102.キアラの成長
目を開けて扉が開けば、いつものギルド本部の風景。
「少し落ち着いた?」
変換機を出たアッシュはキアラに声を掛ける。
「ええ……もう大丈夫よ。自分で体験したのは初めてだったけど、ほんとエーテル体って凄いわね。ほんとにあの怪我が無かったことになるなんて」
キアラは手を握ったり開いたりを繰り返しながら、腕を感心したように眺める。
「良かった。でも今日はもう辞めておこうか」
「……そうね。正直、今は戦える気分じゃ無いわ」
そう言って溜息を付きつつ歩き出したキアラに続いて、アッシュ達も受付へと向かった。
「お疲れ様です皆さん。グレートウォーウルフは出ましたか?」
「はい。とんでもない強さでした……」
「え。本当に遭遇したんですね……」
ニーナは自分から聞いておきながら、若干困惑気味に返す。
「ガラルドも強かったけど誰も強制帰還しないで狩れたし、私達実は上位もいけるんじゃない? て思ってたけど、打ちのめされた感じはあったよねー」
「だな。格違いだった」
「ギルドが上位レンジャー用に難易度設定している依頼では、単純な強さ以上に一筋縄ではいかない点が多いですからね。空を飛ぶ相手にどう対処するか、出先での数日でどう生活するか、上位レンジャーにはそういった要素が求められます」
ニーナの言葉にアッシュはふと、ランクアップ試験でウェルドに言われたことを思い出す。
—— Aランクに上がると、武器を持つ者同士の戦闘に送り込まれることもある。
—— レンジャーの目的は次元の開発と維持であって、植物採取や生物の狩猟は手段でしかない。
“そういった要素”という言葉には、ウェルドが意図したことも含まれているのだろうとアッシュは感じる。
(つまりそれはギルドの意志の元で、相手を裁くということ……。僕にそれが出来る……だろうか……)
「アッシュさん? どうしました?」
「あ、はい! すいません。その上位の依頼のことを考えてて……」
少し怪訝そうな表情で聞いてきたニーナにアッシュは誤魔化して返す。考えていたことは自体は上位の依頼のことなので、嘘では無い。
「あまり無理はしないでくださいね。疲れている時はしっかり休むこともレンジャーには大事ですよ。ではこちらが報酬の7万ディルとギルド通貨になります」
「あれ? ちょっと多い」
「指名依頼だからだよ」
あの流れで指名依頼にならないはずは無いと考えていたアッシュは、すかさずアイリに応える。とは言え目安から2万ディル増額というのは、なかなかに羽振りが良いと言える。
「ええ。指名依頼料、早期対応依頼料、その他諸々。オロバス様にはしっかり請求してありますので、大丈夫ですよ」
ニーナは表情だけニコリと笑って言うが、目が笑っていないことに気付いてアッシュはビクッと震える。
しかし無茶ぶりをしようとしたオロバスには、ギルドのシステムを使って出来る範囲でささやかな仕返しをしてくれたニーナに、アッシュは同時に嬉しさを覚えた。
「アッシュさん、続いて受注はされますか?」
「いえ。今日はこれで終わります」
「お疲れ様でした。ではまたお願いいたします」
アッシュはニーナに頭を下げつつ、拠点へと向かった。
***
その日の夜、夕飯を終えて各々部屋へと戻った後、アッシュはキアラの部屋を訪れていた。
扉横のパネルのインターホンを押すと、扉を少し開いてキアラが顔を覗かせる。
「……なに?」
「一応さ、今日あんな事もあったから気になってて」
「……入って」
まさか入れてもらえるとは思っていなかったアッシュは、少し戸惑いつつもキアラの後に続いた。
廊下を進みリビング入ると、ふわりと良い香りが漂ってくる。見れば机の上にティーポットが置かれて、そこから湯気が上がっていた。
「座って」
アッシュはキアラに促されるまま椅子に座る。キアラは棚からカップを2つ取り出して、片方をアッシュの前に置いた。
