不測の事態
クラウスの城はセードル大陸の南端の少し海側に突き出した場所にあった。周囲を小さな山に囲われてはいるが、背後の山を超えた先には海が広がっており、日中はよく陽が当たるであろうと思われる。
他の種族ならともかくヴァンパイア種が城を構える場所としては、決して良い環境とは言えない。
しかしながら城へのアクセス山に挟まれた一本道に限定されており、守りには強いことが推測出来た。
ニーナ達は城を臨める左手側の山の中腹部から城の様子を観察する。
一本道と繋がる正門の付近で数名の配下が警備に当たっているが、城をグルリと囲う城壁の周囲に姿は見当たらない。
たしかに狼王軍本隊のような大規模な敵を想定した場合は警戒は必要無いが、それこそニーナ達のような敵に対しては何も備えていないとすら言える配置である。
(……或いは、備える必要すら無いということでしょうか?)
ヴァンパイア種の性分を考えれば、喩え叛逆を企てている身であっても慢心をしている可能性は十分にありえる。いずれにせよニーナ達がやるべきことは変わらないが。
「サポートは頼みます。万が一の場合は、本隊への伝達を優先してください」
ニーナは振り返ると、サポート役の2名に指示する。
「わかりました」
「おまかせください」
サポート役の片方、黒エルフのエルヴィンは近接戦闘を不得意としているが、夜でも十分に利く視力と精度の高い弓を用いた監視員兼狙撃手、そして法術でメンバーとの通信を行うという役割を担っている。
もう片方のバイコーン種のカシアは身体のサイズの問題で建物内への潜入には向かないが、近接戦闘が得意で足音を立てずに高速で走る術を身に着けているため、本隊への伝令役兼エルヴィンの護衛という役割を担っている。
ニーナはエルヴィンとカシアに頷きで返すと、他のメンバーを連れて城の側面へと向かった。
最初の関門は城壁である。警戒用の法術が仕掛けられていることがあるため、慎重に周辺のエーテル反応を調べていく。
「……」
仕掛けが無いことを確認したニーナは手で合図を送り、城壁を一気に駆け上がる。他の者達もニーナの後に続き、静かに城内の庭へと下りる。
だが最後にギャレンが着地した時だった。着地際を狙うかのように、凄まじい威力の火球がニーナ達に向かって飛んでくる。
攻撃自体は全員難なく避けたが、そもそも攻撃が飛んできたという事実が想定外のことであった。少なくとも侵入までの間には不備は無かったはずである。
狼狽の色を隠せないニーナ達の前に巨大な翼をはためかせながら、ドラゴン種の男が下りてくる。ニーナはその顔に見覚えがあった。
「”怒咆竜”……!」
「くははっ! 俺を知っているか! 有名になったものだな!」
ニーナが怒咆竜と呼んだ相手は、サルタニアンの配下でも特に強力な者として知られた存在であった。直接相手にしたことは無かったが、軍の被害報告では度々上がる名であり、戦場で遠目に何度か見掛けたこともあった。
「……あなたは戦闘特化のはず。なぜ、侵入に気付いたのですか?」
「気付いたわけじゃねえ。知ってたんだ。サルタニアンの野郎が手を回してるのは、何もクラウスだけじゃねえんだ。ウェアウルフ辺りは金目の物をチラつかせたら、あっさり裏切ったぜ」
ニーナは狼王の陣にいたウェアウルフの士官達を思い出して歯噛みする。
「……あなたがここにいて私達に攻撃したということは、クラウスの叛逆は確定しました。明朝には軍の本隊が動いて……」
「外にいるやつらが伝令役ってところだろう? そっちには既にクラウスの部下が向かってる。期待はしない方がいいぜ」
「くっ……」
ニーナの顔が歪むのを見て、怒咆竜がニヤリと笑う。
