たれる殺気を軽く受け流しつつ、ニーナはこれからどうするべきか考え始める。本隊は最速で向かってきても朝までは掛かるだろう。その間に、それこそクラウスや側近が出てくると少々面倒なことになる。
だが先頭にいたヴァンパイアから考え事をしていたニーナに、思いもよらない言葉が投げつけられた。
「お前以外の偵察部隊の者は全員捕らえた。全員処刑中だ」
「……は?」
ニーナは意味が理解できず、目を見開いて固まる。心臓がドクンドクンと鼓動を速めていく音が響く。思考が追いつかない。
(捕らえた……? 全員……?)
クラウスの側近が出てきたのであれば厳しいこともあるだろうが、今の所そのような気配は無い。探知で見つけられたとしても、配下が相手ならば改めて姿を隠すことはできるはずである。
不運が重なれば、捕らえられるてしまうことも無いとは言えないが、全員というのはとてもではないが信じられる話では無かった。
そのニーナの様子をヴァンパイア達は良いように捉えたのか、他の者達も次々と声を上げる。
「そうだ。お前が最後だ」
「全員あそこの塔に吊るしてある」
そう言って、城の影となって裏側からは先端だけが見えている正門の塔を指差す。
「お前も直ぐに加えげえ!!」
一番近い位置にいたヴァンパイアに音も無く近付いたニーナが、その左胸を貫く。仲間の背中から飛び出る鉤爪に、今度は他のヴァンパイア達が目を見開いて固まる。
胸を貫かれたヴァンパイアは、口から血の泡を吹き出しながらニーナへと手を伸ばす。ニーナは鉤爪を引き抜くと、その後ろにいたヴァンパイアに向かって蹴り飛ばした。
「ひっ……」
「貴様!!」
ようやく状況を理解した他のヴァンパイア達が、戸惑いと共に戦闘態勢へと入る。だがその動きはニーナと比べるとあまりにも遅かった。
腹を斬り裂く。喉を掻き切る。心臓を潰す。
ヴァンパイア達は、ニーナの姿をまともに捉えることすらできないうちに絶命していく。その全てが動かなくなってから、ニーナは正門へと走り出した。
途中、警戒に当たるためか庭に出てきていたヴァンパイアの配下達がニーナに気付いて更に向かって来たが、瞬く間に肉塊へと変えていく。
(そんな……そんなはずは……)
否定の言葉を何度も、祈るように唱える。そして城の角を抜け、塔の前へと駆け出る。
しかしその祈りも虚しく
塔には見知った姿が幾つも吊るされていた。
「嘘……そんな……なんで……」
ニーナはその場で膝から崩れ落ちる。
ようやく見つかった落ち着ける居場所。ようやく見つかった自分の異質を気に掛けない仲間。掴みかけていたものが零れ落ちていく感覚に、ニーナは言い様のない恐怖を覚えた。
だがそこでニーナはハッとする。数が足りないのだ。城壁内に入ったニーナ以外のメンバーは8名。塔に吊るされているのも8名。しかしその中に、外に残ったはずのエルヴィンの姿があった。つまり入ったメンバーのうち1名が、まだどこかにいるということになる。
ニーナは絶望の中の一筋の光に縋るように顔を上げ、吊るされた仲間達の姿を見る。
(……ハーネス! ハーネスだけはまだ……!)