「ちょうど香茶を入れたところだったの。エストラのウェルガル産の中でも希少な最高級品よ。買うのにも資格がいる程の代物だけど、今日は特別だから」
そう言ってキアラはカップに香茶を注いだ。
キアラは自分のカップを手に取ると、顔に近づけて香りを楽しむように湯気だけを吸った。
アッシュもそれを真似て鼻から吸って見る。いかにも高級そうな香りが鼻孔をくすぐるが、それだけである。
正直なところレイがよく飲んでいる一般的な茶と、そこまで大きな差は無いというのがアッシュの感想だった。
「で、なんだったかしら」
「えーと、ほら今日グレートウォーウルフとの戦闘で腕が折られたでしょ。エーテル体だから残らないのは当然わかってるけど、精神的な傷は残るものだから念の為にね」
「……そうね」
キアラは少し俯いて返事をする。やはり”何ともない”ということは無いのだろうとアッシュは感じる。
「僕もさ、ここに来てすぐの頃に運悪く竜種に襲われて大怪我負って強制帰還させられたんだ」
「竜種に……」
「狩猟の終わり際に乱入されてね。痛みすら感じられない程の怪我だった。そのすぐ後は変換機に入る時ですら少し躊躇したりするような状態だったけど、アイリとレイが支えてくれて少しずつ良くなったんだ。だから今回は僕がキアラに、と思って」
キアラは縦に細長い瞳孔を持つ目を丸くして、驚いたような表情でアッシュを見つめていたが、やがてぽつりぽつりと言葉が出てくる。
「……怖かった。……痛みが、折れ曲がった腕が、もう戦えなくなるかもしれないって思わせてきて……」
「……」
「……頭ではわかってても、あの痛みは現実。……戻っても折れたままだったらどうしよう……ナックルを嵌められなくなってたらどうしようと……一度考え出したら止まらなくて……」
目を擦りながら語るキアラの話を、アッシュは黙って聞いていた。
「はっきり言って私は舐めてた。私ならやってみればなんでも出来るくらいのつもりでいた。でもそんな簡単にはいかないってことを思い知らされた。お母様どころか、最高難易度ですら無い相手に手も足も出ずに大怪我負わされた」
普段のキアラの雰囲気から、なんとなくその気があることを察してはいたアッシュだったが、キアラ自身からそれを語られるとは思ってもいなかったために少し驚く。
「でも。もう舐めて掛かったりしない。強くなるための努力を欠かさない。お母様を超えるのは絶対だけど、少しずつ出来ることからやっていく。そのためにアッシュ達を利用させてもらうくらいのつもりでいくから」
キアラは顔を上げて真剣な表情でアッシュを見つめる。アッシュはそれにキアラの良い意味での”変化”を感じ取って安堵する。
「よかった。大丈夫そうだね。……じゃあ僕は部屋に戻るよ」
そう言ってアッシュは香茶をグイッと飲み干した。
「あー! もうちょっと大切に飲みなさいよ! その1杯で1万ディルはするのよ!」
「ごふぉっ! え、そんなに高いの……?」
「ウェルガル産の最高級品って言ったでしょ。まあお母様のお金だし値段はどうでもいいんだけど、収穫量が少ないから希少なのよ」
そんなに貴重な物を出してくれたのかとアッシュは更に驚きつつも、違いがわからない自分が貰ってしまったことに申し訳無さも感じる。
「ごめんごめん。初めて聞いたものだったからさ。……とりあえず戻るね」
そう言ってアッシュはリビングを出て部屋の出口へと向かった。キアラも後に続いて見送りに来る。
「……ありがと。話せてすっきりしたわ。この気持ちを抱えたままじゃ次の戦闘に行けそうになくて、正直どうすればいいのか困ってたところだったの」
「吐き出せたなら来た甲斐があったよ。じゃあ、おやすみ」
「おやすみなさい」
アッシュはキアラと別れて、自室へと戻って行った。