「城壁の上ではヴァンパイアどもが法術で壁を作っているところだ。そして目の前には俺だ。状況は絶望的だな。……とは言えただ潰しても面白くはない。10秒だけ待ってやる。かくれんぼ、得意なんだろ?」
小馬鹿にするような言い方にメンバー達が殺気立つが、絶望的な状況であることは間違いなかった。怒咆竜のみであればニーナが相手取ることはできるが、敵はそれだけでは無いのだ。
「ほれいくぞ。いーち……」
ニーナは瞬時に思考を巡らせ、知る中で使えそうな怒咆竜の情報策を拾い上げていく。
(怒咆竜自身は探知などの精緻なことは不得意としているはず......。加えて『弱者を嫌い強者との戦いを好む』というドラゴン種の傾向が特に強いというのも、先程の口ぶりからして間違ってはいない)
1つ目の特徴は、探知ができるヴァンパイア種が怒咆竜と共に行動してしまえば無いようなものとなってしまう。しかし2つ目の特徴から、怒咆竜を足止めをニーナ自身が引き受けることは可能だと考えられた。
「全員個別行動で、それぞれ脱出を試みてください。……私は怒咆竜の相手をします」
ニーナの指示を聞いた他の者の顔に更に狼狽の色が浮かぶ。
指示を下したニーナが一番の危険を引き受けているのは間違いがない。だがニーナの覚悟を決めた表情を見て、その意を汲み取ったメンバー達は即座に別々の方へと分かれていった。
もしかしたら数名は犠牲が出るかもしれない。だが伝達役の状況が不明な中で任務を遂行するには、全員がバラけて確率を上げるのが最善であろう。これまで多くの命の遣り取りをくぐり抜け、常に死を隣に感じながら任務に当たってきたニーナは、そう判断したのであった。
***
「じゅーう。……やはりお前だけが残ったか」
カウントを終えた怒咆竜はニーナを真っ直ぐと見据えつつ、満足げに口角を釣り上げる。
「予想通りでしたか?」
「ああ。俺がお前ならそうする。俺を足止めしようとするなら、他の奴らは邪魔にしかならんからな。そのためにわざわざ待ってやったんだ」
「……」
そこまで含めて怒咆竜の思った通りであったらしい。怒咆竜をただの戦闘狂と思っていたニーナは、思っていたよりは頭が切れると感じる。同時に、その頭をニーナと単独で戦うために使ったことには呆れを感じざる得なかった。
とは言え相手はデレッドに匹敵すると言われる魔神サルタニアンの有力な配下である。気を抜くことは一切許されない。ニーナは鉤爪を構えると、姿勢を低くして全神経を目の前の敵に集中させる。
怒咆竜もそれに合わせて、背負っていた長剣を抜いて構える。
ほんの僅かな間を置いて、怒咆竜が地面を抉りながらの踏み出しと共に仕掛ける。振り下ろされた長剣をニーナは最低限の動きで躱しながら鉤爪を伸ばす。
だが怒咆竜が長剣の軌道を無視して即座にニーナの方へと振り直してきたため、攻撃を断念して再び躱す。追うように振る。躱す。
怒咆竜はニーナの動きを正確に捉えた上で、単純な力で長剣の軌道を変えて追いかける。デタラメな剣筋ではあるが、最低限の動きで躱し続けてもギリギリであり、少しでも無駄な動きをすれば真っ二つになることは容易に想像ができた。
数十度の遣り取りの後、突然ニーナが横から振られる長剣を鉤爪で防ごうとするかのような動きを見せる。怒咆竜は腕に力を込める。
だがニーナの腕には殆ど力が入っておらず、鉤爪で長剣の側面を撫でるように動いて下へと潜るように躱す。そして僅かに出来た隙を突いて、鉤爪が怒咆竜の腹を抉る。
「っ!!」
怒咆竜は長剣を振り下ろしながら大きく後退する。ニーナもまた跳ぶように後退して、体勢を整える。
「く……は、ははは! 血を流したのは久方ぶりだ! 滾るぞ!」