ニーナは辺りを見回す。と、城の方からヴァンパイア達に首を紐で縛られて引きづられる、ハーネスの姿が見えた。首の紐に手を当てており、まだ生きていることがわかる。
瞬間、ニーナの姿が霞のように消え、同時にハーネスの周囲にいたヴァンパイア達が次々と引き裂さかれる。ハーネスは朦朧とする意識の中でニーナの姿を捉え、フッと笑みを零した。
「すんません……皆して……しくじっちまいました……」
「でも……あなただけでも助けられた……」
苦しげに呟きつつ回復の法術を使おうとするニーナを見て、ハーネスは哀しげな表情を浮かべて首を横に振る。
「ニーナさん……わりぃ。俺もダメなんだ……毒を盛られちまった」
「なら今から解毒を……!」
「『溶毒』だ」
「!! そんな……!」
溶毒は次第に身体が溶けていく、パンデムに昔から存在する極めて強い毒である。
扱いが難しい代わりに、盛られた相手は数時間に渡って苦痛を受けながら、死へと向かうのだ。そして溶毒の最も恐ろしいところは、毒が回りきってしまえば回復が追い付かなくなり、むしろ苦痛を受ける時間を引き伸ばすことになるという点である。
ニーナも一度、捕らえられたスパイが溶毒を盛られる様子を見る機会があったが、最期は情報を吐きながら回復を止めてくれと泣き叫ぶ酷い有様であった。
ヨヌまで戻れば解毒できる者もいるが、動けないハーネスと共にこの包囲を抜けることは困難を極める。そして仮に抜けることが出来たとして、ヨヌに着く頃には毒が回りきってしまうのは明白である。今のニーナでは、どう考えてもハーネスを助ける術が見当たらなかった。
困惑するニーナを余所に、ハーネスが荒い息を吐きながら咳き込む。
「今も……痛くて堪らねえんだ……」
そう言いつつ、ハーネスは血を吐いた。
「ハーネス! 無理はしないで……」
「ああ……ニーナさん……あんたに頼むのは酷だけどさ……頼む、殺してくれ……もう舌噛む力もねぇんだ……」
ニーナは自身の視界が大きく揺らいだような感覚を覚えた。
一筋の光のように見えたハーネスは既に助けることは叶わず、挙げ句その介錯をするなどニーナには受け入れ難いことであった。だが今なお溶毒の苦痛を受け続けているハーネスを、早く楽にしてあげたいという気持ちがあるのも事実であった。
「……わかり、ました」
ニーナは涙を堪えながら、ハーネスの左右の首筋に鉤爪を当てる。
「そうだ……最期に一つだけ……ヨヌに妹がいるんだ……堅物でどうしようもないやつでさ……あいつのことだけが……気掛かりで……」
「大丈夫です……私が引き取ります」
いつも軽い調子で口の減らないハーネス。その根幹が、この瞬間に垣間見えた気がした。堪えきれず頬を伝う涙が落ちるのも構わず、何度も頷きながらニーナは応えた。
「……ありがとう」
ハーネスはそう言いながら、ゆっくりと目を閉じた。それを見てニーナは鉤爪を振るう。せめてこれが最期の苦しみになるよう、その首を落とした。
ハーネスは穏やかな表情を残して逝った。だがそれと対比するかのように溢れ出る血に、ニーナの心は塗り潰されていった。
「あ……ああ……!! ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!」
丸く、紅い月の下。
ニーナの慟哭が響いた。
***
いつからだろう。
死が隣にあることを当然と感じるようになったのは。
いつからだろう。
命を数字で数えるようになったのは。
いつからだろう。
失ったらどうなるかを考えなくなったのは。
***
ヴァンパイア達の急襲はカシアに致命傷を与えていた。本隊のある陣へと辿り着いたカシアは、叛逆の確認と急ぎの救援を伝えて息を引き取った。
テレッドから預かった偵察部隊の危機を知った狼王は、即座に本隊によるクラウス派の誅伐を決行した。
だがクラウス城へと向かった本隊を迎えたのは、正門の塔に吊るされた偵察部隊のメンバーと、積み重なったヴァンパイア達の死屍。
そして玉座の間へと突入した狼王の目に飛び込んだのは、今まさにニーナに心臓を抉り出され、命が尽きた瞬間のクラウスであった。
ヴァンパイア達が慢心していた。暗かったことが有利に働いた。憶測混じりの様々な噂が流れたが、それでも『ヴァンパイア種の居城を単独で制圧した』という事実に、多くの魔族がニーナを畏れた。
そして、むせ返る血臭の中に佇む赤い瞳と、元々の色がわからなくなるほどに返り血を浴びた髪を見た者達は、噂を引き立てるようにニーナをこう呼んだ。
『血染めの狐』と。
この事件のすぐ後、パンデムはデレッドを含む3名の魔神の死をきっかけに100年に渡る激しい戦乱の時代を迎える。そしてそれを締めくくるように、現在のアースからパンデムへと次元渡航船がやってくることとなる。
パンデムの歴史においても最も激しく長く続いたとされる戦乱期を経て、魔族達の中にも安定した生活を求める声が出るようになった。
それから300年が経った現在、何故ニーナが素性を隠すように髪を染め瞳の色を変えて、ギルド長兼受付嬢という道を歩んだのか、知る者は少ない。




