38.プレジデントバーガー
ギルド本部の建物を出てポータルでエレーネク市街内を移動し数分歩くと、飲食店街らしき入口が見えてくる。
通り沿いに様々な飲食店が並んでいるようで、中にはアッシュもアースでよく見知った看板も幾つか見える。
まずはどんな店があるのか一通り見て回ろうと考えてアッシュは通りへと足を踏み入れる。だが入ってすぐのところで、アイリが急に立ち止まる。
「どうしたの? 何か食べたいのあった?」
「食べたいというか……前から気になってたというか……なんだけど」
そう言いながらアイリは左にある店に目を向ける。目線の先を追うと、全次元展開でアッシュも慣れ親しんだバーガーショップ”プレジデントバーガー”の店がそこにあった。
「ここ? 結構有名なところだけど来たこと無い?」
「うん。ほら私、ずっと傭兵団にいたからさ。街っぽいところにはほとんどいなかったし、街にいる時はお酒があるような店にしか行かなかったんだよね」
傭兵団はどんなところも、テントでの寝泊まりによるキャンプ生活が基本だ。
そもそも近場に完成した街があるような場所で活動すること自体が、ほとんど無いためである。偶の買い出しや呑みのために街に出てくることがある程度なのだ。
「でも私と同じくらいの女子は、よくここに来てお喋りして過ごすんでしょ? だからその……どんなところなのかなぁって」
やや固定化した”女子”のイメージを語るアイリだが、憧れを壊すのもどうかと考えてアッシュは黙っていることにした。
横目でチラリ見ると、レイも黙って頷いてくる。アッシュはそれを了承と受け取った。
「じゃあここにしようか」
「やった!」
まさか馴染みのプレジデントバーガーで喜ばれるとは思わなかったなと考えつつ、アッシュ達は店へと入っていった。
***
注文を終えて商品を受け取り席を探しに行くと、先程探していた姿がアッシュの目に入った。
「あれ、ニーナさんかな」
「ほんとだ」
高級なレストランで優雅にランチをしてそうな雰囲気があるニーナの姿に、間違いかもしれないと思ったアッシュはアイリに確認をするが、ニーナで間違いないようである。
ニーナは日が当たる窓際のカウンター席で、頬杖をついて外を向いている。アッシュ達には気付いていない様子だ。
アッシュは席を探して辺りを見回す。さすがに昼に近い時間のため混雑し始める頃合いである。1つ2つの並び席は空いているが、3人が座れる席となると見当たらない。
と、ちょうどニーナの席の通路を挟んだ向かい側のボックス席から、学生らしき集団が立ち上がり出ていく。
「あそこしか無さそうだね」
ニーナの向かいになってしまうことには少し気が引けたが、空いていない以上は仕方がない。
席に座りつつニーナの方を見ると、頭が前後にコクコクと揺れているのがわかった。気付かれないならそれが一番いいだろうと考えて、アッシュはお気に入りのバーガーの包装を開ける。
「いただきます」
アッシュは養成所の頃からの慣れた香りに、安心感すら覚える。
ふと前を見ると、アイリは包装を全て取ってバーガーを手掴みにして興味深そうに観察していたが、アッシュが1口食べるのを見て意を決したようにかぶりついた。
「どう?」
アイリは口を動かしたまま首を縦に何度か振る。そして更に一口入れた時だった。アッシュに向いている側からバーガーの中身が溢れ出す。
「あ」
アイリが反射的に手を伸ばすが、手がグラスに当たり倒れて水と氷がテーブルを滑る。その間に溢れた中身は、テーブルに敷いていた包装にべちゃりと落下した。
「……」
アイリは何とも言えない表情を浮かべている。
「よくあることだよ」
ここで吹き出したら怒るだろうなと考えて堪えつつ、アッシュは持ってきていたティッシュを溢れた水に被せていく。
アイリは氷を摘んでグラスに入れていく。だがその中でも小さく細長い氷が、濡れて滑りやすくなっていたためか、アイリが摘んだ指先から弾けるように飛んでいった。
ニーナの方へと。
氷はアッシュ達が見ている中、綺麗な弧を描いてニーナの首筋に着弾し、そのまま服の中へと吸い込まれていった。
「ふぁっひゃ!」
気の抜けた声が店内に響く。そして声と同時に、ニーナの頭頂辺りから1対の何かが飛び出した。アッシュはそれに驚くことしかできなかった。
ニーナは背中の氷が通った辺りを触っており、それに合わせて頭頂の何かもピクピクと動いている。
それはここエレーネクでよく見た獣人系魔族達の耳のように見えた。先端が尖った形状に黄金色の毛色は、おそらく狐であろう。
勿論それ自体は気にすることでは無い。魔王軍のギルド職員であるニーナが魔族であるのは何の違和感も無いためだ。
だが、それ故になぜ獣耳を隠していたのかがわからないのだ。現にアッシュは魔族の特徴が見当たらなかったニーナを、ヒト族なのではないかと思っていたところだった。
3人共がポカンとして見ていると、隣に座っていた女性がニーナに声を掛ける。
「ど、どうされましたか!?」
「何か冷たいものが……シャリィ、仕事の時以外でそれは止めて」
「う……す、すまないニーナ。冷たいものということは、空調から水が落ちたのかもしれないな」
シャリィと呼ばれた女性はそう言って振り返りつつ、空調のある天井を指差す。
黒いショートヘアに釣り気味の眼の凛々しい顔つきだが、ニーナと同じ位置にある猫のような耳が可愛らしさも主張しており、それが合わさって独特の雰囲気を作り出していた。
シャリィにつられてニーナが振り返り、アッシュ達と目が合う。
「……」
「……」
ニーナの顔が段々と紅潮していき、サッと窓の方へと顔を戻す。だが頭頂部の耳が垂れて、感情をこれでもかと表している。
「そ、そろそろ混んできましたね。行きましょう」
「そうだな」
ニーナとシャリィはテーブルの片付けを済ませると、店から出ていった。残された3人は、その背中を見送ることしか出来なかった。
「あーあ。ニーナさんに悪いことしちゃったなぁ」
「仕方がな……くはないけど、わざとじゃないんだし」
明らかに落ち込んだ様子のアイリに、アッシュは慰めを入れる。
「後で謝った方がいいよね」
「……摘んだ氷が飛んでいったって言う?」
「言いづらい……」
奇跡のようなことが重なった結果、起きた事故である。説明したところで、伝わるかすら不明である。
「空調のせいだと思ってくれたみたいだし、言わない方がお互い良いと思うよ」
「そうかもね……」
「レイもこの事は内緒で」
レイはオレンジジュースをストローで吸いながら、コクリと頷く。そこでアッシュは、先程浮かんだ疑問を呟く。
「ニーナさんは妖狐種……? なのかな」
「あれ、気付いて無かった?」
アイリが首を傾げて、意外そうな顔をする。
「逆にどこに気付く要素があったの?」
レイもそれに同意するように何度か頷いた。
「え、匂い」
「匂い……」
「最初の案内の時から、香水に混ざってて気付いた」
少なくとも普通のヒト族では、香水と狐の臭いを嗅ぎ分けることはできない。
視力といい嗅覚といい、アイリの感覚器官はどうなっているのだろうか。アッシュに新たな疑問が生まれることになった。