怒咆竜は腹の傷を押さえながら、久々の本気を出せる相手との遭遇に声を出して笑った。そして怒咆竜の叫びの後、今度は両者共に踏み込んで距離を詰める。
「!!」
と、ニーナが急停止と共に横に大きく跳躍する。直後、その数歩先にどこからか飛んできた攻撃法術が炸裂する。
「ちぃ! 逃したか!」
怒咆竜の前に2名のヴァンパイアが現れる。片方は若く凛々しい出で立ち、もう片方はそこそこ歳を食ったような風体である。
「怒咆竜様、助太ぎああああああ!!」
だが若いヴァンパイアは怒咆竜に助太刀を宣言しかけたところで、そのまま突っ込んできた怒咆竜に真っ二つに斬られた挙げ句、火球で焼き尽くされる。
すんでのところで躱した歳を食ったヴァンパイアは、驚愕の表情を怒咆竜に向けていた。
「怒咆竜様! 何をなさるのですか!」
「てめえらこそ何をしやがるんだ! 俺が楽しんでるのが見てわからんのか! これは上位者同士の『決闘』だ!」
「……! し、失礼致しました……」
歳を食ったヴァンパイアは、恭しく頭を下げて消えていった。
ニーナとしては怒咆竜を相手取るだけでも精一杯な中で、ヴァンパイアまでは対処するのは困難を極めると考えていたため、それを聞いて内心安堵した。他でもない怒咆竜が『決闘』であると宣言した以上、他の者が介入することは禁忌となるのだ。
「邪魔が入った。さあ! 続きだ続き!」
ニーナとしては怒咆竜との決闘など真っ平だったが、状況的にはそれを飲まざるを得ない。ニーナは怒咆竜に対して頷きで返し、再び地面を蹴った。
***
ニーナと怒咆竜は、数百に及ぶ命の遣り取りを重ねた。だが互いに決め手に欠け、相手にダメージを与えられないでいた。
「……」
「……」
何十度目かとなる睨み合いと静寂。だが静かに見据えるニーナに対して、怒咆竜は少し息が上がっている様子である。いくらドラゴン種とは言え、長剣をこれだけデタラメに振るっていれば当然であった。
だがその静寂を破るように、先程の歳を食ったヴァンパイアが若いヴァンパイア達を十名ほど引き連れて現れた。
「怒咆竜様。報告です」
「ああ! なんだ!?」
再び邪魔が入ったことに心底苛立ったような声を上げる怒咆竜に対して、歳を食ったヴァンパイアはビクリと身体を震わせた後、蚊の鳴くような声で告げた。
「……城外の敵を追っていた者たちから連絡が入りました。『バイコーンの女に攻撃を仕掛けたものの、そのまま逃亡を許した』と……」
その瞬間、怒咆竜が火球を吐く。歳を食ったヴァンパイアを含めた数名が、声を上げることも許されずに一瞬で消し炭となってしまった。
「はあああああ!? お前らいい加減にしろよ! 偵察部隊を抑えておけば、最低でも2日は狼王が動かないってのが前提だろ! その程度もできんのかよおおお!」
怒咆竜の叫びに空気が震え、城の窓が割れる。同時に怒咆竜の周囲に熱波が吹き荒れ、ニーナは思わず顔を覆い警戒する。
だが次の瞬間、怒咆竜から放たれていた殺気と共に熱波は急速に萎んでいった。
「はあ……アホくさ。止めだ止め。テメエらに力貸すのはもう終わりだ」
その言葉に若いヴァンパイア達が反応する。
「待ってください怒咆竜様! 我々はたしかに不甲斐ないですが、クラウス様は……」
「知らん。俺の力を貸しても配下が最低限の仕事すらできないんじゃあ、遅かれ早かれだ。権力争いに負けて僻地に追いやられたやつなぞ端っから期待しちゃあいなかったが、ここまで使えんとはな。……おい、狐女。決闘はとりあえずお前の勝ちだ」
怒咆竜は腹の傷を指差しながら、ニーナの勝ちを宣言する。
「じゃあな。お前も生き残ったら、またどこかで殺ろうや。まあこいつら相手に死ぬとは思わんがな」
それだけ言うと、怒咆竜は翼を広げて夜の空へと飛び立っていってしまった。